おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


伊豆国式内社めぐり その2 比波預天神社

2024年10月25日 22時06分00秒 | 伊豆国式内社めぐり
伊東市宇佐美にある比波預天神社、
ひはよてんじんじゃ と読みます。



祭神は
加理波夜須多都比波預命 

かりはやすたけひはよのみこと


延喜式の加理波夜須多祁比波預命神社、

および神階帳の従四位上たまたの明神に比定します。



延喜式 第2
(国立国会図書館デジタルコレクション)

加理波夜須多祁 かりすはやたけ

でいったん区切って(姓みたいなもの?)

比波預命 ひはよのみこと

が呼び名?だと考えればいいみたいです


こんにちは

ひはよのみこと様


いいお天気ですね

ひはよさん


みたいな



一説によると、ひはよのみことは三嶋溝抗の長子で、海からやって来て宇佐美の地を開発し氏神となったと。


そんななのでこの加理波夜須多祁比波預命を祀る神社は全国でもここだけです。









式内社の創建年などわかるはずもありませんが、
比波預天神社の場合は1157年(保元2)に再建されたと棟札にあります。

保元といえば保元の乱(1156)
その頃に社殿の再建工事しましたよー
ということです。


延喜年間に菅原道真が合祀されたことから長らく天神社、留田天神(留田はこの辺りの地名)などと呼ばれており、
明治になって現在の比波預天神社に改名されました。




摂社
風神、大山祇神




比波預天神社には大変有名な巨木ホルトの木があったのですが
残念なことに2023年3月に枯死して倒れてしまったそうです。


8年ほど前に来た時に写真を撮ってるので探したんだけど見つからず
こちらからお借りしてきました。
この写真は2011年撮影だそうです。

現在は切り株も何も残ってなくてさみしい限りです。





駐車場に集められてる道祖神たち

お雛様みたいなのは伊豆型と呼ばれる伊豆特有の単体道祖神。
丸いのは山梨に多い丸石道祖神。
裾野市の十二神社にあった丸石も道祖神だったんだと最近気づきました)






東浦路を示す道標

東浦路とは下田から小田原までの古道。
大正時代以降の道路拡張工事のためほとんど失われていますが、宇佐美から網代までは良好に残されています。

道標通りに行くと網代に出ますので、元気な方はぜひ歩いてみてください。


私は車で帰ります。



茅ヶ崎市博物館と古民家散策

2024年10月23日 01時54分00秒 | 博物館、イベントなど

涼しくなったらと計画していたお出かけ予定がたくさんあるので休日は忙しくなりました。

 
先日の日曜はスケートアメリカでの樋口新葉さんGP初優勝の感動の嵐の中、茅ヶ崎市博物館へ。
 
樋口さんと茅ヶ崎は特に関係ありませんが。
 
 

茅ヶ崎市博物館は2022年にオープン。
50年の歴史を持つ茅ヶ崎市文化会館に代わる施設です。
文化会館が海岸近くだったのに比べ新しい博物館は茅ヶ崎のかなりの奥地、最寄り駅は相模線香川駅となります。
 

 


素敵な建物
高原のおしゃれレストランのようです
 






入館無料です
 





無料の博物館としてはじゅうぶん過ぎる展示内容。
館内どこもピカピカで気持ちいい。
 
今流行りのプロジェクションマッピング系が無いのが私としてはとても気に入りました。
(あれは無料だとできないのかしら?)

 
 



館内あちこちでピピピピ言ってるこの子


茅ヶ崎市の鳥はシジュウカラなんだけど
この子は博物館のキャラクターぴじゅうからちゃん!
 







いろんなところにいるぴじゅうからちゃん


かわいい


ほんとかわいい
これ欲しい
 
 
 

博物館の近くには、市の重要文化財に指定されている旧和田家住宅、旧三橋家住宅、
および浄見寺などがあるので合わせて見学できます。
 
 



 



途中に道祖神など
 
5分程度で旧和田家に着きます


茅葺の古民家としてはかなり大きな建物です
 












次に三橋家に行こうとしたのですが、歩いても歩いても見つからなくて




仕方ないので先に浄見寺を参拝しようと
  





大岡越前で有名な大岡氏の菩提寺だそうです。
 
この辺りは大岡氏の所領だったんですね。
 


道祖神のいる手水屋
でも柄杓ないので使えない
 


お地蔵さんの周りにかたつむりがいっぱい、
と思ったら十二支の皆さんでした。
 


枯山水のお庭 
 


お庭の脇の階段を登ったら空き地に出て
 
 

その空き地の先に三橋家がありました。

なぜっ?
 


