「河川事務所の報告は成立していない」の2

2021-06-28 19:10:20 | 日記

市役所の13日時点での皿川氾濫の認識は「千曲川水位上昇によるバックウォーター(逆流)が発生した為」

『・飯山市からの報告(10月13日) : https://archive.fo/pl709 :18:00現在バックウォーター(逆流)が発生〜飯山市下水道課からの報告
なお、令和元年10月13日18:00現在の「長野県災害対策本部の長野県環境部」が取りまとめた「ライフライン復旧の対応状況」の「市町村下水道施設等の対応」の飯山市からの報告には
〇飯山処理場 ポンプ施設の機能停止
①現状
 ・千曲川水位上昇によるバックウォーター(逆流)が発生。
 ・これにより、飯山処理場の有尾中継ポンプ場他マンホールポンプ施設3ヶ所が機能停止。
と報告され記載されています。
 ここにも、千曲川水位上昇によるバックウォーター(逆流)が発生。
と明記されています。』

これが17日発表のプレス発表 第一報になると「皿川樋門が閉まっていた為」と変化します。

さて14日以降17日プレス発表までの間に飯山市と河川事務所、そうして委託樋門操作員との間でどのような会話がかわされたのでしょうか?

分かる事はその結果、「千曲川水位上昇によるバックウォーター(逆流)が発生した為」という理由は取り下げられ代わりに「操作員が樋門を閉めた為」となりました。

それにしても不思議ですよね。以下に述べられている様に「13日の2時に樋門操作員から樋門を閉めた」と言う連絡が飯山市にあったなら、飯山市下水道課が上記の様な報告を長野県にあげる、とはとても思えません。

ゲートを降ろした時刻が報告資料によって違う事

飯山市報告のプレス発表資料

令和元年台風19号台風関連災害経過報告
https://www.city.iiyama.nagano.jp/assets/files/senryaku/press/1017iiyama.pdf

 10 月 17 日午後 4 時現在 の報告では

『10 月 13 日(日) 2:00 頃 皿川樋門(国管理、委託管理者から2:00 に閉鎖したとの報告があり)』と書かれてある。

これは河川事務所と皿川樋門の操作委託契約をしている担当者から飯山市に2時過ぎに「 (皿川樋門は)2:00 に閉鎖した」と連絡があった事を示している。ちなみに後日の飯山市議会の答弁でも飯山市はその事を認めている。(注1


令和元年台風19号関連災害経過報告【第2報】
https://www.city.iiyama.nagano.jp/assets/files/senryaku/press/1028iiyama.pdf

 10 月 28 日(月)午前 10 時現在のこの報告では

『2:00頃 皿川樋門閉鎖(国管理、操作員から 1:44 に閉鎖したとの報告があり) 』と書かれている。

飯山市への委託樋門操作員からの電話は2時頃で、ただし閉鎖時間が2時から1時44分に前倒しされた。

さてこれはどうしてでしょうか?

2時に樋門を閉めた、とするとその時の外水位は6.69m。河川事務所によればこの時の内外水位差はせいぜい20センチ。そうすると内水位は6.89m。

さて正確には2時15分にM建設前道路を皿川ダム湖の水は越えたのでした。そこを超える水位は内水位で8.5m。(注2

そうするとたかだか15分で1.61mも皿川ダム湖は水位を上昇させた、という事になります。そうして皿川ダム湖の容量を考えたばあい、そうして上流からの流れ込み水量を勘案すれば、「これはどう見てもあり得ない数字である」という事になり、それでゲート閉鎖時間が16分前倒しされた、つまり「ゲートを閉めてから皿川ダム湖が満水になるまでの時間を稼いだ」と言う次第であります。

・・・と言うように「いろいろとご配慮された方がいた事」が分かります。

「皿川樋門ゲートを再び開いた時刻は何時でした?」という「簡単な質問」なぜ河川事務所は答えないのか?

