1972年
ロッテー南海の4回戦の六回裏、ロッテの攻撃を終えて、南海の助っ人スミスが投手としてはじめてマウンドにあがった。米大リーグ時代、リリーフ専門で2勝4敗のほか、3Aでも通算36勝20敗の投手成績を持つスミス。南海入団の時も「投手もOKネ」と公言していた。それだけにスタンドの観衆も「ピッチャースミス」のアナウンスにはびっくり。左翼守備を佐藤道と交代してマウンドへあがったにわか投手スミスに拍手を送っていた。が、最初の打者、アルトマンに投げた1球目をみごと右前へはじき返され、あっさり降板。再び佐藤道と交代してしまった。ワンポイント登板とはいえ、投球数たったの1球。それも打たれて、スゴスゴ左翼へ引きあげるスミスにスタンドはまた拍手と声援を送る。このスミス起用は、来日以来、野村監督が考えていたもので、「左投手がいないから、今後もこういったケースで起用する考え」という。しかし、交代して左翼を守らせた佐藤道の方はたいへんだったようす。「いつ打球がくるか、ドキドキものでした」とタメ息まじりに話していた。ところで、当のスミス投手はすましたもの。「うまく打たれたが、つぎはダイジョーブよ」と胸を張ってみせた。
ロッテー南海の4回戦の六回裏、ロッテの攻撃を終えて、南海の助っ人スミスが投手としてはじめてマウンドにあがった。米大リーグ時代、リリーフ専門で2勝4敗のほか、3Aでも通算36勝20敗の投手成績を持つスミス。南海入団の時も「投手もOKネ」と公言していた。それだけにスタンドの観衆も「ピッチャースミス」のアナウンスにはびっくり。左翼守備を佐藤道と交代してマウンドへあがったにわか投手スミスに拍手を送っていた。が、最初の打者、アルトマンに投げた1球目をみごと右前へはじき返され、あっさり降板。再び佐藤道と交代してしまった。ワンポイント登板とはいえ、投球数たったの1球。それも打たれて、スゴスゴ左翼へ引きあげるスミスにスタンドはまた拍手と声援を送る。このスミス起用は、来日以来、野村監督が考えていたもので、「左投手がいないから、今後もこういったケースで起用する考え」という。しかし、交代して左翼を守らせた佐藤道の方はたいへんだったようす。「いつ打球がくるか、ドキドキものでした」とタメ息まじりに話していた。ところで、当のスミス投手はすましたもの。「うまく打たれたが、つぎはダイジョーブよ」と胸を張ってみせた。
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