前のページでは「皿川樋門が開いていた」という「実際に起こった事」の状況を見ていただいた。さてそうなると「河川事務所が出してきた報告書はどうなるんだ?」という事になる。
・情報公開請求によって河川事務所から提示された皿川樋門操作記録:https://archive.fo/NOD6b : https://archive.fo/ffrn2
ここに挙げた樋門操作記録なる「一枚の紙きれ」が「皿川樋門が閉まっていた証拠だ」と河川事務所も飯山市もそう主張する。そうして本当にそれ以外の証拠は何もない。
この記録が公開されるまでの経緯も疑問点が多々あるがそれは後回しとして、なぜ飯山市と河川事務所が「今回も皿川樋門は開けっ放しでよい」と判断したのか、その理由を見ていこう。
1.なぜ飯山市と河川事務所が「今回も皿川樋門は開けっ放しでよい」と判断したのか?
といってもその事はすでに議論しつくされており、結局の所は以下の結論となるのでした。
『・そうして2017年の台風の時を含めてここ10年間は皿川樋門は開きっぱなしであっても結果的には何の問題もなかった・・・
↑
千曲川河川事務所からの回答
https://minkara.carview.co.jp/userid/2158429/blog/43569920/ : https://archive.fo/aO0Sf
より
『質問2.以前はポンプ車と監視員の設置をしてから閉門だったのに、今回からポンプ車設置しなかった理由も教えて下さい。』
↑
従来(H18年まで)は皿川樋門を閉じる時には常にそこには排水ポンプ車が待機していた、という証言になっています。
そうして、そのような手当をしないまま樋門を閉めたのは今回が初めてである、と言っています。<--「その8」より引用』
つまり「ここ10年ほどは大丈夫だったから、今回も大丈夫だろう」という「甘い予測が原因」です。
この件、より詳細な検討内容については : ・その8・合理的な検証抜きで、経験則のみに頼っている飯山市と河川事務所の判断ミス
皿川樋門開きっぱなし対応の限度は千曲川水位が8.0mまで。 :を参照願います。(注1)
2、なぜ排水ポンプ車が「樋門を閉めた」とする時刻に皿川にいなかったのか?
この事については飯山市も河川事務所からも「十分に納得のできる説明」は今までありません。
そして飯山市は「ただそういう経緯だった」というだけです。
そうして河川事務所の返答はもっとひどいものです。「排水ポンプ車については自治体からの依頼を受けてこちらが総合的に判断し出動させる」、つまり「飯山市から依頼がなかったから皿川には事前に配置していない」というものです。つまり「樋門はこちらの判断で勝手に閉めるが、その後何が起こっても知らない」といっているのですよ、河川事務所は。(注2)
まあ「建前上はそうなっています」が実際は河川事務所と飯山市はお互いに相談しながら水防にあたる、現にそうやって相談し合意ができていましたから、戸狩の日光川や今井川には事前に排水ポンプ車が3台も用意されていました。(注3)
とまあ、そういう訳で飯山市も河川事務所も「今回もまた皿川樋門は開けっ放しで行く」で合意できていた、したがって排水ポンプ車の事前配置はなかったのでした。
3.河川事務所の報告にある「樋門を閉じた時刻」が他の樋管・樋門に比べて圧倒的に遅い件
河川事務所と飯山市の事前合意が「皿川樋門は閉める」で合意できていたとしたら、まずは排水ポンプ車がそこに準備されていたであろう、という事は上記で指摘した通りです。
それに加えて常識的に考えられるゲートを降ろす時刻、それが皿川樋門では全く無視されており、報告によれば「相当に遅いタイミングでおろされた」という状況になっている事を指摘しておきます。
ゲートを降ろした時刻 皿川位置に換算した時刻
宮沢川樋門 12日の20時25分 12日の21時08分
広井川樋門 12日の22時05分 12日の21時30分
今井川樋管 12日の23時30分 12日の22時50分
皿川樋門 13日の1時44分
「皿川位置に換算した時刻」と言うのは「千曲川の水の流れを考慮した場合にこうなる時刻」ということであって、それはつまり「それぞれの樋門、樋管を皿川の位置に持ってきたらその時刻に下した事になる時刻」ということになります。
宮沢川樋門の出口の底の深さは堤防天端を基準にした時に皿川樋門と同程度の位置にあります。そして宮沢川樋門では底から2.7m程に水位が到達したときにゲートを降ろしたのでした。
つまり「千曲川の水位上昇をうけてバックウオーターが発生し宮沢川の水位が上昇するのだが、その上昇程度を樋門出口側で計った時に宮沢川樋門では2.7m程で閉じた」という事になります。
次に広井川樋門です。
