プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

押尾健一

2019-05-16 15:58:27 | 日記
1997年

今年7年目の押尾だが、野球選手としては極めて印象が薄い。4年前の春、甲子園でのオープン戦で阪神相手に好投。女房役が野口だったので若いバッテリーとしてスポーツ紙を賑わせたくらい。あとは、ヤクルトの一軍が神宮で試合のある時は、ほぼ2日に一度、打撃投手として裏方さんの手伝いをする。二軍で投げても、中継ぎがメイン。このままでは選手として、いつ消えてしまっても不思議はないと内心思っていた。昨年、浅野二軍投手コーチの提案でサイドスローに。押尾当人は納得している風ではなかったが、試合になると相手打者のタイミングが合わないのか、初めのうちは結果が出ていた。ところが、疲れて来ると球種も分かるし球威もガクンと落ちる。おまけに、ヒジや肩にも影響が出て来て、押尾から笑顔が消えて行った。元々、シュートは良くキレる。タテに曲がるカーブでもタイミングを合わせにくい。しかし、サイドにしたことで特長であるカーブも影を潜めてしまった。それでなくても球種は少ない。スピードも速い方ではない。スライダーでも投げられなきゃ、一軍では通用しないと思っていた矢先だったので正直これで押尾も終わったかという気持ちになり、それっきり押尾のことは忘れてしまった。ところが5月14日、押尾は投手としては一番嬉しい1対0の完封勝利をマークした。オーバースローから繰り出されるタテのカーブはサイドの時からは比べ物にならないほど、威力があったし、シュートも相変わらずキレていた。しかし、マウンド上での押尾はいつになく堂々としていたのと、スライダーを投げていることだった。「昨年、サイドになってクサっていた時、このままでいいのかって思ったんです。イヤイヤ練習しても何の意味もない。だったら何かしなきゃって、1年間ずっとスライダーの練習をしていた。そして10月、男の子が生まれたんです。そうしたら人生観が一挙に変わった。逃げちゃいけない。ピンチになると子供の顔が浮かんで結果が出るんです」確かに、投手にとって気の持ち方がピッチングを変えることもある。しかし、押尾の場合は技術が伴っている。今年のヤクルトは故障者続出で一軍昇格も夢ではない。一粒種の将輝クンのためにも、この追い風に乗ろうじゃないか。

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