和田家でもらったマップ
よく見たら浄見寺から三橋家まで矢印があったー
 








三橋家は和田家より小規模で
中に入れるほどの整備はされていませんが
これはこれで趣深く良い雰囲気でした。
 




山神社の石碑と何かの供養塔
 


茅葺の上にトタンが葺かれてるのが残念です。
後でまた修復するのかな。
 


三橋家から階段を下ると
 


浄見寺のお庭の反対側に出ました。
 
 
となると
現在、三橋家には浄見寺の境内からしか行けない状況になってます。
(道路に面した三橋家の門は閉ざされていた)
 
これは・・・三橋家に辿りつけない人も多いですよね・・・
というか来て欲しくないのかな。

三橋家の訪問者チェックシート(自分で記入する)を見たら、日曜午後なのに私の前に記入してたのはたったの1人でした。
 

もう少しわかりやすい案内が欲しいところ。
 
迷って結構歩いちゃったし。
 
 
でも散策自体はとても楽しかったです。
周辺の里山の秋の景色爽やかでした。





ランチは平塚の「そば処名古屋」の大名そば

 
 

御殿場の浅間神社ぜんぶまわる その16 駒門浅間神社

2024年10月17日 00時36分00秒 | 御殿場の浅間神社ぜんぶまわる
昨年の6月から
いや、正しくは一昨年の秋からの
「御殿場の浅間神社ぜんぶまわる」企画もいよいよ16回目、今回で最終回となります。

アクティブな人なら一日で終わってしまいそうな巡礼を2年近くもダラダラとやっておりました。
御殿場のあちこちにダラダラと出没したおかげで、地域のいろんなことを知れて大変勉強になって楽しかったです。


記念すべきラストを飾るのは駒門浅間神社です。




駒門浅間神社は御殿場市内の全浅間神社中、最も境内が広く社殿も立派。
なんと独自のウェブサイトもある親切な神社です。


参道入り口

大きな社号標
絶対迷いそうにありません


悠々と広い参道、というよりは道路ですな


なんと
大きな
平城京
ではなく鳥居


ほんと大きいです

二社大神 とあるのは
祭神の木花佐久夜毘売と大山祗命親子のようです。


階段登ると
おおぉ なんと広い



いつも誰もいない小さめ神社しか行かないので
こんな広いとこ来てしまうと
気分は
ラストエンペラー…



皇帝目線


セキュリティもばっちり




この日は祭りがあったようで後片付けの真っ最中でした。

お邪魔しました。





この間まで暑い暑いとボヤいていたけど
キンモクセイの季節になってたんですね。



木犀やしづかに夏秋入れかはる


ぜんぜんしづかじゃない季節の移り変わり。
どうしたものか。



さて、駒門浅間神社がこんなにも立派で真新しいつくりなのは
新東名高速道路建設のため2005年(平成17)に遷座を余儀なくされたからです。

新東名が駒門地域の真ん中を縦断すると発表されたのは1992年(平成4)
その後地域で論議を重ねた末に遷座を決意されたそうです。

自分の住む地域のど真ん中を高速道路が通るなんて、しかも氏神様を移動しなければならないなんて、
悲しい。複雑。



境内に祖霊社がありました

この鳥居は移転以前の浅間神社から運んだものだそうです。



南無帰命月天子

月天子とは珍しい。月待講の供養塔でしょうか。



庚申塔

馬頭観音


社殿裏に六地蔵
どこかの寺から移転されたのかな



祖霊社にもキンモクセイ




こちらは浅間神社跡地

新しい浅間神社から2〜300m、新東名の真下に残されています。







祖霊社にあった馬頭観音とそっくり。
天保の日付も同じです。



これも馬頭観音






駒門の大公孫樹

御神木だったのでしょう。
さすがに木は引っ越しは難しいのでここに残されたんですね。



高速道路の圧がすごいけど
これからもどうかお元気で。





駒止め石

源頼朝が巻狩りの際に乗っていた馬が驚いて足を止めたという石。
駒門の地名の由来にもなってるそうです。

元々ここにあったのではなく、何度か移転しているようです。






駒門浅間神社ウェブサイトより
移転前の鳥居と社殿

鎮守の森の奥に新東名の高架脚が見えます。