minority resistance

pcfx復活ブログ

アイドルマスター

2011年02月22日 | げーむ
アイマスはだいぶ廃ってからはじめた。もうあちこちのゲーセンから姿を消しつつある
時期だった。ゲーセンに出た当初にちょっとやったが、あまりに順番待ちが長いのと、
ちょっとゲーセンでやるには恥ずかしいと感じたのもあって続けなかった。

ある時、レンタルビデオ屋でアイマスのアニメを見かけた。なんとなく借りて見て
みたら、自分の知っているアイマスとはかけ離れたものだった。これはひどい。面白い
とか面白くないとか、作画がどうとか、そういうレベルではない酷さだ。

後になってこの企画を作ったのは知人であることを知り、「ああ、あの会社に入った
彼ならやるだろうね」という感想だった。商魂逞しい人物だからだ。彼自身とはそう
親しくもなく、間接的な知人というようなスタンスだったし、自宅にお邪魔した際にも
そう悪い人物という印象はなかった。しかし友人から聞こえてくる彼の人物像は酷いもの
で、詳しくは書かないが、とにかく彼は「商人」なのだ。

その酷いアニメを見て、そういえばアイマスってまだあるんかいな、という感じで久しく
見限っていたゲーセンに行ってみると、今時のネット対戦サテライト筐体群ばかりの
ゲーセンの隅っこに、「流行ってないけど根強いファンがいるからとりあえず」という
スタンスでアイマスが稼働していた。
もう以前のカードなどどこかへいってしまったため、新しくカードを作ってはじめた。


一応は全員で遊んでみた。pcfxの心にズッキュンだったのは「真」「伊織」「あみまみ」
であり、それぞれに良さが違うので優劣は付けがたい。
「真」は思春期の中性的な魅力にあふれ、時折垣間見える少女っぽさに惹かれた。
「伊織」は「釘宮&ツンデレ」という、当時の王道をひた走るキャラであり、pcfxも
釘宮ボイスにかなり脳をやられていたので気に入っていた。
「あみまみ」は「女性アイドル」というよりは「子供」であり、自由で好き勝手な言動が
魅力だ。ギャグとしてもゲーセンで人目構わず吹出すほど面白い。
最初にプレイしたとき、「あみまみ」初登場の公園シーンで大笑いした。

結局、一番多くプレイしたのは「あみまみ」であった事からpcfxの趣味が露呈される。




去年アイマス2発表の時の動画を見た。pcfxは木星の登場に関しては、なんか

「エロ本を買ってみたら中ほどにホモ写真があってゲンナリ」

という印象を拭えなかった。完全にお門違いである。これが「アイマス」ブランドでは
なく、別タイトルの「総合アイドル育成ゲーム」であればアリだったろう。問題は
アイマスの続編として出した事にある。

それに2を出すのが遅すぎた。初代アーケードがまだ現役のうちに出すべきものであり、
すっかりモニターが焼き付いて設置店が壊滅状態になってからの続編である。ナムコの
経営状態にも都合はあったろうしXboxのシェアにも問題はあったろう。しかし遅すぎ
であり提携先を間違えすぎた。よりにもよってあの会社とくっつくあたり、90年代
以降のナムコの舵取りの失敗を象徴している。

余談だがプレステの時も自社でコンシューマー機を作らず、業界の仁義を知らない
あの会社にハードを提供したのも同じ失敗だとpcfxは考える。
ナムコは手堅いが間違っていた。セガは失敗したが正しかった。
企業が生き残る事自体は客には関係ない。その企業が期待に答えたかどうかが問われる
のだ。成功か失敗かは運の問題であり、生き残りは結果でしかない。
姑息にやるべき事をやらなかった事で生き残っても、その長寿を祝う者はいない。


ナムコを責め過ぎたが、好きだったからこその愚痴であり、同様な胸中の方も多いと
思っている。しかし諸行は無常であり、盛者必衰の理も理解している。




アイマスのリストラも痛い。pcfxは「アイマスはアーケード」という考えなので静観
するが、来週の発売日からのネットでの反応が楽しみでしょうがない。「失敗しろ」
という軽い意地悪なスタンスではなく、行儀の悪い商売が、3Dを見限った情報強者の
筈の人々にどれだけまだ有効なのかという、かなり意地悪なスタンスで楽しみなのだ。

できればナムコがこれで目を覚まして、「わるいかいしゃ」と決別できたらいいのに、
と願うことしかできない。

ディグダグ2

2011年02月21日 | げーむ
ナムコの80年代ゲームは最強だった。他のメーカーのゲームには「粗製濫造」という
イメージもあったが、ナムコだけは「丁寧に作りました」という意気込みが伝わって
くる。キャラクターのデザインも秀逸で、直営店にいけばグッズも販売していた。

他メーカーが「強い・カッコイイ・シャープ」なゲームを作っている最中、ナムコは
「カワイイ」ゲームを多く作っていた。
FM音源が流行り始めた頃、あえて矩形波の音を使ったゲームを作っていたこともある。
「ゲーセンのゲーム」というスタイルをいち早く完成させたため、ナムコのゲームは
当時既に「クラシック」という地位を得た。

そのように早期に完成してしまったが為に、ナムコは80年代で止ってしまった。
当時、「ナムコのゲーム」が「ゲーセンのゲーム」と同義であり、ひとつのジャンルと
時代を作り上げてしまった。90年代以降のナムコも悪くはないが、一頃の勢いは
急速になくなってしまった。



1985年にディグダグ2が登場した。前作のディグダグは地底穴掘りだったが、このゲーム
は地上島崩しになった。キャラクターは引き継がれたが、プレイヤーキャラクターは
ポンプの他に「はつり機」のような機械で島を崩す操作をすることとなった。

当時、他のメーカーはカッコイイ路線でゲームを作っていた中、そんなのはもう古いと
ばかりにディグダグ2は「のほほん」としてゲーセンの一角で構えていた。ゲーム展開も
音楽も雰囲気も「のほほん」だった。
あまりに「のほほん」とし過ぎたのか、pcfxが通っていたゲーセンではこのゲームに熱中
している人を自分以外には見かけなかったが、後に多くのゲーム機やパソコンなどに
移植されている事を見ると全国的には人気があったのかもしれない。
また、ディグダグシリーズはミスタードリラーシリーズに受け継がれた。

ともすればプレイ中に寝てしまいそうなのんびり感とは裏腹に、やりこむと非常に奥が
深くてテクニカルなゲームだ。



前作では地中にいたため、プレイヤーキャラは全身を覆う防護服のようにみえる服を
着ていたのは納得がいく。しかし2では地上におり、目だけを出した服は彼の趣味だと
思われる。海に落ちたらミスとなってしまうので、潜水服の機能はないようだ。また
敵に触れただけでミスとなるので防御機能もない。やはり単に趣味だけで着ている。

プレイヤーキャラクターの名前は「ディグダグ」さん。そのままだ。後のミスター
ドリラーの主人公の父親である。シロアリ退治の業者にしか見えない全身スーツの彼は、
とにかく地面を掘るのが好きで好きでたまらないらしい。また敵への攻撃方法にも
こだわりがあり、空気を送り込んで破裂させるのを好む性質がある。

格好と性癖から重度の変態であると思われる。


舞台となる島には突然地表に野菜が現れる。島を崩すと出現するので、地表の振動で
埋まっていた野菜が飛び出したものと推測される。野菜しか食べないことから、
極端な偏食かベジタリアンだと思われる。

