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北京ダック「日本鬼嫁・中国オニシュウトメ」日記。

再開しました。 私は今、夏に居ます。

ダック鬼嫁日記41「花婿の、母。サンジュウイチ」

2006-03-07 | ㊥花婿の、母。
パパが付き合ってくれたのは、虎ホウ泉(漢字が出ません・・・)と、お茶屋さん。
 
虎ホウ泉は杭州三大名泉のひとつで、龍井茶はここの水で淹れると一番美味しいということになっている。 現在では水量が減っていて、水質も変わってきているのではないか?とウワサされているけれど、山の中のお寺のようなところに、ちろちろと流れる小川があって、遡って行くと源泉がある。 雰囲気がすごくいい。 ちょっといい運動、くらいの程よい距離と傾斜。
源泉を見て、水もの観光地にありがちな、「投げ入れると幸せになる」水溜りにコインを放った。 小川には小魚が泳いでいて、魚好きの私にはうれしいこと。
源泉のそばで、お茶を飲むことになった。
水質がどうとか言われてはいても、そこはお約束。
当然、龍井茶。

そこで、一行は改めて挨拶・・・でもないけれど、おみやげの交換会のようなことになった。 日本からのお菓子とお酒をパパに。 パパからは杭州の名産品をそれぞれ。 シルク製品や、その場に来られなかった私の父に、紹興酒「女児紅」など。 

う~ん、母・叔母・友人母も、パパもありがとう。

日本から持ってくるの、重たかったよね。
パパは、ハナ子に内緒で用意するの、大変だったよね。

義鳥の結婚式がキャンセルになって以降、パパはハナ子による厳重な管理下に置かれていたという。
ハナ子は、私たちが代替の式を行うこと、かつ、パパだけが呼ばれることを警戒していたらしい。 パパのスケジュールを可能な限り把握し、仕事以外の単独での外出は一切禁止。
だからこの日も、授業の合間の数時間しかパパと行動を共にすることは出来ないということだった。

当然、おみやげを家に入れることは出来ないため、パパは私たちにくれた品物をすべてお店に取り置きしていて、当日取ってきたということだったし、日本からの品物もまた、職場に置いて、同僚と食べるということだった。

私はそのあたりを事前に夫から聞いていて、同僚経由でハナ子にバレるのではないかと心配していたのだけれど、
「俺も気になったんだけど、ハナ子、職場でも有名だから、わざわざ言う人いないって・・・

・・・・・・。
「あそこんちの奥さん、おそろしいよね~」というような噂話をされることが、世間の夫たちの間でどの程度不名誉なことなのか、私は知らないが。 思うに結構ツラいのではないだろうか。

まあしょうがない。

とにかくパパは私たち皆と茶を飲んだ。
その席で、パパはおもむろに赤い袋を出して、私と夫にひとつづつ、くれた。
ホンバオだ。
つまり、ご祝儀のこと。
二人に一袋ではなく、二人に二袋。
中国人は奇数を嫌う。

私はすぐにひざをついて、「パパが私たちの家に遊びに来てくれたら、朝のお茶を差し上げます。」・・・と言った。 中国語で。 唐突だったせいか(だと思いたいなあ)、イマイチ通じなかったので、すぐ夫が言い直していたけど。
中国人は、伝統的には、「結婚式の朝、義両親にお茶を淹れる」という習慣があるというのを夫から聞いていたからだ。
結婚登録の日は、ハナ子も含めて、上海の同じホテルに泊まっていたんだけど、そのときは「そのうち結婚式あるいはお披露目パーティーをやるのだ」と思っていたらしく、特に何もしなかった。
それで結婚式はこんなことになっていたから、結局お茶をあげていなかった。

ご祝儀は、後で開けてみたら結構な高額であった。
結婚式以前に夫がパパから聞いたところによれば、「二人いる息子のそれぞれに結婚式費用を貯めていたけれど、は金持ってるんだからやる必要は無いんだヨォォ!・・・と言われて没収されてしまいました」。 ご祝儀ってそういうもんじゃないと思うけど。 まあ、このご祝儀は、パパがハナ子に内緒で貯めたなけなしのお金だ。

