おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


とてもすいていた頃の鎌倉

2022年05月21日 03時56分00秒 | お出かけ
2ヶ月前の鎌倉行きを書こう書こうと思いながらズルズルと今日まで。

その頃の鎌倉はコロナ禍の影響で
びっくりするほど空いていたのだ。




平日とはいえ、大仏の前にほとんど人がいなかった。




駐車場はどこもガラガラで安いところ選び放題。
客待ちの方に申し訳なく感じたくらい。

今は少しずつ以前の混雑を取り戻してるようで、まぁなんというか、
県民としては嬉しいような、もう行けない!
ような。



感染予防のため大仏の胎内は拝観中止していた。




鎌倉歴史文化交流館。
この日の目的は大仏様とここだった。

世界的に著名な建築家ノーマン・フォスター氏が設計した建物を美術館にリノベーション。
鎌倉駅から古我邸方面にのんびり歩いて10分ほどの距離。

2017年開館と日が浅い上に日曜祝日が休館日のせいかまだ認知度が低く、いつでも空いているようだ。

2ヶ月前のこの時は
広い館内に私たち含め3〜4組の客しかいなかった。
とても贅沢。
でもちょっと淋しい。



2ヶ月前の展示。
現在は北条氏展vol.2を開催中。




写真撮影は基本自由。
趣向を凝らしたクールな空間。
美術館というよりは、お金もちの邸宅に招かれてアートを鑑賞している気分。








ここには大正時代に岩崎弥太郎氏の別荘が建っており、
庭に鎌倉時代のやぐらと大正時代のやぐらが混在している。



お庭。お掃除中だった。



3つ並んだやぐら。
なぜ岩崎氏はわざわざやぐらを掘ったのかしら。





交流館のある地はかつて安達盛長を祖とする安達一族の館や菩提寺があったところで、
発掘された池の遺構が交流館横の遊歩道に移設保存されている。


「鎌倉殿の13人」で常に頼朝を支える癒し系従者、好感度バッチリの安達盛長。
有力御家人が次々と排除される中、彼の子孫は幕府内で確固たる地位を築き上げていく。

だが頼朝の死からおよそ90年後の弘安8年(1285)
御内人筆頭の平頼綱によりついに安達一族も滅ぼされてしまう。
霜月騒動と呼ばれるこの出来事は、幕府内で御家人が粛清された最後の事件であり、
大河ドラマ「太平記」ではこの事件から物語が始まった。