正体不明の赤い奴や怪獣に常に追われる身であるが、彼が過去に何をしたのかは語られて
いない。しかし執拗に狙われ続けることから、よほどの事をしでかしたのだろう。


ディグダグシリーズは、穴を掘ったり島を崩したりするのが目的ではない。プーカと
ファイガという敵を全滅させるのが目的だ。ディグダグさんが掘ったり崩したりする
のはその手段でしかない。ということは、彼の仕事はプーカとファイガの退治であり、
それを生業にしているのかもしれない。プーカとファイガは地中か島にしか出現しない
特殊な生態で、ディグダグさんの穴掘りスキルがないと倒せないという事情の可能性も
ある。


「恋のディグダグ」という歌があり、ゲームマニアの彼氏を持った女の子の胸中を
歌ったものだった。しかしこの女の子、少々というかかなり変な人である。

まず乗り換えを間違えて1時間もデートに遅れてくる。よほどの田舎に住んでいるのか、
または乗り換えを間違えて新幹線に乗ったようだ。

待ち合わせがゲームセンターなのは彼氏の都合だとして、ゲームもせずにずっと待つ。
彼氏の趣味はわかっている筈だが、それに合わせようとする気配はない。

彼氏はゲーヲタだが積極的だ。手を繋いで自分の部屋に誘う。部屋に入った女の子は
彼氏のベッドにあるパジャマを見て興奮する。明らかに過剰反応している。

彼氏がゲームの話ばかりするので退屈なのはわかるが、それを「野菜を食べさせる」
事で解決を図ろうとする。論理が破綻しており、意味がわからない。

彼女はヤル気マンマンで部屋についてきており、もう頭の中はセックスの妄想で一杯
になっている。一方彼氏は自分の趣味一辺倒で彼女を振り回しているのだが、それを
受けてこの女の子は彼氏を「やさしすぎる」と評価している。

以上の点から、「恋のディグダグ」の女の子は、

「天然ボケで妄想癖があるマゾのベジタリアン」というキャラであることがわかる。

すごい設定もあったものだ。



ナムコ黄金時代の只中に産み出された「のほほん」ゲームの「ディグダグ2」。
ひたすら面クリアを続けていくストイックさの中に隠された変態設定。
一見カワイイと思わせておいて、後半の難易は非常に高い。
当時さほど話題に上がらないゲームだったが、移植の多さなどから大勢のゲーマーの
「ちょっと気になってたゲーム」として心に引っかかり続けた不朽の名作。

そんなディグダグ2のメインBGMは「待ち合わせで待たされる」男の心情の曲だった。


新入社員とおるくん

2011年02月19日 | げーむ
彼女とデートしたいがために、暴力を厭わずに会社を抜け出すゲーム、それが
「新入社員とおるくん」だ。

他の社員をイスから落とし、上司にはヘッドバットをかまし、調理師や警備員にも容赦は
しない。清掃員の弁当を盗む赤い髪で赤いスポーツカーを乗り回す男「とおるくん」。


このように書くと非常にバイオレンスなゲームに感じるかもしれないが、全体的に
ほのぼのとした展開のゲームだ。BGMにはビートルズの曲が流れる。音源はDCSG。

「トウキョウショウジ」という会社は「目標5万台」を掲げているが、何を扱う会社
なのかは不明である。この会社の規則では、「仕事中に席を立ってはいけない」、
「だからといって座りっぱなしでもいけない」となっており、席を立つと上司に殴られ、
座っていると書類を投げつけられるブラック企業である。
その上、会社の入り口には警備員が見張っており、脱走する社員を発見すると殴って
捕まえるという徹底ぶりだ。これでは「とおるくん」でなくても不満が爆発するはずで
ある。
その反面、福利厚生は充実しており、社内にダンススクールがあったり社員食堂も完備。
廊下は清掃員が常にピカピカにしている。

以上の事から、この「トウキョウショウジ」の経営者は非常に仕事に厳しく、社員を
厳重に管理する一方で、不満を福利厚生で解消しようという考えのようだ。

このような会社が成功すると、次は取引先を管理しようとする。そして顧客をも管理
しようとしたときにコケるのがパターンだ。全部自分の管理下に置かないと安心でき
ないということは、自分の思うとおりにならないとキレる子供と同じだ。そして思う
とおりにならなかった場合は人のせいにする。そういう経営者は会社がコケた時に
責任を取らずにトンズラする。普段「責任責任」言ってる奴ほど責任をとらないものだ。



そう考えると、メチャクチャな行動をする「とおるくん」のほうがマトモに見えてくる
から不思議だ。若くしてオープンのスポーツカーに乗り、彼女と会社を去っていくが
彼は逃げない。翌日にはシレっとした顔で出社するのだ。クビになるまでそれを繰り返す
自由のヒーロー、それが「新入社員とおるくん」だ。

レディーマスター

2011年02月19日 | げーむ
ある日学校をサボって、いつものゲーセンに朝イチ開店から雪崩れ込んだ。学校をサボる
理由は「なんとなく気分が乗らないから」で、間に合う時間に電車に乗っているのだが、
途中の駅にゲーセンがあるので毎日誘惑される。「よし、今日はサボり」と決めて、その
駅で降りる。そしてそのまま終電の時間までゲーセンで過ごすのだった。

そんな毎日を送っていたダメ学生のpcfxは、その日あるゲームが入荷されているのを発見
した。「レディーマスター」である。



他のゲームよりもデモ音が大きく、中華風の曲がまだ人がまばらなゲーセンに響く。
「なんだこれ」と、考えるよりも先にコインを入れる。

「レディーマスター」は断面図視点のアクションゲームで、プレイヤーキャラの
「レディ」を操作して敵を倒すゲームだ。チャイナドレスを着たレディはヌンチャクを
武器に戦うが、ジャンプしてはパンチラ、しゃがんではパンチラ、そして面クリアすると
脱衣していくという画期的なカンフーアクションゲームである。実はこのゲーム、先行
して別のゲームとして発売されてたが、出来がひどい上プレイヤーキャラが男であり、
何の魅力もないと判断されたのか、すぐにROMを変えてお色気要素を追加した
「レディーマスター」として発売されたのだった。



しかしそれでも操作感が悪くて売れず、あまり多くのゲーセンには行き渡って
いなかったようだ。いきつけのゲーセンでもpcfx以外にやってる人をあまり見たことは
なかった。スパルタンXとドラゴンバスターを足して256で割った所にロイヤル
マージャン要素を追加してXO醤をぶっかけたようなゲームだから仕方がない。



しかしキャラは魅力的に描かれており、レディの仕草には愛嬌も感じられる。敵にも
女性キャラがおり、それらも他の敵キャラに比べれば力の入った描かれ方だった。



「こんなゲームが売れるかバカ!」
「じゃあ主人公を女の子にして作り直します!」
「それだけじゃ足りないな」
「じゃあ敵の女の子キャラ増やします」
「まだ足りないな」
「わかりました、じゃあ脱がせます!」



とか、そういうやり取りが製作者サイドであったと思われる、とって付けた感だ。
カネコが制作し、タイトーブランドで発売されたアーケードゲームだった。


面クリアすると画面に大写しになったレディが次々に脱がされていき、最終的には
おっぱい丸出しになる。せっかく苦労して戦闘に勝利したレディがなぜ脱ぐのかは
最後まで謎のままだったが、まあ脱いでくれるのに文句を言う必要はない。

