早島町の街ウォーキングを続けます。
金比羅詣往来で賑わった現在の県道を歩いていると、「いかしの舎(や)」に出会います。
「いかしの舎(や)」は、早島が「い草」で栄えて時代の問屋の町家の寺山家の建物(明治末期建築)を改修して、
文化交流の拠点として、蘇らせた施設と言う事です。
外観はなまこ壁の展示室、長屋門、喫茶室、研修室、茶室などが整備されています。
電柱の陰になっている処の長屋門の格子戸の所から入ります。
和室の縁側や和風の庭園。 竹坪庵と言う茶室の屋根は藁屋根です。
この「いかしの舎(や)」は、色々な催し物なども行われているようで、私が行った時は、
呉服屋さんが母屋の座敷を借り切って、着物の展示会をしていました。
そのほか、3月22日(日)には 「いかしの舎 お座敷狂言」が開催されるようで、切符は売切れですと書かれていた。
お役所は建物を建てるが、その後の利用については考えていない事が多いが、早島ではそんな事が無いのだろう。
県道は、昔は四国に渡る為の道だったのでしょうが、今は高速道や国道が整備されているので、
早島のこの県道を走る車は、町の人の車が多いようでたまにしか来ない。
その道路の両側には、中々良い雰囲気の家が建っている。 どっしりとした蔵。
タバコ屋さん。 タバコ屋さん。
県道からちょっと入った所に、藁屋根の家がある。まだ、屋根は綺麗です。
藁屋根がある大邸宅。
擬洋風建築の理髪店。もう廃業しているとの事。
棟のレリーフ。柱型の飾り。西洋に憧れたのでしょう。 入り口のアーチ。
これも、擬洋風建築の理髪店。上の建物と同じ設計者だろう。
町指定重要文化財・建造物「清澄家住宅」明治41年建築の洋風2階建住宅で、
町内に残る唯一の明治洋風建築との事。
洋風建築は少しありましたが、私の好きな洋館付き住宅は見つけることが出来ませんでした。
しかし、早島町はまだ町中にも藁屋根の家が残っているし、戦前に建てられた和風建築が、
良く手入れされた状態で残されていた。
その様な建物が町並みを作り、小さな町ではあるが、豊かさが感じられる町を感じました。
友人が言った「古い建物の町並みが在る」は充分にみる事が出来ました。
早島町があまり他所には知られてはいないのはいい事で、このままに静かな町で在り続けて欲しい。
「風格がある往来ロマンのまち早島」が早島町のキャッチコピーです。
金比羅詣往来で賑わった現在の県道を歩いていると、「いかしの舎(や)」に出会います。
「いかしの舎(や)」は、早島が「い草」で栄えて時代の問屋の町家の寺山家の建物(明治末期建築)を改修して、
文化交流の拠点として、蘇らせた施設と言う事です。
外観はなまこ壁の展示室、長屋門、喫茶室、研修室、茶室などが整備されています。
電柱の陰になっている処の長屋門の格子戸の所から入ります。
和室の縁側や和風の庭園。 竹坪庵と言う茶室の屋根は藁屋根です。
この「いかしの舎(や)」は、色々な催し物なども行われているようで、私が行った時は、
呉服屋さんが母屋の座敷を借り切って、着物の展示会をしていました。
そのほか、3月22日(日)には 「いかしの舎 お座敷狂言」が開催されるようで、切符は売切れですと書かれていた。
お役所は建物を建てるが、その後の利用については考えていない事が多いが、早島ではそんな事が無いのだろう。
県道は、昔は四国に渡る為の道だったのでしょうが、今は高速道や国道が整備されているので、
早島のこの県道を走る車は、町の人の車が多いようでたまにしか来ない。
その道路の両側には、中々良い雰囲気の家が建っている。 どっしりとした蔵。
タバコ屋さん。 タバコ屋さん。
県道からちょっと入った所に、藁屋根の家がある。まだ、屋根は綺麗です。
藁屋根がある大邸宅。
擬洋風建築の理髪店。もう廃業しているとの事。
棟のレリーフ。柱型の飾り。西洋に憧れたのでしょう。 入り口のアーチ。
これも、擬洋風建築の理髪店。上の建物と同じ設計者だろう。
町指定重要文化財・建造物「清澄家住宅」明治41年建築の洋風2階建住宅で、
町内に残る唯一の明治洋風建築との事。
洋風建築は少しありましたが、私の好きな洋館付き住宅は見つけることが出来ませんでした。
しかし、早島町はまだ町中にも藁屋根の家が残っているし、戦前に建てられた和風建築が、
良く手入れされた状態で残されていた。
その様な建物が町並みを作り、小さな町ではあるが、豊かさが感じられる町を感じました。
友人が言った「古い建物の町並みが在る」は充分にみる事が出来ました。
早島町があまり他所には知られてはいないのはいい事で、このままに静かな町で在り続けて欲しい。
「風格がある往来ロマンのまち早島」が早島町のキャッチコピーです。