An Awfully Big Adventure(1995)
リバプールの16才の女の子が、役者を目指して劇団員になり、成長して行く物語。赤毛の初々しいケルティック・ホワイトのステラを、ジョージーナ・ケイツが演じます。彼女はやると決めたら弱音を吐かず、頭も切れる女の子。劇団の大人の世界に戸惑いながらも持ち前の勇気と度胸で、人生を学んでいきます。
ヒュー・グラントはステラが思いを寄せる、ゲイの劇団ディレクター役、細身の服に高笑い、なかなかの悪者で、ヒューのキャラクターとしては珍しいのでは?悪魔ぽくて魅力的です。
この映画、一般には随分と評価が低い様ですが、私はとてもいい映画だと思います。ギリシャ悲劇を思わせる人生の残酷さと赤裸々な現実を、演劇という人生の縮図のような世界を舞台に、少女ステラの成長を通して描くドラマであり、「ハッピーエンドではないから」「結末が残酷だから」「後味悪いから」とこの映画を敬遠する方は、ハッピーエンドの映画でないとだめですか?劇団の裏のごたごた人間模様なんぞ、そもそもマニア向けなんですから・・・主役のケイツも、ヒュー・グラントも、アラン・リックマンも皆素晴らしい。この映画、確かに最後の落ちは万人受けではないかもしれません。あの結末はショックです。しかし、真実が明らかになれば、映画の細部すべてに意味があったことが明確になります。結果としてアラン演じるオハラの行動や感情の伏線が生き、ストーリーに陰影を与え、アランの演技に深みを与えていることを評価するべきです。この映画は2度見て下さい。その伏線の巧みさに気が付くはず。ステラがなぜ女優になりたいのかの理由。そして、アランの、初見では絶対見のがしてしまうような微妙な表情に「そういう訳なのね・・」と納得してしまいます。(写真の表情とかね!)
この映画の完成度とアランの演技の素晴らしさは、アラン・リックマン出演映画の中でトップ3に入ると思います。正直、見終わったあと丸一日は打ちのめされ、仕事も手につかない状態でした。あの結末でよかったのか、ほかに道はなかったのか・・・思い出すとむっ胸が苦しい!しかしそれがこの映画の意図。
この映画は、フェリーニ監督の「道」、ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、「奇跡の海」などと同じく、あまりに悲惨な結末を迎える映画でありながら、どこかに微かな人生への希望を感じ取れる映画。人生とは時にあまりに残酷、しかしそれでも精一杯生きる事の意味を考えさせられます。そこが好き嫌いの別れるポイントでしょうか。見終わった後、なにも考えさせない映画なんて、つまらないと思いませんか。
オハラは(もろアイリッシュ・ネイムです)見つかるはずもない行方不明の彼女と息子を探して、毎日バイクを走らせる、舞台俳優。私の見たアランの映画の中でも、大変魅力的な役だと思います。御得意の舞台シーンもお見事。オハラはステラに恋をしますが、彼女は別の人を思っています。これもまた可哀想で胸が詰まります。最後に驚愕の真実を知ってしまった時のアランの演技は、正にこの映画のハイライト。見ていてこちらも気が遠くなりそう。海に向かって叫ぶシーンなんてアラン思いきり涙目です。オハラ君は真実を知ったまま生きるより、この結末で良かったんだ・・行方不明の彼女を思い続ける純粋な心を持った彼にとって、余りに辛い現実。しかし可哀想な役です。
なんとなく見た目も一途さもClose My Eyesのシンクレアに似てますが、こちらのアランのほうが可愛いです。あざらしのゴマちゃんみたい。もこもこのバイク用つなぎ姿なぞ可愛すぎ!動きもひょこひょこしていて、夢見る万年青年って感じ?