ただでさえ、生活費教育費全額をパパひとりで支払った挙句、息子のための結婚費用も貯めて、更にハナ子実家にかなりの額を吸い上げられて、更にその残額まで日々虎視眈々と狙われているというのに。

そのご祝儀は、実際の金額以上に、パパにとっては大金であるに違いない。
長い年月かかって、岩清水を溜めるよに、しとしとと貯めたんだ。

涙ぐましい・・・


なんで私は、お金貰ってややウツな気持ちにならなきゃいけないのだろうか・・・そんなことも思ったが、とりあえずその場は和やかに、次のチェックポイントに向かった。

制限時間3時間ちょっとで、どこに行きたい? ってな条件のもと、虎ホウ泉のほかには「観光客が行かない、安くて質のいい茶葉のあるところ」とリクエストしておいた。 
パパに案内されたその店は、思いのほか西湖のそばにあったけれど、確かに地元の人が日常の買い物に来るようなエリアで、日本語も英語もまったく通じなかった。品揃え的には見るからにきれいな龍井茶がたくさん。 烏龍茶や花茶はあまり品揃えが良くなく、その分、全体的にお買い得感に溢れていた。 
龍井茶が大半を占めるとは言え、パッケージも、品質も、それは様々。 一行は女性が多いため、妙に盛り上がってああでもないこうでもないと品定め。 パパに値引き交渉までしてもらい、相当に楽しんだと思う。 楽しさのあまり、パパの制限時間をわずかに越えた、らしかった。

パパの携帯が突然鳴り、パパは慌てて店から走り出る。 一行から離れたところに行きたいらしい。
通話、3分ほど。

パパ、店内に戻ってきた。
夫、中国語で何か話しをした。
「みなさま! パパは今帰りまーす!」
突然のアナウンス。
買い物を中断し、お礼とお別れを言う一行。

私、ぢっと夫の顔を見る。
(小声で)「パパのカラータイマー、鳴ってるって」
ウルトラマンかよ!

その場はもちろん、私も挨拶に加わり、パパをタクシーに乗せた。

で、夫が言うには、
「最近、ちょっとでも遅れると、即電話かかってきて怒られるって。」
ハナ子、パパだけが結婚式に出ることを、本気で警戒しているらしい。
この日も、パパはハナ子に「午後1時まで授業、それから学生相談、それから夕方まで打ち合わせ、夜また授業。」と申告していたのだけれど、
「だったら夕方帰宅して、家でメシ食え!」
と、命じられたらしい。
授業があるのは毎週のことだし、その間の学生相談や打ち合わせが嘘でも、夕食時にパパが帰宅すれば、自由になる時間は移動時間を考慮して、約3時間だけ。
ハナ子の用意する夕食は、自宅近くの大学の食堂で買ってくるものなんだから、パパが職場で買って食べるものと大差ないのだ。 だったら、週に1度くらい(別の日はシフト違いで夕食時普通に在宅)夫婦別々に食事してもいいだろうに。 
要するに、パパに自由時間を与えないように、夕食を口実にアリバイを取っているわけだ。

3時間だってハナ子は警戒しているのだろう。
パパの大慌てで帰っていく姿は、なんだか辛かった・・・


                    「花婿の、母。サンジュウニ」に続く


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥  

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ダック鬼嫁日記42「花婿の、母。サンジュウニ」

2006-03-06 | ㊥花婿の、母。
パパと別れた後、私たちは杭州観光を続け、友達母子は日本へ、私たちは母叔母弟を伴って北京に帰った。

帰りの杭州空港にて。
珍しい物好きの叔母がバラ売りの中華菓子を買ってみんなで食べた。 決して美味しくはない伝統菓子が、そのときは妙に口に合った。 なんと甘いこと。 甘さの身体に染みるのが心地良いこと。
結婚式ツアーがなんとか無事に終わったことに安心し、同時に疲れがドッと押し寄せてきていた。