この樋門の出口の底は皿川樋門よりも低い所にあります。そうであれば本来はその分早めにゲートを降ろしてもいいのですが、この樋門では少し遅めのゲート降下を選んでいる様です。
それに対して今井川樋管の出口の高さは皿川樋門に比べて相当に高い所にあります。それはつまり「千曲川のバックウオーターの影響を受けにくい」という事になります。
しかしながらその今井川樋管でさえ皿川換算時間で12日の22時50分にはゲートを降ろしているのです。
さてそれで「以上の3つの樋門、樋管のゲート操作が標準的である」とするならば、皿川樋門は遅くとも22時30分ごろにはゲートを降ろす事になります。
そうしてその時の水位は樋門出口の底から3.81mの所になり、つまり「外水位3.8m程度までにゲートを降ろすのが常識的なゲート操作である」という事になるのです。
それに対して河川事務所が報告してきた「ゲートを降ろした時の外水位は6.23m」。堤防を貫通している樋門のトンネルの上端より1.6mも水位が高くなってから樋門を閉めた、としています。
そうであればこの水位までゲートを降ろさずに樋門を開けっ放しにする、と言うのは本来は異常であり、非常識な事なのです。(注4)
そうして、なぜこんな非常識な報告を出す事になったかといえば、「本来は樋門は開けっ放しで何事もなく台風19号は通り過ぎていくはずだった」というのが飯山市と河川事務所の読みだったからです。それでゲートは開けっ放しにしていた。
しかし残念な事にそれが見事にはずれてしまい、皿川が氾濫・決壊してしまった。その時に「実はゲートは開いていました」とは河川事務所は言う事はできない。そんな事を言えば大変な事になります。
したがって「ゲートは下した。その為に皿川は氾濫した」という事にした。そうなると「いつゲートを降ろしたのか」を聞かれる事になる。それで次の様にしたのです。
皿川が氾濫した。その時刻は公称で13日の2時20分。(この数字は正確には13日の2時15分。)
そうして楽農家さんが13日の1時には「皿川の水は千曲川に流れていた」と報告している。そうなると皿川樋門を閉めたのは1時から2時15分のあいだに設定するしかない。
それで選ばれた時刻が1時44分であって、その時にゲートを降ろした、としたのでした。
ちなみに広井川樋門と今井川樋管のゲートがおろされた時刻については : ・その10-1・今回初めて排水ポンプ車の事前準備なしで皿川樋門を閉じました。 :を参照願います。
宮沢川樋門については : ・参考資料の5 : を参照ねがいます。ゲートの閉開時刻についての記述は一番最後にあります。
注1:関連する検討内容は以下のページにあります。
・その6・木を見て森を見ない飯山市と河川事務所の対応
皿川堤防の耐えられる限界を知らなかった、知ろうとしなかった飯山市と河川事務所。
・その7・なぜ2年前の台風では皿川樋門は開きっぱなしでよかったのか? ーー>「その8」
2年前はピーク水位が8mであり、この値が皿川樋門あけっぱなし対応の限界値。
10年ほど前までは台風の時は皿川樋門を閉じてすぐに排水ポンプ車で排水をしていた。
・その20・過去の3つの災害事例と今回の台風19号事例についての要因分析
千曲川の水位の上昇タイミングと皿川上流域にいつ、どの程度の最大降水量が発生したかがポイントとなる。
そのような複合タイプの基準で皿川の状況を判断しないと今後も判断ミスをすることになる。
注2:千曲川河川事務所からの回答
https://minkara.carview.co.jp/userid/2158429/blog/43569920/ : https://archive.fo/aO0Sf :にある内容を確認願います。
注3:ポンプ車の事前準備状況については次の記事を参照願います。 : ・その10-1・今回初めて排水ポンプ車の事前準備なしで皿川樋門を閉じました。
「千曲川堤防に危機が迫っているので皿川樋門を閉めた」と主張する河川事務所の説明には相当な無理がある。
そうして当方の主張は「皿川樋門は閉じられなかった」であり、河川事務所の主張とは真逆です。
今回の飯山皿川の悲劇は「妥当な水防計画を飯山市が立てる事ができなかった」という事にすべて起因しています。
注4:それぞれの樋門・樋管には内外水位計が付けられている。もちろんその数値はゲート操作室で確認できる。そうしてその水位計の測定範囲は樋門・樋管の堤防を貫通しているトンネルの上端までである。
そうであれば「その測定範囲内でゲートを降ろすのが通常のゲート操作である」と河川事務所は考えているのである。
さてそうでなければ河川事務所がわざわざ樋門・樋管に内外水位計を付けて水位が分かる様にしている意味が無い事になります。
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