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プルースト「失われた時を求めて スワン家のほうへⅠ」(高遠弘美訳)
2016年01月09日 / 本
マルセル・プルーストの長編小説「失われた時を求めて」、その第一篇「スワン家のほうへ」の第一部「コンブレー」。書籍版だと全14冊のうちの1冊目(約300ページ)を読み終えただけなのに、自分には訪れないとずっと考えていた読書体験の一区切りがやってきました。
世界屈指の名著であると言われているにも関わらず、その読みにくさから多くの断念者を生んできた小説。私もその一人というより、取り掛かることすらできずに始めの数十ページで中断してきました。
今回、高遠弘美氏の簡潔で芳醇な翻訳とキンドルというツールのおかげで、この長編の序章を幸せな気分で読み終えることができました。
この本の読みにくさは、飛躍する記憶・思考・博識、自然や建築物の描写などが長く複雑に絡み合っているからであると書かれていたし、私もそう感じていましたが、内容よりも翻訳のまずさ、これまでのものは文章がボンヤリし過ぎていたのが理由であることが分かりました。
高遠氏のコンパクトに区切るクリアな翻訳で、失われた原文の持ち味、ニュアンスもあるかもしれませんが、読者の中にくっきりと作者が見たものと同じ心の風景を蘇らせてくれます。
その上で、この小説が好きになるかどうか、それは読者の好みです。翻訳者の前口上に、この本がフランスで刊行されたのは1913年11月、パリの本屋でこの新刊本を手に取り、パラパラと眺める、何か感じて読みたいと思えば3フラン50サンチームを支払って家路を急ぎ、読み始める、これは一体何なんだろうと読み進めるうちにだんだん魅了される、それが読書であり、それがなくてどうして最後まで読み続けられるのか、とあります。
この本のまわりには、読み終えることを目的に全体の概要を理解したり、比較的読み易い章を先に読むことを勧めたりなど指南に溢れています。そうではなくて、1913年のフランス人同様に虚心坦懐にこの小説を味わってほしいという翻訳者の願いがこの小説を蔽っていた靄を取り払ってくれました。
プルーストやその時代に生きた人達とは、バックグラウンドが違うので、長く続く、教会など建築物や自然、教養の描写で読みにくいところはありますが、プルーストの文章の美しさ、イメージの豊かさに酔いしれるようになると分かりにくい箇所も苦になりません。そして、ところどころに出てくる人間の描写が鮮明で強い印象を与え、先のストーリーに期待を持たせます。この冒頭部分が最も読みにくい難所だと言われているようなので、この先はもっと読み易いのかもしれません。
一旦、この世界にどっぷり浸れると、読書がところどころで途切れても、すぐにこの世界に戻れます。キンドルであれば、どこでも気軽に読めるので尚更です。
前回チャレンジしたのが、鈴木道彦訳で始めの2冊をまだ持っていました。それぞれ5千円近くする単行本で1996年、1997年のものです。あれから19年。当時、いつの日か電子書籍で読み終えるなんて勿論想像すらできません。
高遠訳はまだ4冊しか刊行されていないようでこれから続きます。私もずっと読むことになるのか、それとも途中でお休みするのか分かりませんが、プルーストを満員電車の中で読むようになるなんて、こんなこともあるんだなと驚きです。次は第二部「スワンの恋」です。
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