ブギーマナー

2011年02月19日 | げーむ
ある日いつものゲーセンに行くと、なにやらホラーチックなゲームが新規入荷されて
いた。その名は「ブギーマナー」。タイトル画面にはオバケ。デモ画面を見ていると、
古いビルの窓に不気味な人影。
当時ホラーブームだったのもあり、興味を持ったpcfxは早速コインを投入した。





このゲームは4階建ての建物を断面図視点で見ており、各階には東西南北4つの面が
ある。モンスターがウロウロしており、各階に複数あるクリスタルを全て割ると建物が
崩壊し始めるので1階へ降りて脱出し、次のステージに進む。光る扉に入るとパワー
アップし、歩行速度や攻撃力などが増す。



pcfxの記憶に強く残っているのは、このゲームに搭載された「あっ」ボタンの存在だ。

主人公は棒のようなものを持って武装しているが、モンスターをただ叩いても倒せない。
モンスターの目前で宙を指差しながら「あっ」と言って注意をそらす。モンスターが
釣られて宙を見ている間に殴るのだ。

非常に斬新なシステムであり、この「あっ」ボタンが「ブギーマナー」を忘れられない
ゲームに仕立てた。

このゲームは謎だらけだ。まず主人公キャラの「フリッツ」は、最初からヒーロースーツ
のような服を着ている。だけど弱い。ホラーな雰囲気のゲームに似合わない違和感キャラ
である。変身するともう少しヒーローっぽい格好になるが、やはり違和感がある。

面クリアごとに女性のグラフィックが表示されるが、この人が誰なのかは最後まで説明
がない。西洋の姫のような格好をしている。また、とある方法で面クリアをすると
「ラブ・ボーナス」という謎の点数が入る事があるが、誰が誰に宛てた「ラブ」
なのかも、結局最後までわからないのだ。

BGMもすごい。ラウンドスタートのBGMはホラーでミステリアスな雰囲気があるのに、
ゲームが始まると「70年代のヒーローのテーマ」なBGMが流れる。音源はPSG2基。
なんか場違いな人が勘違いしてお門違いな事をしてるような、二つのゲームを無理矢理
一つにまとめたような、「違和感」を楽しむゲームだった。



このゲームのストーリーは、テクノスジャパンが語らずに倒産してしまったために
不明のままだが、情況から推理してみたい。


・・・某国の姫がモンスターに誘拐され、廃墟となった古い洋館に閉じ込められた。
噂を聞いて、ヒーローに憧れるフリッツ少年は一人救出に向かった。しかし現場に
ついてみると、同じような4階建ての洋館が40棟も並んでいる。
どの建物なのか見当もつかないが、しらみつぶしに探すしかない。銃刀法を律儀に守る
フリッツは棒切れ一本を持って廃墟に突入していった。
パワー不足は現地調達に期待するしかない。フリッツ少年は「隙がなければ作ればよい」
という通信教育的な武道の心得に全てを託し、必殺技「あっ」だけを頼りに40棟全てを
捜索した。
しかし結局どこにも姫はおらず、フリッツの手には「ラブ・ボーナス」という謎の
報酬が握られていただけであった。


ん~推理ムリ。

百合星人ナオコサン3巻

2011年02月19日 | マンガとかアニメとかほんとか
作者のkashmir氏の絵は清清しい。そしていたるところにマニアックなネタが溢れる。

3巻の表紙絵には登場人物たちが楽器を持っている姿が描かれているが、選択された楽器
はそれぞれ強い個性がある。ナオコサンがよくわからない楽器を持っているのは納得
できるとして、ネックの先に歯磨きチューブが仕込んであり、その商品名や味もさること
ながら、アヤコサンがせっかく気持ちよく歌おうとしているのに、その頭に練り歯磨きが
垂れ流されている。アヤコサンの胸には銀の薔薇、袖口にも刺繍と、着飾らせていながら
扱いはぞんざいである。

アンプにはロボの足が生えており、無線式かつ自走式なのだろう。この感覚は吾妻ひでお
を思い起こさせる。トイピアノには「MOOOG」とあり、この名前だけでトイピアノ
らしからぬ重厚な音が出るに違いないと思わせる。テレビモニタには黒ナオコサンが
おり、テルミンらしきものを演奏している。
表紙カバーを外すと、それぞれの楽器の解説があるが、アヤコサンだけはアレだ。

ニュータイプのインタビュー記事にあるイラストでは、ナオコサンの百合星ギターの
ネックは真っ直ぐだが、表紙絵ではグネグネを曲がっている。おそらく表紙の折り返しに
ヤオイ星人を登場させる為に書きなおしたのだろう。ここにも作者の愛が感じられ、
同時にサービス精神も伝わってくる。pcfxはこのようなところを見て「買ってよかった」
と満足する。そしてなにより、みすずの楽器にコンガをもってくるあたりがいい。特に
手がいい。


3巻の内容で特によかったもの。

 アヤコサンが相変わらず同人誌買いすぎて水だけでがまんしている表情。

 小学4年生のみすずが町の廃屋を嬉々として自由研究している描写。

 「ぴうたくん」がちゃんと16bitだった件。

 「初恋デストロイ」の扉絵の足の指が曲がっているところ。

 企業ロゴネタ

 アヤコサンが相変わらず同人誌買いすぎてお腹を空かせている表情。

 「だいたいなんでゴミ捨てに7分42秒もかかるのよ!」

 ナオコサンがBIG-1ガムらしきものを箱ごと食べている件。

 みすずロボが黒ナオコサンにエネルギー送るのに使ってるコネクタがIDEっぽい。

 中山式快癒器。

 アヤコサンのバザーでのあぐら。

 「彼女たちの消費」の扉絵の生コンプラントとくるぶしまで水に漬かった足。

 「あのユリセ・・・湯けむり星人め」

 「ライト層を滅ぼさないと我々に未来はないぞ」及び89p

 アヤコサンの電話絵と「そこだー」

 美肌ニート。

 143pの使い方で悩みそうな電動工具。

 151pのつげ義春ネタ。及び「めっバッジ」



これだけリストアップしてわかったが、pcfxはアヤコサンが好きらしい。そして足フェチ
らしい。わかってはいたが。



3巻にはアニメDVDがバンドルされている。一番の衝撃はナオコサンの声が新井さんだった
という点。ナオコサンの声はもっとハスキーで高い声を想像していた。また、触手の色が
生々しいのも意外だった。

pcfxはナオコサンのTVアニメ化を強く望んでいるが、条例によってkashmir氏の毒を抜く
作品にだけはなって欲しくないと願っている。kashmir氏の毒と絵柄と脱力のバランスを
愛してやまない。

東京

2011年02月18日 | ドライブとかりょこうとか
pcfxは名古屋近郊に在住している。年に1回くらいは東京に遊びにいくのだが、のぞみに
乗って1時間40分くらいで到着する。pcfx家の最寄り駅から名古屋駅まで40分かかる
から、家から2時間半もすれば東京駅に降り立っていることになる。リニアが完成すれば
家から1時間20分で東京に行ける事になる。

