毛唐もすなるブログといふものを

日本男児もしてみむとてするなり

法律からの人権保障

2005-05-31 00:00:00 | 人権擁護法案
人権擁護法案の最大の問題点は、言うまでもなく、その法律による人権侵害の危険です。この法案を推進している連中の言い分は、要するに「法律による人権保障」ということです。しかし、それより上位の概念として「法律からの人権保障」というものがあります。すなわち、「法の支配」です。人権擁護法案にはこの「法律からの人権保障」という観念がすっぽり抜け落ちています。

「法の支配」の観念は英米法の中で発展したものです。しかし、それ以外の諸国でも、「形式的法治主義(*1)」のもとで起こった「法律による人権侵害(*2)」に対する反省から、第二次大戦後は多くの国で「法の支配」とほぼ同様の内容を持つ「実質的法治主義(*3)」に移行しました。我が国も戦前の「形式的法治主義」から「実質的法治主義」ないし「法の支配」へ移行しました。このことは日本国憲法の「違憲審査権(81条)」や「憲法の最高法規性(96条)」等に現れています。
 (*1)形式的法治主義=議会の制定した法律の内容を問わない法治主義
 (*2)その例として、改正・治安維持法とその運用など
 (*3)実質的法治主義=議会の制定した法律の内容の合理性を要求する法治主義

人権擁護法案騒動で明確になったことは、我が国における「法の支配」の観念の未熟です。その未熟に乗じてパリ原則を曲解した「人権擁護法案」なるものが提出されそうになるのです。もちろん我が国における「法の支配」の観念は外国から戦後移植したものですから、それを日本民族が自分のものとして位置づけるのには時間がかかります。日本の文化とのすり合わせが必要なのです。ですから、根付くまでの間は特に不埒な輩への監視が必要となります。

人権擁護法案推進派は、日本に「法の支配」の観念が根付いていないことをいいことに、昔懐かし「形式的法治主義」の法案を提出している不埒な輩です。こういうときに普段から知識人を気取っているマスコミは、その問題点をしっかり報道して日本に「法の支配」が根付くように庶民を啓蒙しなければいけないはずなのに、あろうことかアサヒは一緒になって推進しているという始末ですし、毎日も(多分讀賣も)マスメディア条項が削除されればOKのようです。つまり、マスメディアに規制がかからなければ個人の発言者がどうなろうと知ったことではないということでしょう。

欧米でどのような制度が出来ているかというと、緩やかながらマスメディア規制は存在するのに対して、個人の情報発信者をその言論ゆえに人権委員会が規制しているところはほとんどありません。つまり、欧米では「表現の自由」に対する公権力による規制を原則許しませんが、社会権力であるマスメディアについては例外的に規制を設ける場合があるということです。しかし、その場合も政府組織による規制ではなく自主規制的なものにとどめるのが一般です。つまり日本のマスメディアは自分に都合のいい外国の例のみを報道し、欧米で個人の情報発信者はマスメディアより保護されていることをほとんど報道していないということです。

日本のマスメディアは産経を除き軒並みサヨクで、サヨクはご都合主義者ということがこういうところにもよく現れています。

1 コメント

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Unknown (やばい!)
2005-05-31 11:48:59
や、やばい!緊急連絡!!



「国籍条項盛り込み調整へ 人権擁護法案で自民 」

http://www.sankei.co.jp/news/050530/sei098.htm
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