minority resistance

pcfx復活ブログ

インド鉄道999

2011年02月17日 | ドライブとかりょこうとか
pcfxは海外を訪れた際、よく鉄道を利用する。しかし訪問先がたいがい途上国なので、
鉄道が発達してなかったり、飛行機のほうが断然早かったりする。しかし鉄道にしか
ない味わいというものがあり、またそこには便利すぎても不便すぎてもいけない旅情が
隠されている。
日本は狭い国の上、新幹線などの超特急が発達した。さて駅弁でも食べるか、と思ってる
うちに到着してしまったり、隣り合わせた人と満足に話しをするほどの余裕もない。
だから寝台車は廃れ、ホームの物売りも姿を消し、おちょこつきのお茶や冷凍みかんも
消え去ったのだった。

この「便利すぎず不便すぎない」という旅情と、広大な路線網をもった国がインドだ。
大都市間を結ぶエクスプレスに乗っても1日や2日かかる。だからそれは当然寝台車だ。
エアコンもなく簡素な二段ベッドが並ぶクラスもあれば、エアコンが効いてて
リクライニングシートのクラスもあるし、それらのクラスと車両自体が隔絶されたセレブ
専用の二段寝台もある。

インドは強度の階級社会なので、乗るクラスはその人によって決まっている。気分で
グリーン車に乗ってみるとかの気軽なクラス分けではない。しかし外国人であれば
そのあたりは自由に選べる。最も安全でサービスが行き届いているのは当然特等車だが、
これまた当然ながら値段も高い。エアコンも「これでもか」というくらい効きすぎ、
大抵の日本人は風邪気味になる。インドは大抵暑いので旅の服装は薄着だ。だから毛布や
シーツを被って震えることになる。回りの乗客はセレブなインド人ばかりであり、身分の
高い人は外国人に関わりたがらない事もある。成功した商人などは気さくに話しかけて
くるが、話題は商売の話を好む。というか商売の話や国際金融の話ばかりな事が多い。

駅に止るごとに「チャイ、チャイ、チャイ」とバケツやポットを持った男が通路を往復
し、甘いミルクティーを売りに来る。全く同じチャイがクラスで値段が違うのはご愛嬌
だ。小さめの紙コップを受け取り、一口すすると「あったかい」のでホッとする。
車内はあいかわらず極寒地獄だ。

食事時が近づくと、食事のリクエストを聞きに来る。メモ用紙のようなオーダー紙に
今日のメニューがあるが、「ベジタリアンカレー」「ノンベジカレー」の二種類の中
から選ぶのが普通だ。どっちを選んでもカレーである。ノンベジを選ぶと、骨付きの
チキンが入ったカレーとチャパティとヨーグルトなどがアルミの容器に入って出てくる。
ちゃんとアツアツだが、スプーンなどはついてたりついてなかったりするので手で
食べることになる。カレーの中に入った大きな骨付きチキンを、指をカレーまみれに
して取り出して食べる。指をなめながら一人で黙々と食べる。食べ終わったら洗面所で
手を洗うが、ハンドソープで洗ってもカレーの匂いは残る。セレブの車両なので、
食事のあとに歯を磨く人も多く、食事後の洗面所は列になってならぶ。

トイレは車両に一つ必ずあり、わりと清潔だ。車両内は禁煙だが、トイレやデッキでの
喫煙は黙認されている。黙認されているだけなので、何かあったら処罰されるかも
しれないが、そんなことはほぼない。インド式トイレは尻を水で洗う方式なので、揺れる
列車の中、時々水が予定外の方向に飛び散る。


pcfxは列車に乗る前に、ペットボトルの水や菓子をたくさん買い込んでおく。列車内で
提供される飲み物はチャイ一択。食べ物はカレーの一択だからだ。また、ウェット
ティッシュも欠かさない。カレーの匂いを少しでも指先から拭い去るためだ。大都市に
あるブックスタンドでは、旅行者が飽きた本を売って別の本を買うシステムがあるので、
日本語の小説などを仕入れておく。携帯ゲーム機もあるといい。当時pcfxはゲームボーイ
で逆転裁判をやったり、バンコクや香港で買った「30IN1」などのソフトで車内
のヒマな時間を潰していた。インドまできてボンバーマンにハマる日本人がpcfxだ。


