シリウス日記

そうだ、本当のことを言おう。

概要の2・飯山市の皿川氾濫に見る問題点の検討

2021-08-25 00:29:12 | 日記

さて「概要の1」ではいろいろな全体状況を報告したのだが、このページでは「皿川樋門が開いていた」と言う事について重点的に書いていくことにします。

河川事務所の主張

「その3」、「その18」で述べたように「河川事務所は樋門は閉めたが飯山市には連絡をしていない」と言っています。

そうして「ミスがあった、とするならば連絡が不十分であった事のみである」旨の発言になっています。

しかし「それではいつ河川事務所が飯山市に正式に樋門を閉めたと連絡したのか?」という質問に対する答えは河川事務所も飯山市も口を閉ざして語る事はありません。(注1

そうして「樋門を閉めた事の証拠」として「委託樋門操作員から提出された」と河川事務所は主張している「操作報告書」を、「情報開示請求があったので、いやいやながら」出してきました。

その報告書についての検討結果は「その9」、「その11-1~2」、「その12」、「その13」、「その14」、そうして市内に氾濫した水量を計算した報告「その25-4~5」で報告されています。

河川事務所が出してきた報告書を検討した結果は「報告書は作文であり、実際に皿川で起きていた状況とは一致していない」と言うものになります。(注2

・河川事務所が提出してきた操作報告書に致命的なミスが見つかった事

河川事務所が提出してきた報告書では「皿川の市内への氾濫がおさまった」後に「皿川のゲートを上げ」て「排水ポンプ車もそこでの作業を終えた」としていますが、「皿川のゲートを上げた」とされる時刻の1.5時間以降にわたって「確実に皿川からの氾濫水が市内に流れ出していた事」が確認されました。

さて、この事は「河川事務所が提出してきた報告書は作文である」という事の「重要な裏付け」となります。

注1(2021/9):河川事務所は特に皿川樋門を閉めた時刻を飯山市には連絡していない、と飯山市は市議会答弁で答えています。しかしながら同様の市議会答弁で「13日の2時過ぎに河川事務所と委託契約を結んでいる樋門操作員から電話連絡があった」と答えています。つまり河川事務所からの連絡はなくとも操作員からは連絡があった、と飯山市は認めているのです。そうしてこの事実はマスコミに対しては公開されていません。(プレスリリースには明示されていません。)

注2(2021/9):河川事務所が出してきた報告書が事実と合っていない事については以下の記事を参照願います。

14・「河川事務所の報告は成立していない」の1  

15・「河川事務所の報告は成立していない」の2 

16・「河川事務所の報告は成立していない」の3

皿川樋門が開いていた証拠

他方で「皿川樋門が開いていた証拠」にはどんなものがあるのでしょうか?

・「その9」には「千曲川から逆流している水の状況が分かる写真・動画」が掲載されています。

・「その15」では皿川左岸側に越水した氾濫水がその場所に残した泥の状況と、その後に右岸堤防が決壊し、それにより皿川ダム湖の水位が低下し、左岸側への越水は止まるのですが、千曲川からの泥水の逆流は継続して発生しており、その泥水が「お宮下の市道を冠水させ」ました。その水が引いた後にその場所に残った泥の状況が比較、検討されています。

最初に左岸側に越水した泥水は皿川上流域から流れてきたものでした。そうしてお宮下道路を冠水させた水は「皿川泥水+千曲川泥水」という事になります。

それで「この2つの泥の道に対する残り方」は全く違っており、そうして又「市役所周辺に残った泥」は「お宮下の市道に残った泥」と全く同じで「本当にひどく粘着力のある、千曲川の花泥」でした。つまりこの事は「千曲川の泥水が市役所まで流れ着いていた=市内全域を埋め尽くした」という事を表していることが分かります。

・「その20」では2004年から2019年までに飯山を襲った4つの大雨についての分析が行われています。

そこで書かれている内容は10年以上前の2つの事例では「皿川樋門は閉められてポンプ車による排水作業が行われ、皿川の氾濫は防止された」ということです。

しかしここ10年間の事例では2つあるのですが、一つは「2017年 10月23日 台風21号」であって、この時は「皿川樋門は開けっ放しで皿川氾濫は起こらなかった」という結末でした。

だが、2019年の台風19号では、それまでの10年間は大丈夫であった「皿川樋門開けっ放し」と言うやり方が通用しなくて、皿川が氾濫した、という事例となていることが示されています。

追記(2021/9):皿川樋門が開いていた事の詳細については、以下の記事を参照願います。

13・飯山水害 皿川樋門は開いていた :

・・・皿川樋門のゲートが降りていなかった、という決定的な、直接的な画像がありました。・水門の閉鎖、国伝えず 長野・飯山の皿川、堤防決壊 (中日) : https://www.chunichi.co.jp/article/39265 <-写真をクリックすると拡大できる。皿川で排水作業中のポンプ車1台、確認可能。ちなみにこの画像は昼ごろ飯山市がとばしたドローンによるもの。

拡大画像で皿川樋門を見てください。ゲートが降りていない事が確認できます。分かりにくい時は150%に拡大しましょう。・・・

城山のポンプ場と栄川樋管について

・それから「その27-1~2」、「その28」では栄川樋管のゲートが開きっぱなしであった、という事について書かれています。

そこでは「情報公開請求によって栄川樋管が開けっ放しである事が通常の形である」という情報が公開されるのですが、その情報が公開される前に当方が樋管の状態を観察した事による結果として「この樋管は長年、閉じられたことがない」という結論に至ったことが論じられています。

そうしてその事は後日公開された飯山市の情報によって裏付けされる事になりました。

この事がなぜ重要であるか、といえば「樋門・樋管の状態を観察することで、その稼働状況が分かってしまうから」です。

その様な目で皿川樋門を見るならば「台風19号ではこの樋門は使われなかった」という結論に至るのでした。

追記(2021/9):「栄川樋管が開いていた事が飯山水害の原因の一つである」という我々の主張を否定する飯山市のお話については、以下の記事を参照願います。

参考資料 補足4・「Yさんは何を言ったのか?」の3 :・「栄川樋管が開いていたのが飯山水害の原因だ」という「うわさ」(?)を飯山市が否定する為の質問をする山崎市議。こうして飯山市は今までは市民に対して説明する事がなかったポンプ場についての詳細情報を公開せざるを得ない羽目に追い込まれた。

戸狩地区の浸水被害の発生=日光川樋管の左ゲート半開きによるもの

「その33-1~3」ではとがり地区の氾濫について述べられています。

このとがり地区の状況がなぜ重要であるか、といえば、「その場所で過去に発生した氾濫の原因が日光川樋管の左側ゲートが途中で引っかかっていて半開き状態であった事にある」という事が確定できたからです。

日光川樋管の左側ゲートが半開きであったことは「今年(2020)の7月豪雨の時の日光川樋管のライブカメラ映像で確認され記録されました」。

そうして、その事を指摘した当方の連絡によってその不具合は修正された模様です。

さて、では何故それまで誰も気が付かなかった「左ゲート半開き」に当方が気づいたのか?

事前に日光川樋管を訪れ、観察した当方の目には、栄川樋管、皿川樋門に見られた「使われていない状況」がそこで確認できていたからです。

そうであればまた逆に栄川樋管の実例、日光川樋管の実例をもって「台風19号襲来の折、皿川樋門は閉じられてはいない」と言い切る事が出来るのです。

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以上の記事の内容詳細については以下のリンク先から確認する事が出来ます。

飯山市の皿川氾濫に見る問題点の検討・一覧