1967年
六年間という長い間胸の中に描きつづけた初勝利だけに、西村はこみ上げるものがノドをつまらせ、何を聞いてもただうなづくだけ。やがて「最近調子がよい。スライダーをおぼえたので、公式戦へ出られるようになった」といった声は、聞き取りにくいほど小さかった。西村が南海入りしたのは三十六年の六月。三十八年にアメリカへ野球留学したほど、金の卵とみられていたが、直球がスピード不足のため、二軍生活にあまんじていた。今シーズンは南海投手陣不振のためにリリーフやつなぎ役として登板しているうちに認められ、初先発の十五日の対西鉄戦では8イニング2/3投げ、西鉄を2安打無失点に押えた。
六年間という長い間胸の中に描きつづけた初勝利だけに、西村はこみ上げるものがノドをつまらせ、何を聞いてもただうなづくだけ。やがて「最近調子がよい。スライダーをおぼえたので、公式戦へ出られるようになった」といった声は、聞き取りにくいほど小さかった。西村が南海入りしたのは三十六年の六月。三十八年にアメリカへ野球留学したほど、金の卵とみられていたが、直球がスピード不足のため、二軍生活にあまんじていた。今シーズンは南海投手陣不振のためにリリーフやつなぎ役として登板しているうちに認められ、初先発の十五日の対西鉄戦では8イニング2/3投げ、西鉄を2安打無失点に押えた。
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