猫とパチが全て

猫とパチンコに溺れる日々を、おもいつくまま書きなぐっております。うちの子自慢と、おバカ度100%のパチンコ日記です。

思い出の中の猫

2005年09月21日 | 
この季節になると、特に思い出すのは、
物心ついた時から側に居た猫のこと。

死んでしまったのは、丁度20年前の今ぐらいの季節だった。

20年も前だというのに、なんでこんなに鮮明に思い出すんだろう?

ほんと自分でも不思議だ。

それくらい自分にとって、とってもとっても大事な存在だった。
名前は「チャコ」
祖母は「チャぺ」と呼び、私は「にゃおちゃん」と呼んでいた。

木登りも得意で、高いところまで登っていた。



にゃおちゃんは、歳をとってからも自由に外出している猫だったが、毎日家には帰ってきていた。毎日私が帰ってくるのを、外の階段で待っていてくれた。
寒い季節は一緒の布団で眠った。

そんなにゃおがちゃんが、丸三日間家に帰って来なかった。
そんな事は初めてだったし、その時にゃおちゃんは14~15才だったから、家族は「猫は死期が近づくと姿を消すから・・・」と言っていた。
でも私は信じたくなくて、帰ってきて欲しくて、深夜まで外でにゃおちゃんの帰りを待っていた。

そしたら願いが通じたのか、4日目の昼に、にゃおちゃんは帰ってきた。

私は嬉しくて嬉しくて、泣きながら喜んだ。
「もうどこにも行くな」と語りかけた。

だけど、その夜にまたにゃおちゃんは出かけて、そしてそれっきり、いくら待っても帰って来なかった。
また待っていたら帰ってきてくれるんじゃないかと、深夜まで外で待っていた。
膝を抱えて、泣きながら、祈りながら見上げた空には、大きな月がかかっていたのをはっきりと覚えている。

けれども願いむなしく1週間後、近所の家の作業小屋で、にゃおちゃんが死んでいるのが発見された。

まるで自分の半身を失ったような悲しみと喪失感だった。
愛しい者を永遠に失った、その言いようの無い悲しみが、今でも鮮明に思い出される。

普段はその悲しみはもう心の奥底にあって、思い出だすことも少なくなった。
でもこの時期だけは無性に思い出す。

在りし日のにゃおちゃんの姿を。







あれから20年もたち、自分の中で思い出が美化されている部分もあると思う。
だけど今思っても、にゃおちゃんと自分の絆は確かな物だったと信じている。

一度戻って来てくれたのは、私の祈りが通じたからだとも信じている。

にゃおちゃんは、
思春期の不安定な自分を支えてくれた、かけがえの無い存在だった。
この先も、忘れえぬ思いとなって一生自分の中に残ると思う。

小さくとも、言葉を持たなくとも、この子達は愛情をもって接すれば愛情でもって返してくれる。
私たちの素晴しいパートナーになり得るんですよね。

昨日から動物愛護週間。
だからというわけではないけれど、改めて認識しました。