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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

湯口敏彦

2025-04-13 19:33:33 | 日記
1971年
ドラフト会議はじまって以来のクジ運(二位)に恵まれて獲得したのが湯口。サウスポーの本格派。昨年の会議では島本(南海)、佐伯(広島)とともn、ビッグスリーといわれ人気を集めていた。福井県境に近い岐阜県の山村育ち。冬はスキーで山野をかけめぐったことが自然に足腰を強じんにしたという。高校時代の通算成績は28勝4敗。完全試合一度、ノーヒット・ノーランが三度。岐阜短大付高に第三の投手として入学した湯口が、二年でエースになるまでには、努力以外のなにものもなかった。同級生でエースだったのが近鉄の高橋。当時ノーコン投手だった湯口は「外角低め、内角低め」とその日ごとにコースを決めて、そのコースにピシャリとボールが決まるまで、何百球も投げつづけた。一日平均三百球のピッチングが知らず知らずのうちに強い地肩をつくりあげた。夏の甲子園大会では朝五時に起床。宿舎の近くの海岸で試合前に百五十から二百球のピッチングをしてゲームにのぞんだ。このタフネスぶりと島本に投げ勝ったピッチングが各スカウトの注目を集め「将来性はビッグスリー中NO1」と折り紙をつけられた。投手王国を目指し巨人は、将来のエース候補性と評価しているが「自信をもたせてから一軍のマウンドをふませる」(川上監督)方針をとっているため、デビューはちょっと遅れるかもしれない。このことは湯口もよくわきまえている。「早く一軍へあがって失敗するよりは、ファームでしっかりと基本を身につけたほうが、将来のためになります」シーズン前半はファームでコントロールをつけ、カーブを高校時代よりも鋭く、新しいタマ、シュートのマスターの三点を勉強するつもりだ。スター気どりのない態度は二軍首脳陣の好感をよんでおり、白石二軍監督は「まるで優等生のようだ」と感想をもらしていた。趣味はレコード鑑賞。練習終了後、合宿でポピュラー・レコードを楽しみにしている。

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