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おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


和留沢の釜石丁場跡

2022年05月06日 23時24分00秒 | 小田原のいろいろ
前回の和留沢の続き。

私は秘境和留沢に自然観察と石丁場見学に行く、と書いたのですが
それは何ぞやと申しますと


駐車場にある説明板。


駐車場から川を渡ってすぐのところに釜石丁場がある。



以前はこの案内板もあったのだけど、
壊れたのか移動したのか今は見当たらない。
これがないと何がなんだかわからないんじゃないかな。

釜石は地名ではなく、かまどに使う石という意味。



駐車場の前にかかってる橋。


川は水量が多い時期は綺麗だけど今はちょっと…



こんな山道を登って行く。



ハイキングに行く方は右へ。
私はまっすぐ。



どんどん歩いて行く。



突然眼下に現れる苔に覆われた巨石。
ここが釜石丁場跡。





写真では絶対に伝わらないこの迫力。
神秘的でジブリっぽい世界。まさに秘境かも。



危険な箇所もあるので奥には行ったことがない。



神奈川県内の主な石材産地は箱根や伊豆に近い西部に集中している。
だから小田原で暮らす者にとっては石丁場跡は身近な史跡だ。意外とあちこちにある。
早川石丁場なんぞは数年前に国指定史跡になった。

その中でも和留沢の釜石丁場はちょっと他と違う、不思議感というか異世界感というか、やっぱり秘境だ。
今後もこの状態が長く保存されてほしい。



さて、釜石丁場のある林は鬱蒼としてるので
シダや苔が多く育っていて観察が楽しい。
私はシダ愛好家の端くれで(たぶん)シノブ系の鉢や苔玉を作ったりするのが好きだ。

シダや苔以外にも珍しい草花を見つけられる。



最近は近所で見かけなくなったキランソウ


昨年の秋に撮ったマルバフジバカマ

明治時代に強羅公園の植栽品から広がった外来種。
箱根ではすっかりおなじみだそう。




小田原の秘境 かもしれない和留沢

2022年04月29日 22時47分00秒 | 小田原のいろいろ

久野舟原から2㎞以上先、標高400mという小田原市内で最も高い山地に和留沢という集落がある。

市民でも地名も聞いたことのない人が多いかもしれない。
失礼ながら秘境と言ってもいいんじゃないかと、そんな自然いっぱいの山奥にある小さな集落だ。


舟原でさえかなりのどかな地域なのにさらに山深い場所になぜ集落が?

実は和留沢は戦後開拓地なのである。
 
1945年(昭和20)に復員者、疎開者、戦災者、引揚民など35戸が入植。
しかし厳しい環境や様々なトラブルにより5年後には25戸が脱農。

もともと和留沢は悪沢と書き耕作には向かない土地。入植者に農業経験者は少なく、また営農サポートもほとんどなかったので次々と脱落した。
全国の他地域の戦後開拓地に比べ和留沢は決して成功とは言えない残念な結果になってしまった。


それでも残った10戸未満の人たちで結束し、新規入植者を受け入れながら集落は存続した。



 昭和28年1月 小田原市報より

入植後8年経って分校(久野小学校明神分校)ができている。
それまで4キロ以上離れた久野小学校まで山道を通っていたなんて危険すぎる。子供がいる入植者は心配が絶えなかっただろう。

この記事から昭和28年には22戸75名が暮らしていたことがわかる。



昭和32年3月 小田原市報より

入植12年後の昭和32年にようやく電気が開通。
とっくにテレビ放送が始まっていた時代にまだランプ生活を強いられていたのだ。
(なんか似たような話があったな・・・と思ったらドラマ「北の国から」だった)

お祝いの式典で校庭の木にランプをかけ「ランプの歌」を歌ったり「ランプさんさようなら」という作文を読んでランプ供養をしてるのが昭和っぽくて面白い。

記事の中に「残る20戸の開拓者は」とある。分校が開校した時より少し減ってる。


現在の世帯数は13~15戸だという。
大変な苦労を重ねて開墾を続けた世代の2代目や3代目の皆さんだ。

小田原市は平成22年から和留沢の耕作放棄地(約1万3000㎡)の再生に着手。
地元自治会や関心のある市民と協力しながら開墾や体験教室のイベントなど環境再生プロジェクトを進めている。
 
 

とてもわかりやすい和留沢MAP。

「神奈川県 県西地区ウォーキング 久野里地里山コース」よりhttps://www.pref.kanagawa.jp/documents/77370/77.pdf

私は和留沢に行く時はいつも車だが、舟原から先でハイカーや登山客どころか、人を見かけたことがない。

対向車さえ滅多に見かけない。

少々不安なウォーキングコースである。


 
 

(この写真はgoogle mapのストリートビューより)
バス停から山道を1キロほどでマップの4、三分岐点に出る。
右の和留沢農道を行く。(日向林道でも和留沢に着く)
 




