ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

峠を越えて。。

2021-08-12 00:03:00 | 日記


8月10日(火)

昼過ぎに人工呼吸器を外して、酸素マスクに切り替えたと先生から連絡があった。
明日から口から食事も始める。まずはゼリー食から。
明日以降、ICUを出て、一般のコロナ病棟に移るそうだ。

予想していたより早い展開だけど、息子もこれでずいぶん楽になる!
今までも報告があったらすぐ次に進んでいたから、直前に連絡するのだろう。
「よかったです!」と思わず声が大きくなった(*^^*)

あまり長く人工呼吸器を続けていたら、元に戻るのに時間がかかるらしい。
あと1~2週間、様子を見ましょうと言われたので、1ケ月もかからないかも。
重症者が増えているから、通常より早めに出されるかもしれないけど仕方ない。







夕食を食べた後、LINE電話が鳴り、見ると息子からだった!

「管が外れたんだって?よかったね!」と言うと、声がまだつらそうで弱々しい。
まだメールするのはしんどいから電話したそうだ。LINEも既読になっている。
ダンナも声を聞いてジーンとしていた。

もう一時は自分でもダメかと思ったそうで、
「思ったより肺が真っ白になってるぞ」と誰かの声がして、次々と管を通され、
自分が繋がれているのは人工呼吸器なのか、エクモなのかわからず、
一日中、夢か現実かわからないものを見ていたそうだ。

流動食は、鼻から牛乳みたいなものを入れられ、逆流して超気分悪かったそうだ。
(う~想像するだけで気分悪くなる・・)

ホントはその日に入院したくなかったそうだ。
なぜなら翌日、頼んだ食べ物が届く予定だったから。

「返送してもらったから、退院したらまた送るよ」と言うと、
「賞味期限が古くなってるかもしれないから、買い直して送って」だって。
「あ~今はめちゃくちゃ腹が減ってるよ!」

はいはい。病み上がりには新鮮で安全なものを食べてもらいますよ。

リハビリは、ベッド脇に立つまではやっているそうだ。
これからどんどん歩く練習もするのだろう。
無事に、順調に、回復していってほしい。


今日は何の連絡もなかった。
ICUを出て、酸素マスクだけではまだ慣れていないだろうし、
個室でないので電話ができないのかもしれない。
口から食べるのも、噛んで飲み込むのが意外と難しいと何かで読んだことがある。
次に喋る時は、声が少しは元に戻っているだろうか。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事に着陸できますように!

2021-08-09 23:53:34 | 日記


8月7日(土)
仕事中に担当医から電話。
少しは落ち着いたが、肺の炎症はまだ残っているので、
今は人工呼吸器をつけた状態、あと1ヶ月近くはかかるだろうと言われた。

でも、緊急にエクモをしなければいけないような事態ではないそうだ。
1ケ月は長いけど、なんとか最悪の事態は免れたということだ。(よかった!)

ボールペンくらいの太さの管を入れているので、昼間は起きてはいるけど
つらさを和らげるために、薬でうつらうつらしている状態。
生活リズムをつけるために夜はしっかり睡眠を取ってもらっていますとのこと。
PCR検査ではまだ陽性、やはりデルタ株だそうだ。

エクモを回避できて安心したのか、2週間以上続いた私の頭痛がようやく消えた。






8月8日(日)
朝の番組は、オリンピックと、台風9号と、コロナの3大テーマ。
自宅療養の人の急増で、緊急を要する患者がいるのに受け入れ先が決まらず、
何か所も電話して問い合わせている現場の人たち。
お世話する人や受入れ先より、助けを待っている患者の方が圧倒的に多いのだ。

息子がお世話になっている病院の、ICU内の様子がテレビでチラッと映った。
人工呼吸器がついたベッドの先に置かれた手荷物。急変した患者さん。

たくさんの人が看護してくれて、このご時勢、入院できただけで不幸中の幸いだ。
少しでも早く回復して、次の人にベッドを譲れるよう頑張らないと。

お墓参りをして、両親たちに「息子が行きたがっても追い返してね」と頼んだ。

夜の閉会式をチラ見した。複雑な国民感情を反映してか、構成もいまいちだった。
オリンピックの開会式から閉会式まで、ずっと息子の体調で神経すり減らした感じ。


8月9日(月)
台風9号、起きた時には広島の呉へと再上陸していたけど、
出勤時はすごい強風と雨で、珍しくダンナが車で送ってくれた。

夕方6時過ぎに看護師さんから電話があるはずだけど、なかなか来ない。
仕方ない。病院はきっと戦場だろう。重症の患者さんでバタバタしてるのかも。
しばらくして電話がかかった。男性の看護師さんで、説明がとてもうまい。

