謎の天才肌のアーティストFRANK(マイケル・ファスベンダー)に率いられたスコットランドの無名アート系バンドに偶然参加することになったジョン(ドーナル・グリーソン)。ジョンは彼なりにバンドの活動を助けようとするが、バンドを有名にしようとすればするほどバンドは崩壊していく・・アーティなバンドあるあるが満載でアート系インディ音楽好きは特に楽しめる、イギリス・アイルランド合作のユーモラスで風変りだが繊細な音楽コメディ映画。
お面を被ることで社会性を保つFRANK。彼はかたくなに面を脱がず、寝る時もシャワーもお面のまま。風変りを通り越して完全に変なのだが、豊かな音楽の才能と知性、子供のように純粋でまっすぐな心を持ち、なぜか関わる人々の心を癒すのである。無表情なお面がだんだんと人間らしく見えてくるから不思議だ。そのピュアネスが引き起こす音楽フェスの晴れ舞台で彼が取る行動はツボすぎて忘れられない名場面。
この映画を観終わってある出来事を思い出した。何年も前、実家の裏に一匹の痩せた猫が住み着いたことがあった。その猫が一匹の子を産むと、その子猫が野良猫として生きるのを不憫に思った母は子猫を捕まえ、貰い手の女性を見つけてきて子猫を譲った。一か月経った頃、母がその貰い手に連絡すると、その女性は親に子猫を飼うことを反対されたので子猫の譲り先を探しているところだというのである。母はすぐにその子猫を引き取りに行った。家に帰り、連れて帰った子猫が鳴いた。すると待っていたかのように外で親猫が返事をした。親猫の声に方向に走りだす子猫を母はドアを開け外へ出し、狂ったように再会を喜ぶ親子猫を見て無言でドアを閉めた。私も何も言わなかった。何も言わなくても母はもう子猫の貰い手を探すつもりがないのが分かっていた。苦労の多い野良で生きるより人に飼われた方が猫にとって幸せだと思うのは人間の勝手なエゴだということを、喜び合う親子猫を見た時に私は悟り、無言でドアを閉めた母も同じ心境だった事は間違いなかった。
映画のラスト近く、再会したメンバーの前でFRANKが歌を歌うシーンでこの子猫の一件を思い出したのである。彼の人生は他人や世間から見れば苦労が多く常識から外れた生き方かもしれない、でも本人にとってそれは快適とは言えなくとも安らぎをもたらし彼が彼らしさを発揮できる唯一の生き方。どんなに馬鹿げて見えてもFRANKの本当の居場所は音楽と、彼の音楽を理解し自らも音楽的才能を持つメンバーと共有する世界の中にしかない。普通の人と同じ生活を送れるよう治療を受け、音楽的才能を世間に正当に評価されることが彼にとって幸せだと決めつけることは私たちのエゴでしかないのだ。映画の最後、彼は本来属すべき場所に帰った。お面があろうと無かろうと、彼は彼らしく生きる自由がある。それを見届けたジョンは無言で去っていく。親猫に駆け寄る子猫を見たときの母と同じく、そこに言葉は必要ない。
お面を被ることで社会性を保つFRANK。彼はかたくなに面を脱がず、寝る時もシャワーもお面のまま。風変りを通り越して完全に変なのだが、豊かな音楽の才能と知性、子供のように純粋でまっすぐな心を持ち、なぜか関わる人々の心を癒すのである。無表情なお面がだんだんと人間らしく見えてくるから不思議だ。そのピュアネスが引き起こす音楽フェスの晴れ舞台で彼が取る行動はツボすぎて忘れられない名場面。
この映画を観終わってある出来事を思い出した。何年も前、実家の裏に一匹の痩せた猫が住み着いたことがあった。その猫が一匹の子を産むと、その子猫が野良猫として生きるのを不憫に思った母は子猫を捕まえ、貰い手の女性を見つけてきて子猫を譲った。一か月経った頃、母がその貰い手に連絡すると、その女性は親に子猫を飼うことを反対されたので子猫の譲り先を探しているところだというのである。母はすぐにその子猫を引き取りに行った。家に帰り、連れて帰った子猫が鳴いた。すると待っていたかのように外で親猫が返事をした。親猫の声に方向に走りだす子猫を母はドアを開け外へ出し、狂ったように再会を喜ぶ親子猫を見て無言でドアを閉めた。私も何も言わなかった。何も言わなくても母はもう子猫の貰い手を探すつもりがないのが分かっていた。苦労の多い野良で生きるより人に飼われた方が猫にとって幸せだと思うのは人間の勝手なエゴだということを、喜び合う親子猫を見た時に私は悟り、無言でドアを閉めた母も同じ心境だった事は間違いなかった。
映画のラスト近く、再会したメンバーの前でFRANKが歌を歌うシーンでこの子猫の一件を思い出したのである。彼の人生は他人や世間から見れば苦労が多く常識から外れた生き方かもしれない、でも本人にとってそれは快適とは言えなくとも安らぎをもたらし彼が彼らしさを発揮できる唯一の生き方。どんなに馬鹿げて見えてもFRANKの本当の居場所は音楽と、彼の音楽を理解し自らも音楽的才能を持つメンバーと共有する世界の中にしかない。普通の人と同じ生活を送れるよう治療を受け、音楽的才能を世間に正当に評価されることが彼にとって幸せだと決めつけることは私たちのエゴでしかないのだ。映画の最後、彼は本来属すべき場所に帰った。お面があろうと無かろうと、彼は彼らしく生きる自由がある。それを見届けたジョンは無言で去っていく。親猫に駆け寄る子猫を見たときの母と同じく、そこに言葉は必要ない。