臨床心理士の第一歩

2015年に臨床心理士(CP)試験に,2018年に公認心理師試験に合格しました。もうすぐ68歳。CP5年目の更新年です。

8月9日 長崎原爆の日 田上市長の平和宣言文はとてもよかった!

2015-08-10 01:27:02 | 平和とは
毎日新聞より,長崎の田上市長の平和宣言文全文を転載させていただきます。

この宣言文は,
日本国憲法における平和の理念と,被害だけではなく加害にも言及しています。
福島の原発被害者の方々に対する支援も,今年も表明しています。

世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は
私たち一人ひとりの中にあります。
「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。

という語りかけは,
一人ひとりが本来持っている力に気づかせてくれ,
明日を決めるのは,政治家ではなく,
市民一人ひとりなんだという気持ちを後押ししてくれます。

私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。
市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

ほんとうにそう思います。

日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が
広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、
慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

と,主張されています。
被爆者代表の谷口さんの「平和への誓い」では,よりはっきりと,
次のように訴えられました。

今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、
被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、
思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません。


この言葉からは,
こんなに苦しんできたのに,他の誰をも苦しめたくないと思って平和活動をしてきたのに,
ほんとにわかっているのか
と,そんな気持ちが感じられました。



昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、
長崎の街は一瞬で廃墟(はいきょ)と化しました。

 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。
24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。
70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。
しかし、放射線に体を蝕(むしば)まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、
あの日のことを一日たりとも忘れることはできません。

 原子爆弾は戦争の中で生まれました。そして、戦争の中で使われました。

 原子爆弾の凄(すさ)まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、核兵器は存在してはならない、
そして二度と戦争をしてはならないと深く、強く、心に刻みました。
日本国憲法における平和の理念は、こうした辛(つら)く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、
戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。
長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。

 今、戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、
戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。
長崎や広島の被爆体験だけでなく、東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、沖縄戦、
そしてアジアの多くの人々を苦しめた悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。

 70年を経た今、私たちに必要なことは、その記憶を語り継いでいくことです。

 原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、記憶を風化させないためにも、
その経験を語ってください。

 若い世代の皆さん、過去の話だと切り捨てずに、未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ
伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。
「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。
そして、「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。
若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。

 世界の皆さん、戦争と核兵器のない世界を実現するための最も大きな力は
私たち一人ひとりの中にあります。
戦争の話に耳を傾け、核兵器廃絶の署名に賛同し、原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、
集まれば大きな力になります。
長崎では、被爆二世、三世をはじめ、次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。

 私たち一人ひとりの力こそが、戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。
市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。

 今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、最終文書を採択できないまま閉幕しました。
しかし、最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、
核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。

 NPT加盟国の首脳に訴えます。

 今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。国連総会などあらゆる機会に、
核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。

 また、会議では被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。

 改めて、長崎から呼びかけます。

 オバマ大統領、核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、
70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください。
被爆者が、単なる被害者としてではなく、“人類の一員”として、
今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。

 日本政府に訴えます。

 国の安全保障は、核抑止力に頼らない方法を検討してください。
アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、
北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。
未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”への転換について、ぜひ検討してください。

 この夏、長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、平和について考え、話し合う、
「世界こども平和会議」を開きました。

 11月には、長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。
核兵器の恐ろしさを知ったアインシュタインの訴えから始まったこの会議には、
世界の科学者が集まり、核兵器の問題を語り合い、平和のメッセージを長崎から世界に発信します。

 「ピース・フロム・ナガサキ」。平和は長崎から。私たちはこの言葉を大切に守りながら、
平和の種を蒔(ま)き続けます。

 また、東日本大震災から4年が過ぎても、原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、
長崎はこれからも応援し続けます。

 現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。
70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、
今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。
政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、
慎重で真摯(しんし)な審議を行うことを求めます。

 被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。日本政府には、国の責任において、
被爆者の実態に即した援護の充実と被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。

 原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧(ささ)げ、
私たち長崎市民は広島とともに、核兵器のない世界と平和の実現に向けて、
全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

 2015年(平成27年)8月9日

長崎市長 田上 富久

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