毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

人権の神顕現か?

2005-04-23 00:18:38 | 人権擁護法案
人権擁護法案が自民党法務部会で古賀に一任されたと与謝野自民党政調会長が裁定し平沢部会長もこれを容認したと報道されました。昨日の時点で法務部会の了承はおろか一任も取り付けられないと見た古賀は部会の一任を取り付けたと勝手に宣言して部会室から逃走しました。その上で手練手管にものをいわせ政調会長から部会の一任を取り付けたというお墨付きを得たわけです。こんなことを許すなら事後的に形式的に手続を践んだことにすれば何をやってもよいというといになりますがもちろんそれは間違いです。法律に違反しなければ何やってもいいじゃんという堀江某の考え方よりもたちが悪い。そのようなことは支那韓国朝鮮では通用しても我が日本国では通用しませんしさせてもいけません。人権保障の歴史の大部分は手続き保障の歴史だったといいます。適正な手続きの保障が人権保障にとっていかに重要かということを人権の歴史は教えています。人権擁護を名乗る法案の審議手続きにおいて露見した手続き無視。歴史に照らせば手続き無視とは即ち人権無視。ここに古賀などの人権擁護法案推進派の本性が炙り出されたといえましょう。これこそまさに人権の神のなせる業。戦後猛威を振るった外来の人権の神は日本の八百万の神を無視して暴れ放題。日本古来の八百万の神は大いに顰蹙していたものでした。しかし60年の時を経てようやく人権の神も日本化して日本の八百万の神の一員として重要な地位を占めようとしています。そしてそれがこのたび顕現したのかもしれません。しかしこれから人権の神をしっかり位置づけ祭るのは我々の仕事です。決して人権の神を人民民主主義一派に渡してはなりません(談)。

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