「パパに電話が通じない・・・」
と、夫が言ったけれど、そのときはさほど気にならなかった。
状況的に、パパはハナ子の目を憚っているのだろうし、既に全ては終わったことだった。 結婚式が済んだことは早晩ハナ子に知れるだろうが、パパは出席していないしアリバイもある。 杭州で私たちに会ったことさえバレなければ、知らぬ存ぜぬで通せる。 ハナ子のことだから何だかんだと騒ぐだろうけれど、パパが直接怒りをぶつけられることはないだろう。 私たちは北京だし、当面関わりを持たないで放っておけばいい。

そんなことよりも、眠かった。
北京に帰ったらとりあえず眠って、回復したら近場の観光で母&叔母に楽しんでもらおう。 二人とも一家の主婦、特に叔母はお舅さんの居る家の主婦である。 旦那と子供(つまり私のイトコで、もうまっとうな大人だけれど)を置いて家を空けて、姉妹で何泊も一緒に過ごすなんて滅多にないことなのであるし。
あれしようこれしよう・・・と思ううちにウツラウツラ。 搭乗して熟睡。 北京の家について爆睡。

久々の思いっきりな睡眠をとって。 翌日から、あれしようこれしようというのを実行した。
ラマ寺やマーケットを見て歩いたり、長城を見学しに行ったり、北京ダックを食べたり水餃子を食べたり。
楽しかった。 
私は北京をそれほど気に入っていたわけでもなく、借りていた部屋もそんなに素晴らしいというわけでもなかったけれど、当時はそれが我が街我が家だった。
自分の場所に親しい人が入ってきてくれる機会は、海外に居るとあまりない。 母や叔母や弟に、「ここが何々で・・・うちではこういうものを食べてるんだよ」と見せることが出来るだけで妙に嬉しかった。 この感覚は、実家に住んでいたときは想像もできなかったものだし、ひとたび日本に帰ってきてしまうと薄れていく。
 
長城行きの車で、中国的なトラブルがあった。
全員乗れる車を借りて行ったのだけれど、途中のガソリンスタンドで、運転手とGSスタッフの間でケンカが始まった。 なまりのきっつい北京語で、私には全く聞き取れない。 夫が「ありえない・・・」と日本語でつぶやいた。
もしかして。
私「ガソリン、種類違うの混ぜちゃったとか?」
冗談で言ったのに、本当だった。
これじゃあ危なくてエンジンもかけられないよと怒る運転手、俺のせいじゃないと開き直るGSスタッフ。 放っておいては埒が明かない、長城を見に行く時間もなくなる。
で、夫が出て行って話をつけてきた。
どうなったかというと、責任者らしき人が出てきて、運転手所属のツアー会社に車の修理代と運転手の日当を提供。 ツアー会社は私たちに代替の車及び運転手を提供。 
私「きちんとした謝罪やなんらかのサービスの提供は~?」
「何を言うか。 中国にそんなもんはない。 料金まけろって主張するくらいはできるけど、へそ曲げた運転手に一日一緒に居られるのもね。」
ああそう・・・ということで誰も私たちに謝らないまま1時間待ち。 GSにちゃんとした待合室があったのは不幸中の幸い。
更に、当のガソリン混ぜちゃったGSスタッフは、周囲から「こんなことになったのもお前のせいなんだから、混ざってる分を吸い出してみ?」と無茶な注文をつけられ、渋々ガソリン給油口のホースをずずぅっ・・・と吸い出す始末。 当たり前だけどゲホゲホいいながら吐き出していて。
そんなことをしてあのひとは大丈夫なのかなと不安になりながら、ああ、中国なんだなあ・・・と思った。
でたらめで、でも大らかな国だなと思えた。
待たされたのに、意外なほど腹も立たず。
結婚式ツアーが終わって、私の心にはゆとりが生まれたのだな・・・と後になって思った。