鉄道旅行には時刻表が必要だ。まずこれがなければプランもへったくれもない。日本にも
JR東や西があるように、インドの鉄道も地域によって分割されている。時刻表もそれぞれ
に分かれているので、当面移動する地域の時刻表を手にしなければならない。日本なら
みどりの窓口などに行って「時刻表ください」と言えば簡単に手に入るのだろうが、
インドだとどこに行けばあるのやら、駅員すらあやふやだ。そして時刻表はあったり
なかったりし、あっても古かったりする。駅にないので本屋を回ると売ってたり。そんな
ことをしている間に1日終わるのだ。

駅員のインド訛りの英語が聞き取れず駅員にバカにされるが、イギリス人旅行者ですら
「パードゥン?エクスキューズミー?ワッツ?」を連呼している。
ターバンを巻いたポーターが旅行者の荷物を抱えてどんどん先に進み、持ち主とはぐれて
大声で探している声を聞きながら駅を歩いていると、物乞いの子供が足にまとわりついて
くる。手荷物預かり所でサリーを着たオバサンが順番を抜かして割り込んでくる。
駅にある床屋に入ってヒゲを剃ってもらう。ちゃんと新品のカミソリの刃を使っているか
確認し、インド人床屋に身を任せる。そのシュールさに笑いがこみ上げてくる。
そんなインドの大都市の駅の喧騒に、いつしか慣れている自分を見つける。

pcfxは鉄道マニアではないが、時刻表の楽しみはわかる。自分の行きたい所へのルート
を探し、最短時間と価格を勘案したり、乗るべき列車を○で囲ったりするのは旅の醍醐味
だ。

自分の乗るべき列車がわかったら予約しに駅へいく。切符売り場にならんでいると、
オバサンが割り込んでくる。インドでは女性は割り込んでいいことになっているが、
男達は不機嫌だ。やっと自分の番になると「外国人はここじゃないよ」「カードは使え
ないよ」「ドルは使えないよ」「その路線はあっちの窓口」とかでたらい回しにされる。
行き先や特急名や日時を質問され、全部答えると、申し込み用紙を渡されてそれを書け
と言う。じゃあ最初から渡せよ。用紙を書き込んで渡すと、ルピーで価格を言ってくる。
特急特等寝台車は高い。だからドルかカードかTCで払うと言うと面倒くさがって
ルピーで払えと言う。「外国人窓口」にデカデカと「VISA」というステッカーを
貼っていながらこれだ。でかい声で「オーベン!」と叫ぶと、係員は「OK、カードで
いいよ」と涼しい顔。そして支払いの段階になって「席がない」とか言い出す。


いよいよ列車に乗る時間。案内板で示されたホームに行くと、みんなキョロキョロして
いる。インドでは案内どおりのホームに列車がこないことが多いからだ。直前になって
ホームが決まる。別のホームに列車が来ると、みんな一斉に走り出す。
今度は自分が乗る車両を探す。列車の外側に座席番号の紙が貼り付けられている。
それを探してホームを走る。ボヤボヤしてると置いていかれる。

やっと見つけて乗ってみれば、自分の予約席に誰か座っていたり寝ていたり。文句を
いうと「まあそう怒るな」と、自分の席に戻っていく。無視する奴もいるが叩き出す。
なかなか発車しないので車掌に聞くと、修理のため2時間後に発車すると悪びれもせず
言い放つ。




そんな試練や苦行や不満やブチギレを乗り越えると、ようやく列車は目的地に到達する。
予定より4時間ほど遅れ、20時に着く筈がもう夜中の12時だ。ホテルに着くと門が
閉まっていて入れない。駅に戻ってリタイヤニングルームに行くが既に満室。仕方ない
ので荷物を預けてからホームに寝袋敷いて寝る。貨物列車が夜中に何度も通り過ぎる。
「俺、なんでこんな苦労してるんだろ?」と考えていると、列車は万感の思いを込めて
線路にいる牛へ警笛を鳴らす。メーテルはいないが物乞いの少女がいつの間にか隣で
寝ている。明日の汽笛が君にも聞こえているだろうが、うるさくて眠れない。

kashmir氏インタビュー記事

2011年02月17日 | マンガとかアニメとかほんとか
kashmir氏のツイッターに、「ニュータイプにインタビュー記事あり」との情報が
あったので、ニワカファンで少々テンションがおかしくなっているpcfxは、雨の中バイク
を飛ばして近所の本屋に行き、20年ぶりくらいにアニメ雑誌の「ニュータイプ」を
購入した。そして真っ先に目次を探し、目的のページを開いたのが今。

