プロ野球 OB投手資料ブログ

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服部裕昭

2017-08-06 08:48:06 | 日記
1989年

遠山と同期のサウスポーがデビューしました。それも初登板が初先発。4年目の22歳、服部裕昭投手です。10月2日の対広島戦(甲子園)、3回3失点で降板と、デビュー戦は黒星を喫しましたが「やはり二軍とは全然違い、甘い球は見逃してくれませんね」とショックより、一軍の実力のほどを身にしみて分かった点に、教訓を得たはず。千葉県出身で浦安高からドラフト3位で61年に入団。カーブに目を見張るものがあり、1年目のキャンプ時は遠山以上に期待がもたれた服部。2年目の春季キャンプ中に左肩痛に襲われ、手術。長いブランクを経て、ついに一軍昇格。来年からが、本当の勝負です。

1999年

吉田阪神の浮沈のカギを握るのは、何といっても強力打線である。大豊、パウエル、ハンセンの新加入トリオに、桧山、新庄の既存戦力。さらにベンチでは驚異のひと振り男・八木がにらみを利かせている。守備力はイマいち、走塁にいたってはからっきし。こんな阪神が勝つには、とにかく「打って、打って、打ちまくる」のみ。となると、彼らのコンディション作りをサポートする体制が、重要となってくる。現在、阪神に籍を置く打撃投手は9人。豪腕派あり、軟投派あり。各タイプ取りそろえているが、そのうちサウスポーは二人いる。特に、ややスリークォーター気味の角度から放たれる服部裕昭打撃投手の球には、まだ本物の威力する感じられる。現役を退き、裏方家業に入って1年ちょっと。キャリアの浅さが、決してマイナスとならないのが、この世界の特徴でもある。「誰でもそうでしょうけど、最初は戸惑いがありましたよ。それまでは、一軍であれ、二軍であれ、自分のための練習。それが完全に他人のためになるんですからね。でも、結局は自分にとってのいい球が、打つ側にとってもいい球。少しずつ、そう思えるようになってきたんですよ」はにかむ笑顔は、実際の年齢より若く見える。1986年に、千葉・浦安高からドラフト3位で阪神入団。その年は、桑田、清原のKKコンビが話題をさらい、阪神では今季、ロッテから出戻りの形で復帰した遠山が、同期の1位として騒がれた。11年間の現役生活で、残した数字は0勝2敗。決して、陽の当たる表街道を歩いてきたとは言えないが、だからこそ「一軍に上がってきて、チャンスをつかもうと必死になっている選手には、つい感情移入してしまう」と言う。だが5月戦線に突入した頃、この裏方左腕の周囲で、ある構想が渦巻き始めた。「田村(左肩痛)の復帰は、まだメドが立たん。湯舟(左足甲骨折)は、早くて8月やな。遠山、古溝はもう一つやしなあ・・・。服部は使えるんやないかと思っとるんやが・・・」小山投手コーチのこのひと言がきっかけで、服部さんの現役復帰が、首脳陣間で真剣に検討されている。連休明けの打撃練習では、各コーチがゲージ裏に集結。視線の先はゲージの中の打者ではなく、マウンド上の服部に向けられていた。左腕不足にあえぐ、虎投の救世主として、その投球が再び脚光を浴びつつあるのだ。なお、結論は持ち越されているが、幸いなことに保有選手枠にはまだ空席が「1」ある。チームのピンチにひと肌脱ぐか・・・。「気持ち良く打たせる」のが仕事だった打撃投手が、「打たせない」投手に戻る日が来るかもしれない。

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1 コメント

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Unknown (まさ)
2022-12-03 21:43:47
記載されている選手やコーチの顔ぶれから見ると、
服部投手の現役復帰が検討されたのは1998年ではないでしょうか?

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