のぞみに乗り、ペットボトルのお茶など飲みつつ雑誌など読んでいるともう東京だ。
早すぎて東京に来たという実感がない。
東京に行く時はだいたいプランなどないので、山手線に乗り換えて東京駅から秋葉原へ
なんとなく足が向いてしまう。地方から来る者にとって、山手線の「内回り外回り」と
いうのは混乱する。内と外の指標がわからない。数日滞在してやっとわかった気でいる
と、翌年来る時には忘れているのでまた混乱する。「時計回り」とかではダメなのか。

山手線に乗ってドアの上にあるモニタを眺めながら、乗客を観察する。名古屋より服装
などに多様性がある気がする。割とラフな人が多い。名古屋と違って東京の人はあまり
車に頼らない生活をしているから、移動といえば大抵電車になるのだろう。名古屋で
車で移動する層も東京では電車に乗るのでいろんな人がいるのだろう。

そんな事を考えているうちに秋葉に到着する。駅を一歩出るとメイドさんがチラシを
配っている。どっかから「萌え萌えきゅん!」という声が聞こえる。ラジオ会館の
看板が目に飛び込み、なんとなくいつも最初はここに入ってしまう。
しばらくブラブラと店を冷やかしながら歩いて、お腹が空いたらペッパーランチ。
ここもなぜかフラフラと入ってしまう。ドリンク券をもらえるので、翌日もまた行って
しまう。腹が膨れたところでまたブラブラ歩き、タイトーのゲーセンに入る。古い
ゲームを見るとついついやってしまう。

とらのあなとかの本屋を巡っているうちに夜になり、いつも泊まっている巣鴨のホテルに
チェックインする。巣鴨にはナムコのゲーセンがあり、昔はここが聖地だった。若い頃
pcfxもよく来ていた思い出の地が巣鴨。着の身着のまま出てくるので、着替えの服など
は巣鴨の西友で買う。使用済みの服や買い物したものは、その都度紙袋にいれてコンビニ
から自宅へ宅配する。


翌日からは趣味の博物館巡りがはじまる。東京は博物館が多いので楽しい。巣鴨の駅で
SUICAを買う。名古屋ではあまり電車に乗らない上、JRの路線を使うとなると地域が限定
されるのでSUICAは普及していない。名古屋人の多くが使う路線は名古屋市営地下鉄と
名鉄電車だ。現在MANACAというカードが普及しつつあるようだ。

東京へ行く時期がコミケの時期に重なると一応覗きに行く。もちろん並んだりする気力
はないので14時過ぎてから。ゆりかもめよりも浅草から出てる船に乗ったほうが
面白いので、わざわざ高い金払って船に乗る。何度かゆりかもめにも乗ったが、いつも
なんか電車が止まってしまうので相性が悪いのだろう。


せっかく東京まで来たのだから横浜でも行こうかと毎回思うのだが、まだ行ってない
博物館が山ほどあるので後回しになる。千葉や埼玉の博物館にも行きたいが、東京だけで
手一杯になるので未だ行けずにいる。いつも23区内を電車で動き回って終わる。


博物館の面白いところは、もちろん展示物がメインにはなるが、ヒマそうにしている
案内&解説係りのじいさんに展示物についてマニアックな質問をぶつけ、こちらの
知識を圧倒してくるマニアックな返答を聞いている時や、館内を嬉しそうに走り回る
子供達の喜怒哀楽を眺めるところにもある。はしゃぎ、ダダをこね、泣き喚き、甲高い
声で笑う子供と博物館の組み合わせには未来がある。

また、「博物館メシ」を味わうのもpcfxの趣味だ。博物館に併設されたレストランや
食堂には、博物館にちなんだコースや定食があることが多い。色々な博物館メシを
食ってきたが、共通しているのは「うまい!」というほどの味ではない事。大抵は
高くてまずい。もちろん例外はあるが、多くがそうだ。それでもpcfxは博物館でメシを
食う。そしてミュージアムショップで土産を買う。資料集や写真集も買う。使わない
キーホルダーや絵葉書も買う。全ては博物館の繁栄を願って。


東京で遊ぶだけ遊んだらもう帰る日だ。東京を夕方にでて名古屋につくと夜。そして
家に到着。やはり、あまりに早いので、さっきまで自分が東京にいたのが夢のようだ。
ちょっと名古屋の繁華街に行っていたようなご近所感覚だ。

これがリニアになると、家から名古屋駅に行くのと同じ時間で名古屋駅から東京に
ついてしまうのだ。たぶん駅弁を食べてる余裕もないだろう。ヘタするとペットボトルの
お茶を飲みきらない間についてしまい、キオスクで買った週間アスキーの巻頭ページを
読んでる間に車内アナウンスで「まもなく、東京、東京、」と聞こえてくる。

子供の頃、科学館で見たリニア超特急の走行模型が、40年以上経ってようやく実現
する。遅かった気もするが、いざ現実になるとその物凄いスピードに混乱するばかり
である。

インド鉄道999

2011年02月17日 | ドライブとかりょこうとか
pcfxは海外を訪れた際、よく鉄道を利用する。しかし訪問先がたいがい途上国なので、
鉄道が発達してなかったり、飛行機のほうが断然早かったりする。しかし鉄道にしか
ない味わいというものがあり、またそこには便利すぎても不便すぎてもいけない旅情が
隠されている。
日本は狭い国の上、新幹線などの超特急が発達した。さて駅弁でも食べるか、と思ってる
うちに到着してしまったり、隣り合わせた人と満足に話しをするほどの余裕もない。
だから寝台車は廃れ、ホームの物売りも姿を消し、おちょこつきのお茶や冷凍みかんも
消え去ったのだった。

この「便利すぎず不便すぎない」という旅情と、広大な路線網をもった国がインドだ。
大都市間を結ぶエクスプレスに乗っても1日や2日かかる。だからそれは当然寝台車だ。
エアコンもなく簡素な二段ベッドが並ぶクラスもあれば、エアコンが効いてて
リクライニングシートのクラスもあるし、それらのクラスと車両自体が隔絶されたセレブ
専用の二段寝台もある。

インドは強度の階級社会なので、乗るクラスはその人によって決まっている。気分で
グリーン車に乗ってみるとかの気軽なクラス分けではない。しかし外国人であれば
そのあたりは自由に選べる。最も安全でサービスが行き届いているのは当然特等車だが、
これまた当然ながら値段も高い。エアコンも「これでもか」というくらい効きすぎ、
大抵の日本人は風邪気味になる。インドは大抵暑いので旅の服装は薄着だ。だから毛布や
シーツを被って震えることになる。回りの乗客はセレブなインド人ばかりであり、身分の
高い人は外国人に関わりたがらない事もある。成功した商人などは気さくに話しかけて
くるが、話題は商売の話を好む。というか商売の話や国際金融の話ばかりな事が多い。

駅に止るごとに「チャイ、チャイ、チャイ」とバケツやポットを持った男が通路を往復
し、甘いミルクティーを売りに来る。全く同じチャイがクラスで値段が違うのはご愛嬌
だ。小さめの紙コップを受け取り、一口すすると「あったかい」のでホッとする。
車内はあいかわらず極寒地獄だ。