・・・そして今読み終わった。

他の記事はその内に追々読むかもしれないがとりあえず放置。

インタビュー記事の内容には触れない。買って読むべきであり、巻末近くにある
アンケートハガキの1番と3番の目次番号に「155」と書き、7番の項目には
「百合星人ナオコサン」と書き込んで送るのが大人というものだ。いや、大人の行動では
ないかもしれないが、人間として正しい行為である。



そんなおかしいテンションのpcfxではあるが、まだ「彼女はuxo」という作品は読んで
いない。まだコミックスになっていないからだろうが、雑誌を買って読むべきなのは
わかっている。そのうちにその領域に踏み込むだろう。また、同人作品も読んでいない。
そのうちに集め出すだろう。


なんにせよ、百合星人ナオコサンの2巻表紙絵の秘密を知れただけでも、アニメ雑誌
「ニュータイプ」を買ってよかったと、森永の3個パックのコーヒーゼリーを食べながら
悦に入るpcfxだった。


国産

2011年02月17日 | げーむ
80年代にゲーム機やパソコンが次々と発売され、pcfxの世代が熱狂していたように、
現在の若者もスマホや携帯ゲーム機でワクワクしているのだろう。

それらの熱狂は製品が日本によって開発され、世界的なイニシアチブを持っていた事と
無縁ではない。世界最先端の製品で遊ぶ楽しみは他国の者にとっても羨望される。
80年代には外国製品にも面白いものがたくさんあった。しかし日本ではあまり知られて
おらず、国産品のみが視野の中心に置かれてもてはやされていた。

ファミコンはアタリゲームの後追いであり、PC-88はアップルやIBMの後追いだ。日本は
常にアメリカに一歩遅れていた。しかしその事実は一般消費者に知らされないまま、国内
の情報だけが氾濫して熱狂を呼んでいた。

pcfxはマイナー機好きという変わり者であったがために、外国製品をよく使用していた
ので、当時いかにアメリカ製品が進んでいたのかを知っていた。友人たちがPC-88という
国民機で遊んでいるのを見て、羨ましくもあったがその低性能に辟易としていた。

ゲーム機はその後日本メーカーの一人勝ちが続いていったが、日本のパソコンはPC-98が
席巻して、その後IBM互換機の規格に負けた。今の若者は自分が使っているパソコンが
「IBM互換機」だという意識も希薄だろう。
これはある意味、戦争に負けたのと同様の屈辱的な出来事だったが、そのことには誰も
関心を持たずにWIN95というOSの熱狂に置き換えられていった。よく考えると、以前から
PC-98でもMS-DOSを使っており、この敗戦は予定されたものだったようだ。国産OSで最後
まで戦い抜く決意をしたメーカーはおらず、全てマイクロソフトの軍門に下っていった。

その後自作パソコンという、規格品をつなぎ合わせる楽しみはできたものの、マシンの
思想や構想といったものに惚れ込んで購入することはなくなった。規格部品も外国製の
ものが主流で、インターネットの普及と共に、世界を視野に置くのが当然の世の中に
なっていった。これは面白くもあり、どこかで面白くない事だった。

ネット社会が到来し、ハードウェアやOSに依存しない下地もできつつある今、国産の
OSと国産ハードによって、国内シェアを取り戻す時代が来た。世界に「ガラパゴス」と
呼ばれようが気にしない。そんなのはローテク国家の妬みだ。日本独自の構想で、日本人
が興奮と熱狂を味わえることこそ重要なのだ。

そんなハードウェア帝国主義の再編を望むとともに、NECには是非とも新しいゲーム機を
作って欲しい。新時代の「コア構想」で余計な周辺機器を山ほど作り、「パソコン」と
「ゲーム機」の境界を破壊してもらいたい。
セガにももう一度立ち上がってもらいたい。未だ64ビット化も普及できない国際基準
など無視し、一気に256ビット機で世界を震撼させ、全米を涙で濡らして欲しい。


日本の本質は夢幻の国であり、いつまでも不思議で、永遠に子供の国だ。それを日本人が
望み、世界も期待している。小賢く小ずるい商人が残っても、それは誰も幸せにしない。

日本人がやるべき事をやろう。