1959年
日本のプロ野球はまず草野球なみと豪語していたアレキサンダーは三回でKOされ、みじめなデビューだった。ベンチに引っ込んだこの老投手は、アメリカ人にしては表情の少い話しっぷりで「日本のストライク・ゾーンは米大リーグと違い、高低が辛すぎる。とくに低めのギリギリを全部ボールにされたのは痛かった。まだ捕手との呼吸も合ってないせいもあるけどね。山内に打たれたのは内角の直球で0-3だから打つと思わなかった。コンディションは決して悪くないんだが、どうもスピードが出なかった。とにかくきょうは最悪のピッチングだった」と首をひねっていた。 ・・36歳という年齢からみてもあまり期待は持てそうも無いが、松木コーチの話によると「いいスライダーを持っている」とのことで、井野川球審も「いいナックルが一つ、二つあった」と語っていた。結局日本のストライク・ゾーンになれれば・・ということらしいが「こんなはずではなかった」という関係者の声もあった。