食事時が近づくと、食事のリクエストを聞きに来る。メモ用紙のようなオーダー紙に
今日のメニューがあるが、「ベジタリアンカレー」「ノンベジカレー」の二種類の中
から選ぶのが普通だ。どっちを選んでもカレーである。ノンベジを選ぶと、骨付きの
チキンが入ったカレーとチャパティとヨーグルトなどがアルミの容器に入って出てくる。
ちゃんとアツアツだが、スプーンなどはついてたりついてなかったりするので手で
食べることになる。カレーの中に入った大きな骨付きチキンを、指をカレーまみれに
して取り出して食べる。指をなめながら一人で黙々と食べる。食べ終わったら洗面所で
手を洗うが、ハンドソープで洗ってもカレーの匂いは残る。セレブの車両なので、
食事のあとに歯を磨く人も多く、食事後の洗面所は列になってならぶ。

トイレは車両に一つ必ずあり、わりと清潔だ。車両内は禁煙だが、トイレやデッキでの
喫煙は黙認されている。黙認されているだけなので、何かあったら処罰されるかも
しれないが、そんなことはほぼない。インド式トイレは尻を水で洗う方式なので、揺れる
列車の中、時々水が予定外の方向に飛び散る。


pcfxは列車に乗る前に、ペットボトルの水や菓子をたくさん買い込んでおく。列車内で
提供される飲み物はチャイ一択。食べ物はカレーの一択だからだ。また、ウェット
ティッシュも欠かさない。カレーの匂いを少しでも指先から拭い去るためだ。大都市に
あるブックスタンドでは、旅行者が飽きた本を売って別の本を買うシステムがあるので、
日本語の小説などを仕入れておく。携帯ゲーム機もあるといい。当時pcfxはゲームボーイ
で逆転裁判をやったり、バンコクや香港で買った「30IN1」などのソフトで車内
のヒマな時間を潰していた。インドまできてボンバーマンにハマる日本人がpcfxだ。


鉄道旅行には時刻表が必要だ。まずこれがなければプランもへったくれもない。日本にも
JR東や西があるように、インドの鉄道も地域によって分割されている。時刻表もそれぞれ
に分かれているので、当面移動する地域の時刻表を手にしなければならない。日本なら
みどりの窓口などに行って「時刻表ください」と言えば簡単に手に入るのだろうが、
インドだとどこに行けばあるのやら、駅員すらあやふやだ。そして時刻表はあったり
なかったりし、あっても古かったりする。駅にないので本屋を回ると売ってたり。そんな
ことをしている間に1日終わるのだ。

駅員のインド訛りの英語が聞き取れず駅員にバカにされるが、イギリス人旅行者ですら
「パードゥン?エクスキューズミー?ワッツ?」を連呼している。
ターバンを巻いたポーターが旅行者の荷物を抱えてどんどん先に進み、持ち主とはぐれて
大声で探している声を聞きながら駅を歩いていると、物乞いの子供が足にまとわりついて
くる。手荷物預かり所でサリーを着たオバサンが順番を抜かして割り込んでくる。
駅にある床屋に入ってヒゲを剃ってもらう。ちゃんと新品のカミソリの刃を使っているか
確認し、インド人床屋に身を任せる。そのシュールさに笑いがこみ上げてくる。
そんなインドの大都市の駅の喧騒に、いつしか慣れている自分を見つける。

pcfxは鉄道マニアではないが、時刻表の楽しみはわかる。自分の行きたい所へのルート
を探し、最短時間と価格を勘案したり、乗るべき列車を○で囲ったりするのは旅の醍醐味
だ。

自分の乗るべき列車がわかったら予約しに駅へいく。切符売り場にならんでいると、
オバサンが割り込んでくる。インドでは女性は割り込んでいいことになっているが、
男達は不機嫌だ。やっと自分の番になると「外国人はここじゃないよ」「カードは使え
ないよ」「ドルは使えないよ」「その路線はあっちの窓口」とかでたらい回しにされる。
行き先や特急名や日時を質問され、全部答えると、申し込み用紙を渡されてそれを書け
と言う。じゃあ最初から渡せよ。用紙を書き込んで渡すと、ルピーで価格を言ってくる。
特急特等寝台車は高い。だからドルかカードかTCで払うと言うと面倒くさがって
ルピーで払えと言う。「外国人窓口」にデカデカと「VISA」というステッカーを
貼っていながらこれだ。でかい声で「オーベン!」と叫ぶと、係員は「OK、カードで
いいよ」と涼しい顔。そして支払いの段階になって「席がない」とか言い出す。


いよいよ列車に乗る時間。案内板で示されたホームに行くと、みんなキョロキョロして
いる。インドでは案内どおりのホームに列車がこないことが多いからだ。直前になって
ホームが決まる。別のホームに列車が来ると、みんな一斉に走り出す。
今度は自分が乗る車両を探す。列車の外側に座席番号の紙が貼り付けられている。
それを探してホームを走る。ボヤボヤしてると置いていかれる。

やっと見つけて乗ってみれば、自分の予約席に誰か座っていたり寝ていたり。文句を
いうと「まあそう怒るな」と、自分の席に戻っていく。無視する奴もいるが叩き出す。
なかなか発車しないので車掌に聞くと、修理のため2時間後に発車すると悪びれもせず
言い放つ。




そんな試練や苦行や不満やブチギレを乗り越えると、ようやく列車は目的地に到達する。
予定より4時間ほど遅れ、20時に着く筈がもう夜中の12時だ。ホテルに着くと門が
閉まっていて入れない。駅に戻ってリタイヤニングルームに行くが既に満室。仕方ない
ので荷物を預けてからホームに寝袋敷いて寝る。貨物列車が夜中に何度も通り過ぎる。
「俺、なんでこんな苦労してるんだろ?」と考えていると、列車は万感の思いを込めて
線路にいる牛へ警笛を鳴らす。メーテルはいないが物乞いの少女がいつの間にか隣で
寝ている。明日の汽笛が君にも聞こえているだろうが、うるさくて眠れない。

kashmir氏インタビュー記事

2011年02月17日 | マンガとかアニメとかほんとか
kashmir氏のツイッターに、「ニュータイプにインタビュー記事あり」との情報が
あったので、ニワカファンで少々テンションがおかしくなっているpcfxは、雨の中バイク
を飛ばして近所の本屋に行き、20年ぶりくらいにアニメ雑誌の「ニュータイプ」を
購入した。そして真っ先に目次を探し、目的のページを開いたのが今。

・・・そして今読み終わった。

他の記事はその内に追々読むかもしれないがとりあえず放置。

インタビュー記事の内容には触れない。買って読むべきであり、巻末近くにある
アンケートハガキの1番と3番の目次番号に「155」と書き、7番の項目には
「百合星人ナオコサン」と書き込んで送るのが大人というものだ。いや、大人の行動では
ないかもしれないが、人間として正しい行為である。



そんなおかしいテンションのpcfxではあるが、まだ「彼女はuxo」という作品は読んで
いない。まだコミックスになっていないからだろうが、雑誌を買って読むべきなのは
わかっている。そのうちにその領域に踏み込むだろう。また、同人作品も読んでいない。
そのうちに集め出すだろう。


なんにせよ、百合星人ナオコサンの2巻表紙絵の秘密を知れただけでも、アニメ雑誌
「ニュータイプ」を買ってよかったと、森永の3個パックのコーヒーゼリーを食べながら
悦に入るpcfxだった。


国産

2011年02月17日 | げーむ
80年代にゲーム機やパソコンが次々と発売され、pcfxの世代が熱狂していたように、
現在の若者もスマホや携帯ゲーム機でワクワクしているのだろう。