和留沢集落に到着。
4月半ばだったので山桜がまだ咲いていた。

たいようの丘には季節の花が育てられている。
 右に標識が見える和留沢公民館は、廃校になった分校の建物が使われている。
 



公民館からしばらく行くと駐車場に着く。
登山者用の無料駐車場で、民家の庭に入っていくようなところにあるので気づきにくい。

私はここから登山はしたことなく、
いつも自然観察と石丁場見学のために駐車させてもらっている。



✳︎参考文献✳︎

神奈川県小田原市における戦後開拓 ―和留沢地区の事例を中心に 
永江 雅和





桜に誘われて松永記念館あたり

2022年03月31日 19時56分00秒 | 小田原のいろいろ
満開を迎えている小田原市内の桜。
今日は板橋の松永記念館付近を散策した。





松永記念館は最近、NHKドラマ「恋せぬふたり」のロケ地になってから
土日の観光客が増えたようだ。

今日は平日だけど桜を撮影する人がひっきりなしに訪れていた。








薄曇りのせいか浮世絵のようにホワーッと見える庭園。






石楠花とシャガ




香林寺の駐車場の桜



竹林を背に満開の山桜



十二支守護尊のお庭のハナニラ


もうヤマブキも咲いてた






こちらは秋葉山量覚院 


苔が青々と元気いい






内野醤油近くの小田原用水はこんなに綺麗になってしまった。



上板橋の昔ながらの小田原用水。

といっても、昭和50年代に大リニューアル工事されているので
私が子供の頃のようにヤゴやタニシなんかはもういない。




今日は水量が多くて気持ち良い音がする。




旧大窪役場(支所)の桜。

役場の建物は木工屋さんに再利用が決定しリノベーション工事中。

桜の枝はだいぶ剪定され、レトロピンクだった壁は白く塗られ、例年の春の景色とは違ってしまったけど取り壊されるよりはずっとよかった。





どんなお店になるのか楽しみ。





清閑亭の一般公開終了

2022年03月28日 14時35分00秒 | 小田原のいろいろ
清閑亭が3月いっぱいで公開終了になると聞いたので慌てて最後の見学に出かけた。





これからは市と民間業者による
「小田原別邸料理 清閑亭」
が開業するそうだ。

となると今までのように屋敷に上がれないだろうし、庭の土塁跡も気軽に見学できなくなるかもしれない。

市外の友人や城マニアの皆さんに清閑亭はとても好評なだけに、
畏まった料理屋さんになることで人気観光スポットが一つ失われるのでは?とちょっと心配。

大倉男爵の板橋の別邸「山月」のように荒廃してしまうかもという懸念も。














清閑亭の敷地内には小田原城の三の丸土塁が残されており、国指定史跡となっている。



空堀の跡

向こうに見える建物は和菓子「菜の花」の工場。






初めて気づいたのだけど、
玄関脇に閑院宮家との境界を示す杭が置かれていた。

関東大震災で屋敷が倒壊するまで、ここ天神山には閑院宮家が住まわれていた。
今は面影は何も残ってないのでこれだけでも貴重だ。


それにしても
清閑亭が公開されたのは2010年からだったとは驚き。たった12年間の一般公開だったのだ。
もっと長いような気がしてた。

私はかつて城内高校に通ってたけど目の前にある清閑亭についてはほとんど知らず、
なんか大きなお屋敷があるなぁ程度の認識。

情けない高校生だった。


フラワーガーデンの梅 そして古墳

2022年02月25日 23時40分53秒 | 小田原のいろいろ
天皇誕生日に久野の小田原フラワーガーデンへ。
そろそろ梅が見頃かなと。



梅まつりは3月6日まで。
いろんなイベントをやっている。




















開花状況は木によってまちまちで平均して7分咲きくらい。ほとんど蕾のだけの木も多かった。
今週末から気温が上がるらしいので一気に見頃を迎えそう。

この日は晴れていたけど風が冷たく、長時間の観梅はつらくて早々に車に戻った。
着付けイベントの着物姿の人達は本当に寒そうだった。
 
 


帰り道に久野の古墳群に寄る。


久野百塚などと呼ばれ現在でも100基以上あるとされてる諏訪の原古墳群。

発掘調査されたものはわずかで、その中でも見学しやすく古墳らしい形の四号古墳。





石室にゴミが捨てられてた。
ここがお墓と知っての狼藉か。



四号古墳の裏側。
塚の高まりがわかりやすい。



百塚の王と呼ばれる一号古墳。





いつも木々や雑草に覆われてるからわかりにくいけど(この日は割と見やすかった)
直径39m高さ5.9mの円墳で、付近で確認された周溝と合わせて直径60mの円形周溝墳と考えられる。

つまりこの丸い山の周囲にぐるっと溝が掘られてて、
その溝含めた直径が60mということだ。
(なんかそのまんまだけど)
直径60mというと私のイメージでは、50mプールをもうちょっと大きくした感じ。

神奈川県で最大級の古墳。



後ろのほうも見れる。





眺めバッチリ足柄平野と小田厚道路。

足柄平野を見下ろせる位置でこれだけの規模、はこの地の豪族のトップや国造(ここは師長国造の支配地域)の墓なのだろうと。



一号古墳の横の案内板。

久野諏訪の原古墳群はハイキングコースとしても人気があり、フラワーガーデンや総世寺など回りながら古墳見学してるグループをよく見かける。