minority resistance

pcfx復活ブログ

生きるということ

2011年02月09日 | うちゅう
生き続けるということは、反射行動と苦痛回避の連続だ。車に撥ねられそうになったら
避けるだろうし、死ぬ時は大抵痛いのでいやだ。
長生きしたいから食生活とか運動とか気をつける。病気は苦痛だからやはり気をつける。
苦痛で死ぬのが怖いので、薬を使って延命する。冷凍睡眠とかしてでも長生きしたい。
その内に老化細胞をどうにかしたり、体の部品を機械に変えたりするだろう。

で、人類は今のところ、人類が知りえる唯一の知的な存在だ。宇宙人はいるのだろうけど
確認されていない。化学物質から単細胞生物が偶然に生まれ、多細胞生物が存在できる
環境が安定して、脳神経部分が選択的に発達した生物が発生した稀有な存在かも
しれない。せっかく発達したので、このまま惑星環境の運命と心中するのももったい
ない。

そのために地球の環境をいじったり、生き残りをかけて宇宙へ避難するだろう。
しかし地球はその内なくなるし、宇宙の環境も変化していく。そこでなるべく人類は
繁殖を続け、広い範囲に拡散していくだろう。

だが、宇宙が無限時間存在するとは限らない。宇宙そのものが寿命をむかえる日が来る。
つまり、最終的には宇宙と心中するしかないわけだ。うまいこと宇宙の外へ出ることが
できるかもしれないが、そこもいつかは終焉する。時間をどうこうする技術ができても、
時間には始まりと終わりがあり、全部を俯瞰できる存在はもはや生死の概念を超越して
いるだろう。


だから、自分の生というのは、どんなにあがいてもいつか終わる。それか無意味となる。
子孫を作ろうが技術を発展させようが、どのみち全部終わりがくるか、無意味に帰する。
そうすると、残る問題点は「苦痛の回避」の一点に集約されるが、生きていると必ず
苦痛がついてまわる。「苦痛」は「痛い」「苦しい」だけとは限らない。
「めんどくさい」「嫌い」「だるい」「やる気が出ない」「ヒマだ」も、全部苦痛だ。
言い換えれば、生物として生きている事の精神活動の大半が「苦痛」と同義のようだ。
むかし宗教のえらい人が、「この世の一切は苦だ」と言った。

欲求フラグがあり、それを満たす信号を受け取るのが脳内で行われている事の全てだが、
全部の欲求はいつもいつもは満たされない。欲求フラグは四六時中立ちっぱなし。だから
受容器の状態は通常「エラー」で、欲求が満たされた一瞬だけ「エラー」サインが
消える。これが「苦」の正体だ。知的な個体ほど欲求フラグが多い。つまりエラーが
たくさんあるわけだ。
よく見てみると、エラー信号が別の行動プログラムに配線され、起動信号に変換されて
いる。

欲求フラグ→エラー→エラー回避行動→欲求が満たされる→欲求フラグ再起動

この苦痛回避の永久パターンが生物の基本設計のようだ。誰だ設計者は。アホか。
もしそれが「神的なひと」だったとしたら、3流エンジニアだな。たぶんアメリカ人
あたりじゃないかこの適当さは。ハンバーガー食いながらやっつけで作った感じだ。

まあでも、これで苦痛の解決策はできた。エラー回避のための根本解決は、欲求フラグ
の乱立を防げばいいのだ。欲求を起こさないようにすればこのルーチンは必要ない。
丸ごとカットすればいいじゃん。


・・・こうして人々は鬱になったり自殺するわけですわ。

pcfx

2011年02月09日 | そのた
もう長いこと使っているハンドルネームがpcfxだ。

ご存知だとは思うが、「PC-FX」は昔NECが作っていたゲーム機の名前だ。
その当時、SEGAがサターン、SONYがプレステを発売し、ポリゴンでゲームが遊べる
時代を築いたものだった。
PC-FXも、当初はポリゴン機能を搭載する予定だったが、チップ製造を任されていた
ハドソンが納期に間に合わず、ポリゴン無しで発売することになったらしい。
そして価格は予定通り5万円弱。そんな残念極まりないマシンがPC-FXだった。

ハードウェアの決定的な敗北にめげず、「アニメ戦略」という方向性を打ち立てたが、
世の中はポリゴン信仰が多数を占め、パソコンに比べると画質が落ちるというハードが
売れるはずもなかった。

その後、PC-98に接続して使うFX-GAというタイプのPC-FXが発売された。やっと搭載
できたポリゴンチップを使ってゲーム開発もできるという高性能版だったが、やはり
多数の人には需要がなかった。また、PC-FXは専用のSCSIケーブルで繋ぐと、パソコンの
外付けCD-ROMとして利用できたが、読み出しが標準速度だったため、当時既に倍速とか
3倍速のCD-ROMが出始めていた市場では需要がなかった。この失敗の連続から、かつて
PCエンジンで鳴らしたNECホームエレクトロニクスは解散する事になり、
コンシューマ事業から撤退する結果になってしまった。

全てが残念な結果に終わったPC-FXであったが、わたくしpcfxはそんな世間の冷たい反応
をものともせず、発売日にハードを購入、SCSIケーブルも増設メモリも購入、FX-GAも
購入、改造用にもう一台本体も購入し金色に塗装して「ゴールドFX」として悦に入って
いたものだった。

PC-FXは出ていたソフトもすごい。サードパーティが次々と見放していく中、NECはアニメ
や声優を意識した「アニメフリークFX」を発売。当時としては最強にニッチな需要を
開拓していた。内容は「脱力」という一言に集約される。MPが根こそぎ奪われる感覚。
しかし良作もあった。中でも「キューティーハニーFX」は往年のハニーファンだけで
なく、ハニーを知らない世代でも楽しめる作品であり、動画でストーリーが展開していく
様は、ゲームをやってるのかアニメを眺めているのかわからなくなる不思議なソフトで
あった。が、ストーリーを進めるのに必要なゲームがあまりにも稚拙であり、萎える。

「RETURN TO ZORK」というソフトがあった。PCゲームからの移植作で、
不思議な世界のアドベンチャーだ。が、あまりにも不思議すぎて大抵の者が脱落する。
往年のアドベンチャーゲームを踏襲するあまり、謎が謎のままおわるのである。
さらに登場人物のセリフの音質が悪い上クセのある話し方で、字幕が出ない。従って
何を言っているのか聞き取れないので、更に謎が深まっていくのだ。


このように、ハードもソフトも残念なPC-FXであった。FXオーナーならではの密かな
楽しみは、「この世界は日本でも限られた人間しか味わえない」という孤高の満足感
くらいしかないのだった。しかしそれでも、わたくしpcfxは、今でもこのPC-FXという
ハードを愛している。自分で部品交換してメンテしながら今でも電源を入れている。

今にして「PC-FXの魅力とはなんだったのか」と問われれば、それはやはり「ハードの
特殊性からなる異端ソフトを遊べる希少性」だったと答える。もし、PC-FXがもう少し
売れていたら、ポリゴン機能を持っていたとしたら、ここまで愛する事はなかった
だろう。同じようにダメだった3DOには、このあたりの魅力はなかったと思う。

このように少数派かつ異端なものが好きなpcfxは、中世ヨーロッパに産まれていれば、
速攻で異端審問官に引っ張られていっただろう。この時代の日本でよかった。