それらの熱狂は製品が日本によって開発され、世界的なイニシアチブを持っていた事と
無縁ではない。世界最先端の製品で遊ぶ楽しみは他国の者にとっても羨望される。
80年代には外国製品にも面白いものがたくさんあった。しかし日本ではあまり知られて
おらず、国産品のみが視野の中心に置かれてもてはやされていた。

ファミコンはアタリゲームの後追いであり、PC-88はアップルやIBMの後追いだ。日本は
常にアメリカに一歩遅れていた。しかしその事実は一般消費者に知らされないまま、国内
の情報だけが氾濫して熱狂を呼んでいた。

pcfxはマイナー機好きという変わり者であったがために、外国製品をよく使用していた
ので、当時いかにアメリカ製品が進んでいたのかを知っていた。友人たちがPC-88という
国民機で遊んでいるのを見て、羨ましくもあったがその低性能に辟易としていた。

ゲーム機はその後日本メーカーの一人勝ちが続いていったが、日本のパソコンはPC-98が
席巻して、その後IBM互換機の規格に負けた。今の若者は自分が使っているパソコンが
「IBM互換機」だという意識も希薄だろう。
これはある意味、戦争に負けたのと同様の屈辱的な出来事だったが、そのことには誰も
関心を持たずにWIN95というOSの熱狂に置き換えられていった。よく考えると、以前から
PC-98でもMS-DOSを使っており、この敗戦は予定されたものだったようだ。国産OSで最後
まで戦い抜く決意をしたメーカーはおらず、全てマイクロソフトの軍門に下っていった。

その後自作パソコンという、規格品をつなぎ合わせる楽しみはできたものの、マシンの
思想や構想といったものに惚れ込んで購入することはなくなった。規格部品も外国製の
ものが主流で、インターネットの普及と共に、世界を視野に置くのが当然の世の中に
なっていった。これは面白くもあり、どこかで面白くない事だった。

ネット社会が到来し、ハードウェアやOSに依存しない下地もできつつある今、国産の
OSと国産ハードによって、国内シェアを取り戻す時代が来た。世界に「ガラパゴス」と
呼ばれようが気にしない。そんなのはローテク国家の妬みだ。日本独自の構想で、日本人
が興奮と熱狂を味わえることこそ重要なのだ。

そんなハードウェア帝国主義の再編を望むとともに、NECには是非とも新しいゲーム機を
作って欲しい。新時代の「コア構想」で余計な周辺機器を山ほど作り、「パソコン」と
「ゲーム機」の境界を破壊してもらいたい。
セガにももう一度立ち上がってもらいたい。未だ64ビット化も普及できない国際基準
など無視し、一気に256ビット機で世界を震撼させ、全米を涙で濡らして欲しい。


日本の本質は夢幻の国であり、いつまでも不思議で、永遠に子供の国だ。それを日本人が
望み、世界も期待している。小賢く小ずるい商人が残っても、それは誰も幸せにしない。

日本人がやるべき事をやろう。

ペーパーボーイ

2011年02月16日 | げーむ
アタリ社から発売されたアーケードゲーム、「ペーパーボーイ」。
新聞配達のバイト少年が、自転車に乗って新聞を配るゲームなのだが、これがまた
pcfxのハートにストライクな変態ゲームだった。



日本と違いアメリカの新聞配達は、家の郵便受けに律儀に確実に新聞を入れるわけでは
ない。玄関先に投げておけばそれでOKだったりする。新聞配達は自転車で走りながら新聞
を投げるのが仕事だ。



ペーパーボーイの筐体には自転車のハンドルが設置されており、ブレーキもついている。
ハンドルを前に倒すと加速、引くと減速する。契約している家に新聞を投げ込み、障害物
にあたらないようにゴールまで進む。これを一週間続けるゲームだ。契約者の家に新聞を
うまく配達できなかったり、家のガラスを割ると契約を打ち切られるが、契約してない
家はガラスを割ろうがインテリアを壊そうがおかまいなしだ、



障害物は、ただの障害物ではない。犬が追いかけるとか猫が飛び出しているうちは
いいが、そのうち酔っ払いがウロウロしはじめ、道の真ん中でブレイクダンスを踊り、
霊柩車は急にバックで飛び出し、爆弾魔が爆弾を設置する。石像のフリをした男が突如
走り出し、死神が邪魔をし、買い物カートを押したオバサンが高速で突っ込んでくる。
ハードストリートの金曜日あたりになると、町中のありとあらゆるものが新聞配達を
阻んでくる。狂気の町であり、もう新聞配達どころじゃない。



契約者を全て失うとゲームオーバーとなり、配っていた新聞の1面で「クビ!」と
糾弾される。週給いくらかしらないが、割に合わないバイトである。





カウベルの音とともに始まる軽妙なBGM。音源はYM2151とPCM、及び合成音声チップだ。
アタリのクレジット音は大抵「鐘の音」。ペーパーボーイはまだ大人しいが、後の
「ハードドライビン」あたりから鼻を劈くような轟音に変わる。
このゲームは「いかにもアメリカ」という生活臭に溢れ、人々は自由である。
この雰囲気と自転車の少年から、「グーニーズ」を思い出してしまう。



主人公の「ペーパーボーイ」は鼻が上を向いており、出っ歯で眉が垂れ下がった少年
だが、なぜか憎めない小僧である。そしてこのゲームも、狂気に満ち溢れてはいるが
なぜか好きになってしまう。そしてシンディローパーのあの歌声も聞こえてくる。


沙羅曼蛇

2011年02月15日 | げーむ
ダライアスほど巨大ではなかったが、専用筐体のシューティングゲームが、同じような
時期にゲーセンに登場した。沙羅曼蛇である。



pcfxが通っていたゲーセンには、アップライト型の専用筐体が入荷した。同じコナミの
「グラディウス」の続編かと思ったが、その内容はえらく違う。横スクロールかと
思ったら縦スクロール面もある。大きく張り出したコントローラーとスピーカー。
歴史的名器YM2151を搭載したFM音源サウンド。合成音声ボイス。ステレオ8chのYM2151は
pcfxが愛してやまない音源チップであり、ペンダントに加工して大切に保存している。
YM2151はステレオ出力に対応し、4オペレータである上、効果音的な使い方も自由に
でき、しかも8chもある優れものだった。8chと一口にいうが、この頃に1チップで
8chサウンドというのは画期的で、しかもステレオだからワクテカが止らない。
メロディとコードとベースとドラムに使ってもまだ余る。余裕シャクシャクな音源。
今まで遠慮して3和音しか使わなかったコードも4和音使えちゃう。そんな夢の音源が
YM2151だった。

さて沙羅曼蛇だが、誰もが印象に残るものといえば1面の内臓グルヌチャ的グラフィック
だろう。戦闘機で脳細胞に手が生えたボスと戦うなんて思いもよらなかった。また、
いきなり自機がプロミネンスに巻き込まれて死ぬなんて思わなかったし、岩石をレーザー
で切り開いて進むというのも、はじけるビー球に泣くことになるとも、誰も思って
なかった意外性のゲームだった。



このゲームの特色は合成音のボイスであり、ボスコニアン以来の印象に残るボイスは、
今でも空耳ネタとして使用される。「メシ食いてぇなもう!」「つ味噌」



沙羅曼蛇もアルバムが発売され、アポロンから出ていたやつは、郷ひろみのような声で
ナレーションが入り印象が深い。残念なことに、誰かにテープを貸したままなくして
しまった。

