1964年
昨年の春、選抜大会に出場し、ダイナミックなピッチングを披露するに及んで松浦株は急激に上昇した。ところが選抜終了後、バットの素振りをやっているとき、腰を痛めて一年間休養すると、松浦の名は自然に消えていった。ことしになって腰は完治、ピッチングを始め、オープン戦にしばしば登板すると再び脚光を浴びてきた。しかし「小倉工は南海の地盤でね。松浦もプロにはいるんなら南海だよ」とスカウトは敬遠している。南海は球団事務員だった篠崎現セ・リーグ審判がコーチに就任してから強力なルートを持ち、そのうえ小倉在住の石川スカウトの二男克三君が小倉工の野球部にいるとあって他球団が嘆くのも無理はない。父親の信夫氏(51)=土建業=は「石川さん(南海)と城島さん(西鉄スカウト)にお会いしましたが、あの子の好きなところにやるのが私のつとめですから・・・」と語り西鉄が南海にどこまで食い込めるかが焦点となっている。
昨年の春、選抜大会に出場し、ダイナミックなピッチングを披露するに及んで松浦株は急激に上昇した。ところが選抜終了後、バットの素振りをやっているとき、腰を痛めて一年間休養すると、松浦の名は自然に消えていった。ことしになって腰は完治、ピッチングを始め、オープン戦にしばしば登板すると再び脚光を浴びてきた。しかし「小倉工は南海の地盤でね。松浦もプロにはいるんなら南海だよ」とスカウトは敬遠している。南海は球団事務員だった篠崎現セ・リーグ審判がコーチに就任してから強力なルートを持ち、そのうえ小倉在住の石川スカウトの二男克三君が小倉工の野球部にいるとあって他球団が嘆くのも無理はない。父親の信夫氏(51)=土建業=は「石川さん(南海)と城島さん(西鉄スカウト)にお会いしましたが、あの子の好きなところにやるのが私のつとめですから・・・」と語り西鉄が南海にどこまで食い込めるかが焦点となっている。
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