1973年
昨年暮れ、十二月中旬の入団発表で足利から来阪した新幹線の車中のことであった。同行した足利工・樋口監督にこう話しかけた。スポーツ紙を見て、ちょうど仲根(日大桜丘ー近鉄)のことが大きく報道されているのを「東京と僕ら田舎ものの差かもしれませんね」と。人気のことをいったのだ。一見、おとなしそうな裏側に「実力で勝負だ」というひびきがこもっていた。「仲根君や、鈴木君(成東高ー中日)には絶対に先を越されるものか」年末からほとんど休みなしで走り続けているその顔に「初勝利へ一番乗りだ」の心意気が満ちあふれている。自宅の栃木県田沼町自宅の周辺の野山は自然のトレーニング場で、さらにたくましく伸びようとしている。「プロ野球はきびしいところです、キャンプから後れを取っては声援してくれる先生や父、家族にかっこうが悪いですからね」自主トレーニングをめざし、さらに足、腰を強くするため鍛錬に懸命だ。恵まれたからだの中で、もっとも自慢できるのはその足と腰のたくましさ。自宅から学校まで往復22㌔の山道を自転車通学。「最初の一念はやっぱり辛かったです。二、三年にはなれて苦にならなくなりましたけれど…」樋口監督も強調する三年間の無遅刻無休が体力と心の養成に今後もどれほど役立つことだろう。昨夏の甲子園大会では一回戦名護高に5-4で完投勝ち。この試合の八回、一死、一、三塁のピンチのマウンドで終戦記念日の黙とうが行われ、その一分間で自己を取りもどし切り抜けたのが印象に残る思い出の一つ。二回戦では中京高の巧いバント戦法に0-4で敗れたが、投げ降ろす速球の威力は各球団から注目されるのに十分だった。かつて投手王国の阪急も米田の年齢とともにその看板もすっかり薄れてきたいま、久しぶりに入団した本格派の金の卵に球団が描く夢はむろんでっかいものだ。丸尾編成部長の期待と注文はこうだ。「上背もあり、肩も強いし立派な素材です。球が速いのがなんといってもすばらしい魅力。カーブの角度が甘いこと、シュートをマスターすることなど、勉強も多いがその好素質は今季最高だとわたしは思っています」胸幅99㌢という見事なもの。がんばり屋というタイプはなんだか米田に似通っている。第二の米田と球団が力コブを入れているのもうなずけるのである。