沙羅曼蛇はせっかくのBGMが効果音に負けてしまっているのでゲーセンでは聞き辛かった
が、クレジット音やゲームオーバー音だけは透明感のある音でゲーセンに響き渡った。
ゲームが終わった後の高揚感とともに、ゲームオーバー音が心地よく見送ってくれたのを
よく覚えている。



pcfxが通っていたゲーセンは、なんと隣接して2軒もゲーセンが並んでいた。別の会社の
経営だが、両方合わせるとゲームの種類が非常に多彩で、当時名古屋ではゲームのメッカ
のような立地であった。

この隣のゲーセンには、沙羅曼蛇の海外バージョンである「ライフフォース」が置いて
あった。こちらはパワーアップ方式がグラディウスと同じで、沙羅曼蛇とはかなり
印象の違うものだった。ただ、その隣のゲーセンはメンテが悪いので有名な店であり、
ライフフォースもボタンが壊れていたりレバーが壊れていたりであまりまともにプレイ
できなかったのが残念だった。

時期的にダライアスに押され、専用筐体販売だったので、どこのゲーセンにもあった
というマシンではないが、沙羅曼蛇は当時のゲーム少年達に忘れがたいトラウマや
感動を残した名作だといえる。

ダライアス

2011年02月15日 | げーむ
pcfxが若かりし頃、ゲーセンに突如大型筐体のゲームが搬入された。
たまたま居合わせたpcfxは、ゲーセンのおっさんから搬入を手伝ってくれと頼まれ、
重い筐体を外から店内の奥へと運び込んだ。

やたらでかい。専用シートまである。なんかモニタがいくつもある。

なんじゃこりゃ?と思いながら、タイトーの人が組み立てるのを眺めていると、手伝った
お礼に、とテストプレイをさせてもらえることに。

「横になげえええええええええ!」

画面を見た最初の感想である。



サービスクレジットを入れてもらうと、席が振動した。ボディソニックである。正直、
ムズ痒い感覚だった。スタートボタンを押してゲームを開始すると、

「自機ちっちぇえええええええ!」

広いゲーム画面にちんまりと自分の機体が浮かんでいる。どんだけ広大な空間なのか。


ショットボタンとミサイルボタンはタイトー伝統のマイクロスイッチ式。カチカチと
音がでる。頭上直近にはステレオスピーカー。曲はFM音源とSSGがセットになった
YM2203をステレオで二つ使っているようだ。それとPCM。当時としては豪華絢爛な
オーディオセットである。ボディソニックとあいまって、サウンドも画面も文句なしの
出来だった。



その上ゲームも面白かった。なにしろ広大な空間を移動できる自由度と、難し過ぎない
難易度。巨大なボス。ゾーンごとの多彩さ。どれをとっても一級品だった。

テストプレイの初回でピラニアまで行ったが、ピラニアの口から出てくる子ピラニアの
攻撃の前に自機を全て失った。

もうその頃には学校帰りの学生が列を作って順番待ちしていた。押すな押すなの大盛況
だった。順番や連コインを巡って争いが起きるほどになり、ゲーセンのおっさんが
整理券を配るくらいの大繁盛に。


80年代の中ごろに登場したダライアスは、その特殊な画面構成によって、コンシューマー
機には完全な移植がされてこなかった。なにしろ3画面である。通常のモニターで再現
すると、ドットが足らず、タテの幅が妙に細くなってしまう。現在のHDモニターで
さえ、タテ幅は三分の一になり迫力が足りない。筐体を買うにも巨大過ぎ、普通の家
では置き場に困るだろう。また、ボディソニックも日本の住宅事情では堪能できまい。

ダライアスはタイトーの金字塔であり、不朽の名作である。続編も出たが、初代の迫力を
超えるものは未だなく、最近の「アナザークロニクル」でさえチャチに見える。


また、各面のボスが海洋生物戦艦だった事もインパクトを与えた。海洋生物は重力の
影響が少ないので巨大なものが多い。その巨大さが不気味さと迫力を持ってプレイヤー
に襲い掛かってくる。耐久力があり、弾をばら撒き、苦戦しているとヤズカと呼ばれる
援軍までやってくる。強敵のピラニアにたどり着くと、その時の最大武装がチャチな
レーザーだったりして苦戦する。後半にさしかかると面の構成もハードになっていき、
小惑星が雨霰のように飛んできたり、都市の建造物が邪魔をして通路が狭かったり、
隠しミサイルが卑怯なタイミングで飛び出してきたりと、トラップに余念がない。

シールドもパワーアップしていくが、最強のハイパーアームにすれば万全というわけ
でもない。ハイパーアームは障害物に当たるとそれを弾いて自機が撥ねる。しかし、
有難迷惑な事に、狭い地形では撥ねた拍子に別の地形にブチ当たってしまうのだ。

武器もパワーアップしていくが、最初のミサイルは連射は出来るが貫通できない。次の
レーザーは敵を貫通するが攻撃範囲が劣る。最後のウェーブは敵も地形も貫通できて便利
だが、連射力に難がある。自分の進むべきゾーンに合わせた武器やシールドを考えないと
難易度があがる仕組みだ。

パワーアップアイテムは、特別な色のザコを倒すと発生するが、画面が広いので、取りに
いけないまま画面外に消えてしまうこともある。


ダライアスの魅力はいろいろとあるが、pcfxは特にサウンドを押したい。YM2203の性能
には限界もあるが、PCMの使い方でそれを補う。最初の面のキャプテン・ネオなどの
普通の曲はともかく、Bゾーンなどのインオーガニックビートはドラム主体の曲であり、
宇宙面のオーケストラサウンドなど、PCMのもつ音圧を最大限に利用した迫力がスゴイ。
ラストのボスの曲などは、「ああ、これが最後の戦いなんだな」と武者震いと鳥肌を
同時に起こさせ、狂気と官能と焦燥を喚起し、プレイヤーを音の世界に引き込む。

ダライアスの曲がアルバムで発売され、そのライナーに「時間がなくて割と適当に
作った」という製作者のコメントがあったが、じゃあ時間があったらこれ以上のサウンド
だったのかと逆に驚愕して尻餅を突き、座り小便をジョジョジョと漏らしてしまう。


ダライアスは3画面筐体だったが、繋ぎ目が見えないようにハーフミラーを使っていた。
モニターの位置が完全に一致するように微調整しなければならない。ボディソニックの
振動があるため、この調整は定期的に行わなければならなかった。また、ゲーム筐体は
内部の基盤や電源などを冷却するためにファンで強制排気している。その際、ゲーセン
のホコリを吸引するため、ハーフミラーはよく汚れる。しかし取り付け角度が掃除
しにくいようになっているので、一度ハーフミラーを取り外して掃除しなければ
ならなかった。もちろんモニター3台とも。
また、タイトーお得意のマイクロスイッチは劣化しやすい構造のため、頻繁に交換
しなければならなかった。メンテが適当なゲーセンでは、画面はズレっぱなしで
汚れっぱなし、ボタンは壊れっぱなしだった。

ボディソニックのせいで近所から苦情がくるゲーセンもあり、せっかくのボディソニック
のコネクタを抜いて殺してしまうゲーセンもあった。

この筐体はその後、ニンジャウォーリアーズなど他のゲームに流用されたが、設置面積
と売り上げの関係から売りに出されるものも多く、温泉ホテルのゲームコーナーなどにも
流れていった。