微熱程度で、脈拍・血圧も安定。
管が入っているのでまだ声は出ないが、意思の疎通はできて、
リハビリ頑張ろうというと、ガッツポーズを返して意欲的なんだそうだ。
リハビリと言っても、ベッドで起きたり、座ったり、頭を起こしたり程度。

呼吸をする力が弱いので、サポートを少しずつ進めていこうとしているとか。
自発呼吸で空気を取り込んで、ガス交換がうまくできるようになるのが目標。
人工呼吸器から徐々に自分の呼吸に近づけられるように、
飛行機で言えば、ゆっくりと着陸しているような感じだそうだ。
「わかりやすいですね~!」と感心してしまった。

うまく着陸できたら、ICUから一般病棟に移り、その後は看護師からの報告はない。
すぐに自分でメールや電話をし出すので、しばらくの我慢だそうだ。
よし、なんだか先が見えて来た。

本人にとって、一番しんどい時期は過ぎたそうだ。
それが何より嬉しい。 頑張れ、もう少し。 



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

看護師さんの電話

2021-08-06 20:37:58 | 日記


昨日はさすがの私も疲れが出て、仕事を休んでしまった。
頭痛と肩こりを少しでも楽にしようと、いつもの整体へ行き、
首や肩から上にたまったストレスをもみほぐしてもらった。

「あまりストレス溜めてると、歯を食いしばって余計肩がこったり、
頭の血管が詰まることもあるから、息は深~く吸ってくださいね」
その時はスッキリしたんだけど、今日はまた痛みが復活。困ったもんです。







夕方、東京03の番号から電話がかかった。
03と言えば、病院か息子の会社以外あり得ないから、いつもドキッとする。
やはり、相手が東京だと構えてしまうのよね~ハハ・・(^O^;)

大学病院の担当の看護師さんからだった。
「治療のことや投薬のことは医師でないので話せませんが、遠くてご心配でしょう。
何か聞きたいことや、気になることはありませんか?」と尋ねてくれた。

医師が週に1回、病状を説明する以外に、看護師さんも定期的に電話してくれるそうだ。
それが若い可愛らしい声の看護師さんで、口調がとても優しいのです。
「面会はできますか?」とダメ元で聞いたけど、やはり無理だった。

「今、どんな状態ですか?」と聞くと、もう人工呼吸器をしていて、
ウトウトする薬を飲みながら、口に管が入っている状態。
やはり、肺が真っ白だったので、うつぶせ治療はできなかったんだろう。

管を入れているので痛がったり、あまり痛がる時は外したりして、
食事も鼻から胃までのチューブで流動食。想像するだけで痛々しい。
だよね~ LINEなんか返せる状態じゃないよね。可哀そうに。。

でも、それで治るんだろうか。何日我慢したらいいんだろう。
治らなかったらエクモというけど、どちらにしても長丁場になりそうだ。
「LINEとか送ってもいいんですか?」と聞くと、たまに起こす時間があるので、
その時に見せてあげるので送ってくださいとのこと。

ま~なんて優しい! 私はこんな優しさに飢えていたのだよ。
息子もこんな看護師さんにお世話してもらって幸せものだ。

ダンナは「口先だけかもよ」と言うけど、いやいやここは素直に喜ぼう。
だって、そこはコロナ病棟。
重装備で感染に気を付けながら看護するのは大変だろうに、
次々と入院してくる患者の家族にまで気を遣って連絡をくれるなんて・・

「お仕事されてるなら、連絡は時間外がいいでしょう」と日程調整してくれた。
仕事中はドキドキするし、外に出てメモ片手に聞き取るの、大変だもんね。

今日はどうしているかな~と気になっていたので、様子がわかってホッとした。
何より、あの優しい声がありがたかった。
白衣の天使さん、毎日ありがとう。これからお世話になります。

とはいえ、今日もまだ読んだ形跡がない。
親がこうして平気でいるのに、息子は一人で闘っている。
なんだか見舞いも行かず、看病もせず、何もせずに普通に過ごしていいのかな?

