当時、畿内のロジスティクス(logistics)はどうなっていたのでしょうか。ぶっとい淀川水系を挙げると(現在の河川名で表記)、
桂川―┬―鴨川 琵琶湖
| |
――淀川――▲―宇治川―――瀬田川―┘
|
└―木津川―――――┬―柘植川
| |
└―名張川 └―服部川
|
└―宇陀川
▲は男山(岩清水八幡宮)。
高氏と俊基が向かった淀ノ津は▲のちょっと手前、宇治川と木津川が合流するあたりで、今はない巨椋池の出口。水路、陸路の要衝です。
物流は止まらないから物「流」なのであって、
- 人
- 物、船荷証券(BL)、金銭
- 情報
が集散を繰り返す。そのネットワークを差配する一族が登場しました。その名は楠木党。
*
(俊基)「西国諸国から運び出された年貢、米や木材、塩、魚。よろずのものは瀬戸の海を通り、淀川を上り、この淀ノ津に集められまする。ここを中継ぎの地として京のみやこや大和、畿内各所に散ってゆくのです。淀ノ津は、荷が通る仁王門です。楠木殿の一党は、云うなればこの仁王門の主(ぬし)じゃ」
俊基は荒っぽい港湾の活気が好きらしい。高氏も楽しそうです。
柏木という金貸しが、蔵人さま、と寄ってきました。「一条さま」に貸した金が1,000貫文+利子500貫文、利子の分だけでも返してほしいので、「一条さま」の領地、土佐から運ばれたヒノキ500貫を押さえさせてくれ、楠木さまに口添えしてくれ、と。利子が50%に膨れるってどんなローンよ。
ヒノキは興福寺に寄進されたもの。それを「北条殿の身内で悪名高い」柏木は、舟ごとかっぱらう、という暴挙に出ました。借上人対興福寺。ちょっとした合戦になってしまいました。
そこへ颯爽と現れたのが正成の舎弟、楠木正季(赤井英和)です。馬上の正季は大音声で、
(正季)「その方ら、この市をなんと心得る。蔵の荷も舟の荷も手をつけること相ならんわ。舟は楠木殿の舟、蔵は楠木殿の蔵。荷主より預かった品々、北条の手の者とはいえ手は触れさせんわ!」
信じられない光景を高氏は見た。興福寺の衆徒はおろか、荷役に従事する民衆までが、帰れ、出ていけ!とシュプレヒコールで「北条」を追い払ってしまったのです。
これはなんだ。西国でなにが起こっている。
正季は俊基に、ここは六波羅のスパイがうようよして普通じゃないから早く逃げろ、と忠告しました。
高氏も石を投げられて、餅をほおばる右馬介に気づきました。やつはタイホされます、なんで知ってる、それは後で、と急かされ、それでも高氏の中で俊基はすっかりナイスガイのカテゴリに入っていて、放っておくことができません。馬を駆って六波羅勢に襲われた俊基を救出しました。タンデムで柵を跳び越える馬術は必見です。
楠木党が六波羅勢を阻み(正季がカッコいいぜぇ)、まんまと追っ手を振り切った俊基は高氏の肩をたたいて、は、は、は、と高笑い。思わぬ形で「北条」に一泡吹かせた高氏と、「無位無官だが畿内随一の武士」である正成の邂逅はおあずけとなりました。
夜。「佐々木判官」の京屋形。
ものものしい洛中を抜けて、俊基が高氏に会わせたのは近江源氏の佐々木高氏(陣内孝則)。
近江守護で、京では検非違使を任じています。29歳。
ここがもう伏魔殿みたいなところで、右半身が赤、左半身が黒に金をあしらったわけわからん直垂の男が女や僧をはべらせて、假屋崎省吾もびっくりの大胆な立花(りっか)に熱中。要するにフラワーアレンジメントです。
(高氏)「足利殿は、花はお好きか」
おっと、同じ「高氏」で区別がつかないや。まだ出家してないけど「道誉」にします。
(道誉)「立花というものは、四方何方(いずかた)より眺めても見事な姿に作らねばならぬ・・・それが実に難しい・・・うまくゆかぬわ!」
気に入らない花を抜いて、ばっさばっさと投げ捨てる。
赤は南、黒は北。よく見ると金は梵字っぽい。なんだろう、不動明王(カーン)かな。こんなん→に似てる。
これは明らかに南北朝の動乱を生き抜いた道誉のポリシーです。
(道誉)「各々の花が美しゅうてもそれはただの花よ。この壺のすべての花が、そのすべてとして美しゅう見事な姿に形作られねば、立花の甲斐がない」
個の美しさの先にある、全の美しさ。それを追わない者の美はただ1人、ただ1代の夢に過ぎない。