とある温泉に社員旅行で訪れたpcfxは、モニターがズレてボタンが壊れたままの
ダライアス筐体に哀愁を感じ、ホテルの管理人に苦情をいいつつ、自分に保守させてくれ
と申し出て、他の社員が二次会でカラオケに興じている時間に、一人黙々と無償で
ハーフミラーやモニタを拭き、ボタンを交換したのを覚えている。

カシミール効果

2011年02月14日 | うちゅう
ナオコサン→デイドリ→○本と、ローテーションで繰り返し毎日読んでいると、頭の中が
kashmir世界に染まっていく。寝ても醒めてもモルボルグレート。デスクトップにはロリ
クロック。BGMは「ユリユリユリ♪」。

そんな爛れた毎日を送る中、物理現象の「カシミール効果」を突然思い出した。

電磁波はエネルギーがないような状態でも静止していない。だから幅があって、電磁場が
ゼロということはない。

なにやら難しいが、要は「物は常にピクピクしてるヨ!」ということだ。

で、二枚の金属板の間に電磁波を通すとき、振動のない(ような)状態の電磁波しか
通れない。通った電磁波は金属板の間でエネルギーが変わるので引力が生じて金属板の
間が狭くなる。

なにやら難しいが、要は「なんにもない空間はないヨ!」ということだ。
これがカシミール効果だ。

このピクピクしたり充満してたりする時空に我々は住んでいて、完全に止まっている
ように見えても実は動いており、完全な密室を作ったつもりでもルパンが既に中に
潜んでいるのだ。

また、何にもない状態からいきなり何か発生したり、マイナス1個のリンゴがテーブル
に置いてあったり、一人じゃ間に合わないので皆の持ち時間を合わせてみたら逆に時間
が足りなくなったりするという不思議な世界に住んでいる。
我々の常識は非常識の世界に浮かぶ島のようなものだ。




子供の世界である学校と、大人の社会である会社ではルールが違う。大人の世界が
正しいとするなら子供も働かなければならないが、大人は「元子供」である。学校で
学んで大人になったのだ。子供の世界が正しいとするなら、大人はいつまでも学校に
通わなければならない。しかし子供は「未大人」だ。そのうちに経済活動をしなければ
ならなくなる。
大人の世界は子供の世界の延長線上にあり、子供時代の体験が大人の行動の基礎に
なっている。
我々は大人目線で世の中を見ており、その常識に合わないものを基本的には認めない。
しかし子供は平気で常識外の行動を取り、大人を混乱させる。自分が元子供だった事を
忘れている。

極小世界の基礎ルールの上に我々の親しんだ物理法則があるが、それを常識として
満足している人は多い。しかし基礎ルールから見れば、我々が満足している事など
可能性の最も安易なものに過ぎない。もっといろいろできる筈なのに、まだ初歩的な
応用をしているだけだ。にも関わらず、極小世界のことを知らずに満足しているのが
模範社会人とされる世の中だ。

子供向けのものに夢があるのは、我々の親しんだ物理法則以外にも、いろいろな法則に
よって不思議な楽しい世界があるという可能性の予感があるからだ。その未発見の
法則を「魔法」という。突然現れる怪盗も、マイナス一個のリンゴも、極小世界
の法則では否定されない。ただ我々大人がそれらを未発見なだけだ。そしてそれらを
発見するのは宗教でも常識でもなく、計算と実験だけだ。一番現実的な方法が魔法を
見つけ出すのだ。非現実な手法で見つかるのは妄想だけであり、それは老害文化である。

子供の世界の可能性を信じ、冷徹な理論で考え、常識外の法則を手にする。同時に
大人の世界に生き、相手に合わせて妥協を繰り返し、常識に安住する。
これらを人間が同時にこなす事は無理なので、チグハグな人が発生する。

子供の世界の可能性を信じて、相手に合わせて妥協し、常識外の法則を手にしたような
気分を満喫するのが日本のマンガであり、そのチグハグさを楽しむことができれば
幸せだ。


海外の反応

2011年02月14日 | そのた
日本人は、海外から自分達がどのように見られているのかを非常に気にする民族だと
いわれている。
気にしたはいいが、それから日本人はどうしたのか。

「変だ」と言われてそれを直そうとしたかもしれないが、実際のところ今でも日本の
多くの人々や物事や製品について「変だ」といわれ続けている。この結果を見ると、
評判を気にするが変えるつもりはないようだ。

「変だ」と言われて反論した人もいたかもしれないが、日本人が自らの文化を押し付けた
という話も聞かないし、そもそも意識的にやった事なのかもあやしい。割と自然体で
やったことが「変」なのであれば、反論する根拠も希薄だ。

「変だ」と言われて調子に乗ってその傾向を増強しているようにも見えない。ただ普通に
やってきた事を、普通に続けているようにみえる。

「おもしろい」「かっこいい」「美しい」「優れている」「かわいい」などの賞賛を
受け、日本人は喜ぶ。しかしその賞賛は国内事情のなりゆき上そうなった結果であり、
元々は外人ウケを狙って作ったものではない。そしてそれからも淡々と国内需要に
合わせたものを中心に作っていく。ついでに外国仕様のも、ちょっとつくる。


このように見ると、日本人はとりあえず海外の反応を気にするが、「反応を観察する」
というエンターテイメントにしているだけのようだ。反省するとか改変するとか、
増長するとか国際基準にするとか、そういうアクションは希薄だ。日本をほめられると
嬉しいが、外人の目にどう写っているのかを知るとそれで満足して終わる。このような
反応を続けた結果、日本はますます「変」になっていく。良かれ悪しかれ。


マンガ・アニメ、自動販売機、低単価サービス業の接客、入浴習慣、衛生環境、
電車関連、自動車バイクなどなど、世界中のよいものを全部集めてそれを高品位にして
再生産した結果、日本は世界で一番楽しくて便利で心地よいもので溢れるようになった。

しかし、その影には、世界一のクォリティを維持する努力がある。年間数万人が自殺
するほどの努力が強いられ、苦しくて不便で不快な生活を送っているのだ。
言い換えれば、安眠する方法を研究するあまり不眠になっているひとのようなマヌケさ
が現代日本の姿であり、高級マンションで高級家具に囲まれて餓死するような
本末転倒が日本の生活。これがわかっててやめられないのが日本人であり、そこを
外人から「変」だと指摘されているのだ。
しかし日本人は海外の反応をエンターテイメントとしてしか感じてないので、まさか
自分達が本当に「変」な事をしているとは思ってもみないのだ。


その一方で、仕事の途中で寝ないように注意している夢を仕事中に見ている国の人や、
廃品の寄せ集めの家で楽しく適当に生きている国の人がいる。このような緩い幸せを
求めている日本人もいるが、日本という社会がそれを許さない。自分の背後の位置に
移動するのに、地球を一周して到着するような遠回りが好きなのが日本人の社会だ。
そしてその行動を指摘する他人の声を興味津々で聞きながらも、「なかなか面白い事を
言ってるな」くらいに受け取りながら地平線の彼方まで直進していく。



別に外国人に合わせる必要はない。「変」でいい。ただ、ちょっとだけ近道を許す
余裕があれば、日本はもっと豊かになるはずだ。いや、だからといって最短距離を
割り出すために全部の道を調べようとするんじゃない。そういう事じゃないから。