娘も私が落ちこんでると孫の写真を送って、気を遣ってくれているみたい。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさかの事態

2021-08-05 06:50:30 | 日記



7月末、東京は4058人という過去最高の数字に驚いたというのに、
今日は4166人で過去最多を更新。
中等症までは自宅療養でという政府の方針が出た。
言いたいことは山ほどあるけど、とうとうそんな所まで来たということだ。

娘宅から帰った翌24日(土)東京で一人暮らしの息子がコロナ陽性とわかった。


その時点では、7度5分。インフルみたいな症状で、のど痛と関節痛。
発熱外来に予約して歩いて5分の病院で抗体検査し、帰宅して結果を聞いた。

味やニオイはわかるので、8月2日まで自宅療養をして下さいと言われたそうだ。
その日の感染者数、1128人分の1になってしまった。

あの東京で電車通勤だから、もしかしたらと思っていたけど、
その週、途中の駅からすごい人数の人が乗ってきて、すし詰めだったとか。
後で聞いたら、同じ連休中に会社でも何人か陽性が出たそうなので、
会社で移されたのかもしれないし、どこで移ったか移したかもわからない。

現実になるとショックで仕事が手につかない。
その夜、早速ネットで、水やのど飴、食料品を月曜には届くように手配した。
手元には2リットルの水が3本、サトーのご飯はあるというけど、大丈夫かな?


25日(日)昼過ぎにようやくLINEの返信が来た。
朝までずっと39度前後でしんどくて、食欲全然ないから食料なくても大丈夫だと。
保健所からは朝、体調を聞く電話があり、「息苦しい」と言ったそうだ。

午後、血中酸素の測定器が届き、計ったら基準値以下だったのですぐに連絡。
夕方、とんぷくを飲んだら7度台に下がって楽になり、
「果物ゴロゴロのゼリー、桃の缶詰やあんことか甘くてつるっとしたのがいい」と言う。

買いに走ってその日のうちに発送したのだけど。


翌26日「息苦しいけん入院手配してもらうことにした。荷物受け取れないかも」
運よくベッドが空いて、2時半に迎えのタクシーで地域の医療センターに入院することになった。

まさに感染爆発の1週間前。
「タイミングよかったね~」と最初は喜んでいたけど、やはりコロナは怖い。
その日からレムデシビルを投与したところ、副作用がひどくて発疹が出て、

100人に2~3人いる不適応者ということがわかり、投与を中止。

ステロイドを使うパルス療法に切り替えたけど、1週間が限度らしい。
中止して一時調子が良かったのに、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
「しんどい時はLINEの返信しなくてもいい?」と言うので「いいよ」と返すと、
金・土・日と何も言ってこない。悪い予感がどんどん膨らんできた。

週明け8月1日、病院の方へ思い切って病状を問い合わせてみた。
「息子が1週間前からコロナで入院しているのですが」
生年月日を聞かれ、西暦で答えてしまい、昭和何年かと聞かれても頭真っ白!

ようやく自分の生まれ年に24足して答えた。

担当医からは夕方連絡が入った。
再びレムデシビルとバリシチニブの治療も始めて今のところ発疹はないけど、

重症化したらICUのある病院へ転院することになりますと言われた。

8月4日、品川区の大学病院へ転院させると連絡が来た。
午後、今度は大学病院の呼吸器チームから電話。
CTを撮ったら肺が真っ白で、うつぶせ療法もおなか側の肺も白いので無理かも。
今週中には人工呼吸器が始まる可能性もあり、それでも駄目ならエクモになると。

もう、電話し終わるとクタクタになった。
息子の会社の上司に電話して息子からメール連絡することは無理かと思うので、

週に1度病院から連絡があったらこちらから報告しますと伝えた。






発症した頃からずっと私も頭痛がしていて、今も続いているのです。
これって、息子と通じてるんじゃないかと思い始めて、LINEが来れば軽くなり、
息子がくれた紫陽花が、2度も花がついてずっと咲き続けているのも不思議で。
この花の生命力を、分けてあげたい。




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする