goo blog サービス終了のお知らせ 

おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


大蔵院 北条氏を支えた山伏たち

2025年03月25日 21時25分00秒 | 
松田町に大蔵院という修験道の寺があります。


松田城のとこで引用したマップにも登場するように松田城や松田氏と関連の深い寺です。

大蔵院の近くで鎌倉時代の五輪塔群と町の文化財に指定された壷が発見されており、
五輪塔群は境内に置かれているというので是非見たいと思っていました。

でも、Googleマップに「本山修験宗 大蔵院」と名称が出てるのに
ストリートビューでも航空写真でも寺らしきものが見えなくて、
何度か現地を通っても寺の位置がわからなかったんです。


そしましたら先日、
と言っても数週間前、まだ梅の残るある午後、

少し離れた道沿いでこんな案内板を、見つけました。

案内通りに進むと


ありました!大蔵院

説明板もありました!

壺は五輪塔の下から発見され、現在は神奈川県立歴史博物館に展示されています。
参考画像
鎌倉時代前期〜後期のもの


でもどうも寺らしくないのです。
小さな墓地はあるけど本堂がない。

そして
あちこちにこのような可愛いオブジェ。
奥には作業小屋のような建物、そしてログハウスが。

うーん
ここは本当に寺院なのか?


と悩んでましたら、
ちょうどご住職が帰っていらしてお話を聞くことができたんです。






なんと
このログハウスが本堂でした。
奥のプラネタリウムみたいな丸い屋根がお住まいだそうです。
これは航空写真で見てもわからないはず。

昔、本堂建て替えの見積もりが1億以上だったそうで
それならとログハウス風にしてしまったんですって。

面白い。



ログハウス、いや本堂の前に
ずっと見たかった五輪塔群が。感激です。

太平洋戦争中にここから少し西の土地で見つかったそうです。
その辺りが昔の墓地だったのですね。



本堂に入らせていただきました。


中央にご本尊の不動明王がいらっしゃいます。
山伏の衣装や法螺貝など、住職が趣味で作られている陶芸品も置かれており
寺の本堂というよりは山に籠る修行僧のお堂のような、住職の私室に案内されたようなアットホーム感。

修験道の寺はあまり知りませんが、どこもこんなに面白いのかな?
なんて考えてたら
自分が通った保育園は修験道の寺、秋葉山量覚院(現在のクレヨンの森保育園)だった!ことを思い出しました。

確かにあそこもちょっと変わった寺です。園長先生は山伏だし。火渡りするし。



大蔵院は京都の聖護院を本山とする本山修験宗の寺院。
北条氏綱が小田原に入ってまもなくの頃、
大永7年(1527)に開かれました。
当初は松田山の最明寺跡近くの安養寺屋敷という場所にあったそうです。
ずいぶん山奥です。最初の名称は安養寺だったのかな。

明治の神仏分離までは寒田神社の別当寺。
当時の地域の山伏を統括していたのは小田原松原神社の別当寺、玉瀧坊で、大蔵院もその配下にありました。

山伏は国内を移動し修行するので、領主のために情報収集、使者、時には間者のような仕事を担ってました。


イメージ「おんな城主直虎」の謎の山伏、懐かしの松下常慶さん。


小田原の玉瀧坊、松田の大蔵院も北条氏のために謎の山伏として働いていたと思われます。
特にここは松田氏の本貫地ですから
松田氏のための仕事も多かったはずです。

現在は檀家8軒ほどの小規模となった大蔵院ですが、戦国時代は北条氏の下で、江戸時代は寒田神社の別当寺として重要な地位にあったのでしょう。


離れにあるご住職の趣味の作業所。
この建物は100年くらい前のものだそうです。

境内や本堂に飾られてる数々のライトや陶芸品はここで作られていました。
立派な窯が幾つかあり、もしかしたらこれが本業では?と思うほど。


ご住職は大蔵院の19代目院主。
僧侶には見えないお洒落な雰囲気で、優しくて話しやすい方でした。

大蔵院のことや修験道のことなどいろいろお聞きできてとても勉強になりました。
どうもありがとうございました。



✳︎参考文献
大蔵院と修験道について



最新の画像もっと見る