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南北朝(日本)時代と漫画家・車田正美先生の作品を瞑想する部屋。

【太平記】-第3回『風雲児』-(1)

2009年05月24日 17時23分31秒 | 大河ドラマ『太平記』(1991年)

元亨4(1324)年9月。京の上杉憲房(藤木悠)の屋形。
はるばる鎌倉から上京したかわいい甥っ子、足利高氏(真田広之)を前に座らせて、「かかる家門」である上杉のことを延々と聞かせるおっちゃんは清子の兄、つまり高氏の伯父です。

(憲房)「そもそも上杉家は、式乾門院の蔵人(くろうど)にして修理太夫重房が、建長2年―――」
(家臣)「おそれながら」
(憲房)「ん?」
(家臣)「建長4(1252)年にござりまする」
(憲房)「ん?」
(家臣)「4年でござりまする」

大丈夫か、おっちゃん。
高氏は退屈でしかたがない。その彼も、蹴鞠の話を延々と聞かせて同僚をシラけさせています。間違いない。血だ。
憲房が咳き込んだ隙に高氏はあくび、縁に控えていた一色右馬介(大地康雄)は餅を一気食い。バカ、おまえ、なにやってんだ、と高氏が懐紙を丸めて放ると、右馬介はそれで口のまわりを拭いました。嬉しそう。

(右馬介)「いやぁ、さすが京にござりまするなあ。あの餅は粉熟(ふずく)でござりましょう。甘葛(あまづら)の味がなんとも甘露で、いくつ食べても食べ飽きるということがござりませぬなあ。鎌倉ではまず口に入らぬ珍味じゃ」

市女笠。被衣(かつぎ)。物売り。高氏は帯ををちょっと巻きつけたり、店(たな)をひやかしながら市中をぶらぶら。

(高  氏)「右馬介、今日は? どこへ行くつもりじゃ」
(右馬介)「は、はいはい」

京の観光、実は高氏よりも右馬介の方がノリにノッてるんです。手製の「マ×プルマガジン」まで作ってツアコンに忙しい。昨日は清水寺、八坂、蓮華王院へ行ったから、上杉さまお薦めの建仁寺なんかどうですか・・・でも、若殿さまは寺社めぐりに飽きました。彼は人を見たい。京で生きる老若男女の様子が気になる。
右馬介がくんくん嗅いだ「良き匂い」の正体は牛車に乗った美人の尿(しと)だった・・・なんてオチもありましたが、群がる人々に目を留めた高氏は、あれはなんだ、と訊ねました。

去年は雨が少なく、不作で米価が高騰した。そこで帝が商人から米を買い入れ、「一斗=100文」という定価で売らせている、とのこと。こういうことをしたわけです。

(右馬介)「上杉のご家来衆が申されておりました。今の帝は英明ただならぬお方だ、と」

鎌倉の宮将軍はただいるだけのお飾りでした。京の帝はそうではないのか。
ふぅん、なかなかやるなあ、民のため、というのがいいなあ・・・なんとなく思った高氏が、ぶつかった山伏の姿になんとなく謎のイケメン山伏を思い出して、そうだ、醍醐寺行こう、と閃いた時にはもう右馬介とはぐれていました。

(高氏)「右馬介ーっ!」

ええ、迷子です。この人を野放しにしたら危ないっちゅうのに。
しょうがないので、高氏はたった1人で醍醐寺(※01)を訪ねました。源海さん、いますか?
※01:京都府京都市伏見区。貞観16(874)年、真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子、聖宝理源大師が醍醐山上に草庵を結び、准胝・如意輪の両観音像を彫って堂宇に安置したのが始まり。真言宗小野法流の根本道場。下伽藍にある金堂の本尊は薬師如来(『醍醐寺三寶院』案内より)。

通された部屋の壁にかかった胎蔵曼陀羅をしげしげと眺めたりするうちに、人の声がして、彼はそろそろと庭へ出るのですが・・・会ってしまいましたねえ。

当今の帝(片岡孝夫)に。37歳。諡(おくりな)は「後醍醐」。

略装の衣冠か直衣(のうし)でしょうか、白い袍に紅の衵(あこめ)が美しい。プライベートな行幸であることがうかがえます。

  • 権中納言・花山院師賢
  • 左兵衛佐(すけ)・四条隆資
  • 小野の僧正、文観

がやって来たので、3人に向かって歌をしたためた扇をヒコーキのように飛ばすと、帝の魔送球は左にふぃん、90°曲がって隠れていた高氏がキャッチしました。ノーコンです。

(師賢)「あなや! 帝の御前ぞ。方々、ご用心あるべし」

さ、さ、さ、と扇や袖で顔を隠した3人の方がよっぽどあなや。
始めいぶかしんだ帝は、じ、と高氏を見つめて微笑み、2度うなずきました。1度目は見知らぬ武家の青年に害意がないことを見抜き、2度目は闖入は不問に付す、と伝えたような感じです。大きくて、懐の深い人を高氏は見た。
帝は立ち去りましたが、文観(麿赤児)達が、誰だおまえ、どこへ行く、と詰め寄ってきました。思わず扇で顔を隠す高氏。
そこへ蔵人頭(とう)・日野俊基(榎木孝明)が現れて、友達なんで、と助け舟を出しました。高氏が伊勢へ参った分、こっちの帰京が早かったんでしょうけどフットワークが軽すぎます。
帝御製の歌は文観が所望したもの。

  • “いそぐなる秋の砧(きぬた)の音にこそ、夜寒(よさむ)の民の心をも知れ”

これ、もしかしたら「倒幕のGOサイン」じゃないでしょうか。
四条隆資(井上倫宏)や文観が、得たり!得たり!と大喜びで去っていくのを、なにあの人達、と見送った高氏と、俊基のここからが命を懸けた「詮なき話」となります。
ずばり、倒幕。
クーデターを起こして鎌倉を討ち、政(まつりごと)を正す。

(俊基)「帝がここまで思いつめられるには、さまざまな仔細がござる。なれどその根本は、北条殿が己の栄華のためによろずの民を蔑ろにし、人としての誇りを奪い去ったということです」

ぎええ。聞いちゃなんねぇことを聞いちまったぜ、と高氏が密室で焦っても、もう遅い。
公家は武力を持たない。諸国をめぐって志を同じくする武家を探っていた俊基は、

  • 鎌倉の新田義貞
  • 河内の楠木正成

が、足利が動けば源氏は動く、源氏が動けば天下は動く、というプランを持っていることを明かしました。
騙されたと思って、その楠木正成に会ってください、すぐに行きましょう。
どんどん話が進む。こうやって「いい人」は、見るだけ見るだけ、触るだけ触るだけ、とかなんとかそそのかされて悪徳商法にハマるんでしょうか。しかも、羽毛布団や健康食品と違ってクーリングオフが効かないのに・・・。

再び、上杉屋形。
高氏とはぐれた右馬介がとりあえず戻ると、胴丸を着けた六波羅の武士がうじゃうじゃいて、知り合いらしい「忍」の大蔵(団巌)に、これから日野俊基をパクるぜ、ぐふふふふ・・・とささやかれました。いつもニコニコしている右馬介のコネクションもむっちゃ怪しいです。
クーデターはバレている。今、俊基と行動をともにしている高氏が連座させられたら足利家は潰されます。
そうとも知らず、2人は醍醐寺から櫃川沿いに馬を飛ばして淀ノ津(※02)へ。その後を8騎の六波羅勢が追う。
※02:京都府京都市伏見区。

(続く)


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