(道誉)「されど。凡俗のそれがしに神仏の創り給うた花が超えられようか・・・そこがおもしろい。おもしろうて立花は止められん! ははははは!」
ネジのはずれたヘンな人と思うなかれ。
南北朝時代になると、造り付けの床の間の原形である押し板ができて、たて花も一定の形式が成立した。佐々木高氏(京極道誉)が相伝したという『立花口伝之大事』によると、三具足の花は本木とよばれる木物に「したくさ」とよばれる草花を付して一瓶を構成するものであり、(以下略)。
『いけばなの起源 立花と七支刀』(中山真知子/人文書院)
立花には「七枝」という型があり、北に向かって↓を置きます。
七(天長地久)
|
六 \|/ 五
四 \|/ 三
二 \|/ 一
|
右 □ 左
前
この形は七支刀を映し、根本は北辰(北極星+北斗七星)信仰、「天子が北に居て南面する」思想にあるという。道誉は世直しの話をしているのです。
新しい七枝が要る。足利高氏、新田義貞、日野俊基、楠木正成、佐々木道誉・・・個々の花を立て、個々の花に立てられる七枝が。四方(よも)美しい、バランスのとれた心(しん)が。
それは帝か。それとも。
道誉は、そのバランスがなかなかうまくいかん、だからこの世はおもしろい、婆沙羅にやったる、と企んでいるわけです。
うひゃあ、いいねえ。形勢に乗じてあっちへこっちへ立ち回る日和見主義者のイメージがあるけれど、ちょっと違うんじゃないかな。彼は善悪を超えた次元の「なにか」に準じて行動しているのかもしれません。わくわくしてきた。
道誉もまた、北条の世は長くない、とにらんでいて、それどころか、すでに畿内の有力な武士には「打倒北条」の綸旨(※01)が発せられている、というトップシークレットを曝しました。
※01:天皇の言葉を最もよく直接的に伝える形式の文書。1028年(長元1)の後一条天皇綸旨(写し)が最古のもの。平安初期以来の宣旨にかわり中期以降多く用いられる。特に建武の新政では綸旨が絶対的であるとされ、南北朝時代に非常に多く出された(『中世史用語事典』新人物往来社)。
(道誉)「腐った花を切って美しゅう立て直す時が来ておるのよ」
ははははは、とまた豪快に笑って、
(道誉)「足利殿、覚悟召されよ。もはや古い大樹にしがみついて生きおおせる世ではない」
今夜は外に出たら危ない、後で送るから、と道誉は高氏を帰さない。立板に水、1人でとーとーと喋り、俊基に置いていかれた高氏を接待漬けにし始めました。
その接待というのが、花夜叉(樋口可南子)一座。
(道誉)「この花夜叉はの。わしが死ねと申せば、今すぐにでも死ぬ女よ。花になれと申せば花にもなる。のう、花夜叉」
道誉は彼女の芸能もひっくるめたパトロンというわけですね。気に入ったら好きにしてもいいよ、だの、Let’s 倒幕、とかヤバいことばっかりほのめかされて高氏はますます喋れない。助けて、右馬介。
ましらの石(柳葉敏郎)は黙って鳴り物を鳴らしていますが、おもしろいはずがない。どうやら花夜叉も高氏を憶えているようです。高氏が「足利高氏」と知れた。この時、ひとさし舞った白拍子の藤夜叉(宮沢りえ)に彼が惹かれたことを花夜叉が読んで、
(花夜叉)「藤夜叉、これへ」
はっと石が視線を走らせます。でも、どうしようもありません。切ない。
(高 氏)「舞いながら、なにを考えておる」
(藤夜叉)「早く、終わらぬかと」
(高 氏)「早く終われば、楽になるか」
終われば眠り、夢を見られる。昔や、遠い先のことを。あの世のことを。
で、酒が過ぎて酔いつぶれ、気がついたら切燈台の灯が1本だけ、几帳の内に2人っきり。
(藤夜叉)「今宵はお守りいたすよう、おおせつかっております」
こうなったら「据え膳食わぬは男の恥」です。どうも藤夜叉の方が高氏に惚れてしまったらしい。消えた灯を点そうとした高氏の右手を、冷たい、と云って小袖の胸もとに差し入れ・・・あわわ、おもも・・・まあ、なるようになってしまいました。
早朝。
目覚めた高氏の傍に彼女の姿はなく、紙ふぶきが床に散って宴の跡ばかり。しん、と静まりかえった屋形の中から塀越しに高氏が見たものは。
赤地に白の「三つ鱗」。
4,000の六波羅軍が動いた。これが「正中の変」。どうなる倒幕派、どうする高氏。いつ、家に帰れるんだあ。