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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

権藤正利

2017-03-14 20:42:48 | 日記
1967年

バースデーケーキの上に立てられた六本のロウソクを、康弘君はひと息で吹き消した。パパもママも、姉の由美子ちゃん(8つ)も六歳になった康弘君にやさしい拍手を送った。昼間は一家そろって近くのプールで水遊び、夜は誕生パーティ。康弘君にとって四日は忘れられない一日だったにちがいない。「こどもがふびんでね。甘ったれぱなしなので、おころうと思うけど、どうしてもできないんだ」試合前、前日の誕生パーティーの話をしながら、阪神のサウスポー権藤はしみじみした口調で胸のうちを打ち明けた。権藤正利。三十二歳。柳川商高(福岡)のエースで名を売り、二十八年洋松ロビンス(現大洋)入り。このとし新人王を獲得。三十四年一月、多恵子夫人と結婚、川崎市に居をかまえたが、三十九年東映、四十年阪神に移籍。現在西宮市の阪神合宿「虎風荘」に寄宿、妻子とは別居生活を送っている。「別居生活はやっぱり異常だヨ。こどもがかわいそうだ。阪神に移ったときは一年で野球をやめようと思っていた。でも、こうなったらもう少しがんばらにゃいかんし・・・」権藤の大きな悩みだ。一シーズン、30試合以上ある東京地区(川崎を含む)での試合、他のナインとは逆にこのときだけは権藤の一家だんらんの時なのである。三日の巨人戦に登板したあと、その最終便の飛行機でひと足先に川崎入りしたのも、愛息の誕生日に間に合わすためだった。1㍍76、60㌔のきゃしゃなからだで今シーズンもがんばっている。規定投球回数にあと10イニング不足しているが、防御率は1・62で第一位。新人王のほか何も知らないタイトル、三十五年、四十年と二度ものがした防御率第一位に、プロ入り十五年目の夢をたくしている。高校一年にかかった小児マヒを克服した闘志、三十年から三十二年にわたってつくった28連敗(日本記録)の不名誉にも屈せず、立ち直った負けじ魂が、いまも細いからだにみなぎっている。「こどもには気の毒だけど、投げられなくなるまで現役でやる」-。出かせぎ亭主のやもめぐらしは当分続きそうだ。

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