そんなほのぼのとした数日が過ぎ、母と叔母は日本に帰り、夫は仕事の日々に戻った。 ちなみに当時仕事を辞めたばかりだった弟は社会見学と称して少し長めに滞在した。

この頃の北京はもう、年末に向けて寒くなりだしていた。

夫は長い休暇のあとでもあり、クリスマス休暇前でもある忙しい時期に入り、私は私で弟の観光に付き合ったり、やや疎遠になっていた北京の友達と出かけたり、年末の準備をしたり・・・と。
二人とも、ハナ子のことは束の間、忘れた。

ハナ子のことが再び話題になるようになったのは、結婚式ツアーから1ヶ月も経ってからだった。

その間、ハナ子本人あるいは親族あるいはパパからのアプローチは何一つなかった。 たまにはこちらからパパに電話することもあったけれど、電話が通じることはなかった。 少々心配ではあったけれど、パパ勤務先のホームページを見る限り、パパの授業は続けられている様子で、命に別状はなさそうだった。
1ヶ月ほどした或る日、「さすがにちょっと気になる」と言い出した夫が、何度も電話し、やっとつながった。 時間は夜10時頃。
果たして、パパは・・・
「夜釣りしてます。 今、近所の公園。 一人だからしゃべっても大丈夫。」
なんで、寒いのにこんな時間に釣り・・・?ときくと、家にいると色々うるさいからだという。
ということは。
「ばれたって。」

以下、パパから夫がきいて私に話してくれた内容。
結婚式終了後2週間ほど経ってから、ハナ子は「休暇の関係上、今時期に代替の結婚式を行うことはない」と判断した。 結婚式当日前後に警戒が厳しかったのは、が既に休暇の申請を出していて、かつその時期私の親兄弟が日本からやってくる予定であるのを知っていたからということだった。 ハナ子、そういうことはわかるのである。 
とにかく、ハナ子は警戒を解いてハナ子実家に帰省した。
帰省の目的は、自らの弟妹に「なんとかして新しい式を行わせるためにはどうすればよいか」を相談するためだったというから笑わせてくれる。
実家にて、うぉぉ~と吠え始めたハナ子。
その目に映ったのは、結婚式の引き出物のアメちゃん。
言うまでもなくショウユが実家に帰った際に持ってってくれた私たちの式の引き出物。
「それは誰の結婚式のアメなんだい?」

あんたんちの息子夫婦の結婚式のアメです・・・とはなかなか言えなかっただろうと思う。

しかし言わないわけにもいかないので、結婚式が既に行われたこと、それが主には職場の同僚や上海在住の同級生に向けてのお披露目的意味合いのものだったこと。 日取りは取りやめになった義鳥の式と同じだったこと。 アメちゃんはショウユの手で浦江に届けられたこと。 式の場にパパの姿はもちろん無かったこと・・・などがハナ子に伝えられた。 この期に及ぶまで、「結婚式があった」という事実をハナ子弟妹誰ひとり御注進に及ばなかったのが、彼らの人間関係を物語っていると私は見る。

パパいわく、それでハナ子は反省したのだそうだ。
「言ったのがバレるんなら嫁の悪口なんて言わなきゃ良かった。 これというのも口火を切った次男が悪い。 それにつけても上海で行われた、外国人の多数出席したなんだか洋風の式の惜しかったことよ。 そこで花束贈呈が受けたかったのに。 ああこれというのも嫁が悪い息子が悪い息子をちゃんと説得しなかったパパが悪い・・・」

パパ、それは反省ではなく後悔と恨み言だ。

いずれにしても、こうして私たちの一生に一度(つもり)の結婚式が行われた。
そのことはハナ子に伝わり、もはや彼女が花婿の母になれないことも明らかになった・・・ということで、「花婿の、母。」はここで終わり。

しかしハナ子の暴走は多少の時間を置いて、まだ続きます。

    

                         「花婿の、母。」終。


㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥㊥

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