見ながら「このリバプール、どう見てもダブリンだよ!」いもむしバスまで走ってるし。最後のクレジットでダブリン・ロケと判明、納得です。シアターにも見覚えがあります。ダブリンのオリンピア・シアター。良く歩いた道です。今度行ったらアランが「ステラァァァ!」と叫んだ場所を探してみたりして。
リバプールの16才の女の子が、役者を目指して劇団員になり、成長して行く物語。赤毛の初々しいケルティック・ホワイトのステラを、ジョージーナ・ケイツが演じます。彼女はやると決めたら弱音を吐かず、頭も切れる女の子。劇団の大人の世界に戸惑いながらも持ち前の勇気と度胸で、人生を学んでいきます。
ヒュー・グラントはステラが思いを寄せる、ゲイの劇団ディレクター役、細身の服に高笑い、なかなかの悪者で、ヒューのキャラクターとしては珍しいのでは?悪魔ぽくて魅力的です。
この映画、一般には随分と評価が低い様ですが、私はとてもいい映画だと思います。ギリシャ悲劇を思わせる人生の残酷さと赤裸々な現実を、演劇という人生の縮図のような世界を舞台に、少女ステラの成長を通して描くドラマであり、「ハッピーエンドではないから」「結末が残酷だから」「後味悪いから」とこの映画を敬遠する方は、ハッピーエンドの映画でないとだめですか?劇団の裏のごたごた人間模様なんぞ、そもそもマニア向けなんですから・・・主役のケイツも、ヒュー・グラントも、アラン・リックマンも皆素晴らしい。この映画、確かに最後の落ちは万人受けではないかもしれません。あの結末はショックです。しかし、真実が明らかになれば、映画の細部すべてに意味があったことが明確になります。結果としてアラン演じるオハラの行動や感情の伏線が生き、ストーリーに陰影を与え、アランの演技に深みを与えていることを評価するべきです。この映画は2度見て下さい。その伏線の巧みさに気が付くはず。ステラがなぜ女優になりたいのかの理由。そして、アランの、初見では絶対見のがしてしまうような微妙な表情に「そういう訳なのね・・」と納得してしまいます。(写真の表情とかね!)
この映画の完成度とアランの演技の素晴らしさは、アラン・リックマン出演映画の中でトップ3に入ると思います。正直、見終わったあと丸一日は打ちのめされ、仕事も手につかない状態でした。あの結末でよかったのか、ほかに道はなかったのか・・・思い出すとむっ胸が苦しい!しかしそれがこの映画の意図。
この映画は、フェリーニ監督の「道」、ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、「奇跡の海」などと同じく、あまりに悲惨な結末を迎える映画でありながら、どこかに微かな人生への希望を感じ取れる映画。人生とは時にあまりに残酷、しかしそれでも精一杯生きる事の意味を考えさせられます。そこが好き嫌いの別れるポイントでしょうか。見終わった後、なにも考えさせない映画なんて、つまらないと思いませんか。
オハラは(もろアイリッシュ・ネイムです)見つかるはずもない行方不明の彼女と息子を探して、毎日バイクを走らせる、舞台俳優。私の見たアランの映画の中でも、大変魅力的な役だと思います。御得意の舞台シーンもお見事。オハラはステラに恋をしますが、彼女は別の人を思っています。これもまた可哀想で胸が詰まります。最後に驚愕の真実を知ってしまった時のアランの演技は、正にこの映画のハイライト。見ていてこちらも気が遠くなりそう。海に向かって叫ぶシーンなんてアラン思いきり涙目です。オハラ君は真実を知ったまま生きるより、この結末で良かったんだ・・行方不明の彼女を思い続ける純粋な心を持った彼にとって、余りに辛い現実。しかし可哀想な役です。
なんとなく見た目も一途さもClose My Eyesのシンクレアに似てますが、こちらのアランのほうが可愛いです。あざらしのゴマちゃんみたい。もこもこのバイク用つなぎ姿なぞ可愛すぎ!動きもひょこひょこしていて、夢見る万年青年って感じ?
見ながら「このリバプール、どう見てもダブリンだよ!」いもむしバスまで走ってるし。最後のクレジットでダブリン・ロケと判明、納得です。シアターにも見覚えがあります。ダブリンのオリンピア・シアター。良く歩いた道です。今度行ったらアランが「ステラァァァ!」と叫んだ場所を探してみたりして。
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大映 |
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