10月13日に皿川が氾濫・堤防が決壊しました。

それで10月下旬に河川事務所に「何時にゲート閉めたの」と聞いたら2~3日で返事が返ってきて「13日の1時44分だ」という事でした。これはプレス発表第2報(28日)の答えそのものでした。

それで「じゃあ今度はいつゲートを開けたの?」と聞いたのです。そうしたら返事が返ってきません。11月中旬まで都合4回ほど催促をふくめて「教えて」と聞いたのですが一向に返事がありませんでした。

樋門操作員がゲートを降ろした時間を河川事務所に伝えているならば同時に開けた時間も伝えているはずで、答えるのは簡単なはずですが一向に答えが戻ってきません。

どうしてでしょうかねえ、河川事務所さん? そこで以下の報告書の出番となる訳です。この報告書は日立在住のMさんが情報公開請求によって12月24日頃までに入手されたものです。

・情報公開請求によって河川事務所から提示された皿川樋門操作記録:https://archive.fo/NOD6b  : https://archive.fo/ffrn2

これをみると委託樋門操作員は10月28日に報告書を書き上げ11月1日までに報告書を河川事務所に提出している事になっています。

さてそうであれば河川事務所は11月に入ってから2回も催促があった「ゲートを再び上げた時刻」についてはゲートを降ろした時刻を即刻回答したように簡単に回答できたはずですが、そうはしなかったのです。

なぜでしょうねえ、河川事務所さん。

それは実は10月28日に操作員によって書き上げられた、としている報告書は実はMさんからの情報公開請求に答える為に12月中旬以降に誰かが書き上げたものであるからです。

そうであれば11月中に問い合わせがあった「ゲートを開いた時刻」についてはまだ報告書が出来ておらず、回答が出来なかった、というよりはその時までは河川事務所としては「そんな質問は無視」としてダンマリで押し通すつもりでしたね。

でもMさんからの情報公開請求がありました。それでそれまではダンマリで押し通すつもりでしたが、そうはいかなくなったのでした。

・・・そういう訳でこの件につきましては本当にご愁傷様でありました。

 

さてそれで、仮にゲートが降りていた、としよう。その場合にはゲートを上げるタイミングというのは今回の場合は本当に重要であり、そうして又難しい。

と言うのも皿川右岸堤防は決壊しておりそこから市内に泥水が流出しているのだから、まずはその流出が止まるまでは排水ポンプ車はそこで皿川の水を千曲川に排出しなくてはならない。

同時にゲートは千曲川の泥水が皿川に流れ込むのを止めていなくてはいけない。

ただしその場合に千曲川の水位が十分に下がったならばゲートを上げて皿川の水を千曲川に自然流下させながら、なおかつポンプ車による排水も継続する、それはつまり「一刻も早く皿川の水の市内への流出を止める事が第一優先である」という事です。

そのような状況に至ったかどうか、そのような時には実際には樋門操作員と排水ポンプ操作員は話し合いながら判断を共有して作業をする必要がある。


そうしてその判断の難しさは栄川樋管を再び開ける事になったタイミングに見る事ができる。あの場所でも排水ポンプで排水をしながら栄川樋管の内水ゲートを開けるタイミングを計っていた。そうして実際に内水ゲートを開けたのは14日の1時45分であった。

その時をもってようやく市内に流れ出していた泥水は排水ポンプによる排水だけではなく、栄川樋管が開通した事によって市内に氾濫した水は千曲川に自然流下できるようになったのである。


さてその様に実際に難しい判断をしなくてはならない「ゲートを開けるタイミング」であれば、「後から机の上でその時刻を決める」というのは「本当に至難の業である」とだけここでは指摘しておく事にしよう。

そうしてまたその事が、河川事務所が「ゲートを開けた時刻については出来る事ならばダンマリで通したかった理由」でもあるのです。

 

注1: ・参考資料の2 : ・飯山市議会議事録から 国が飯山市に水門を閉めた という連絡を入れなかったのがまずかった という河川事務所と飯山市の主張の不自然さについての考察。実際は樋門操作員から2時過ぎに市役所に連絡が入っていた事を飯山市が認めている。

注2:10/13 02:15皿川の高水福祉会側に越水が始まったので市役所に通報 : https://archive.fo/lEUqK :楽農家さんのこの通報から今回の一連のドタバタ劇、あるいは悲劇がはじまったのである。

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台風19号 飯山水害の研究・一覧