minority resistance

pcfx復活ブログ

ぐっすんおよよ虐待

2011年02月12日 | げーむ
pcfxがやってきたゲームの中でも、ひときわ印象深いのが「ぐっすんおよよ」という
パズルゲームだ。

基本的にはテトリスのような落ちモノなんだが、ブロックを消すのではなく積み上げ、
それを階段のように配置してキャラクターの「ぐっすん」を誘導し、ゴールに入れる
ゲームだ。ぐっすんは歩き回っており、水に漬かると死ぬ。敵にぶつかると死ぬ。
歩いた先が危険であってもどんどん進んでいくため、ブロックを使って道を塞いだり、
目の前にブロックを落として怖がらせて反転させなければならない。

はっきりいうと、ぐっすんはアホだ。バカの子だ。ほっとくとすぐに死ぬ。
このぐっすんを死なせずに、多彩な面でゴールに導かなければならない。
このゲームをやっていると、絶対に言いたくなる一言がある。

「このバカ!」である。

バカな子ほどかわいいというが、これほど「ぐっすんおよよ」というゲームをよく表した
言葉はない。ぐっすんはバカだがかわいいのだ。

ようつべなどで、ハムスターが遊ぶ動画を見たことがあるだろう。小さいハムスターが
動き回り、失敗してコロンと転がる。非常に微笑ましい光景だ。しかしそれは転がる
だけで、死の危険は迫っていない。だから微笑んでいられる。

ぐっすんも微笑ましいキャラだが、死の危険に突っ込んでいく。だから微笑ましいのに
ハラハラするのだ。針の山を床に敷いた上に空中の巣を作り、一歩踏み外すと落ちて
剣山で串刺しになる小屋でハムスターを飼うようなものである。


最初はかわいらしく思え、中盤でハラハラするぐっすんだが、終盤になるとその感情が
イライラに変わる。もう折檻したくなる。いっそ死ねと思ってしまう。

これとよく似た感情の変化が子育てである。

ゲームではステージ構成の難易度が上がっていった結果ぐっすんにイライラするのだが、
ぐっすんはアルゴリズム通りに動いているだけである。実は自分の腕前にイライラして
いるのだ。

一方子育ての場合、経済状態やストレスで難易度が上がる。子供は遺伝子のプログラム
と親の教育によって動いているだけだ。実は親は自分の教育や遺伝にイライラしている
だけなのだ。


このように見ると、子殺しや虐待の理由が見えてくる。子供にイライラしているのでは
なく、親自身が自分の能力のなさにイライラしているのだ。それを半分自覚している人
もいれば、無意識のままな人もいるが、どちらにせよ無意識下では理解しているはずだ。
ただそれを認めたくないのだ。ゲームで負けた時、何かのせいにして自分のヘタさを
認めない人がいるが、まさにそれと同じだ。ヘタな事そのものには罪はない。ヘタな
人がやってはいけないわけでもない。罪はそれとは別のところにある。


pcfxはいまでもこのゲームを遊ぶことがあるが、その時は毎回

「このバカ!」「なんでそっちいくんだアホ!」「チッ!」「そっちじゃないバカ!」

と叫ぶ。

つまり、pcfx自身は、ぐっすん死亡の原因は自分のヘタさであると論理的に理解して
いるにもかかわらず、ぐっすんの行動にその原因があるかのように興奮するのだ。
そしてそれは普遍的な行動だ。ぐっすんおよよをプレイして

「あああごめん!」「間違いましたすいません!」「こっちですこっちにきて!」

と叫ぶ人もいるかもしれない。それは間違いではないし、むしろより論理的に自己を
認識しているといえる。

この二つの感情や論理は両方とも人間に普遍なもので、不可避なものだ。
これらを総合して「親心」と呼ぶ。

であれば、子供の虐待や子殺し、甘やかしや放任は、健全な育成教育と等価値だ。
その価値を相対化して考えると、育て方のパラメーターのバランスが違うだけだと
いえるだろう。野生動物にも虐待や子殺しはある。先にも触れたが、環境の難易度が
上がると虐待が増えるのだ。

つまり、育成環境の難易度が問題なのであって、虐待はその反応の典型に過ぎないのだ。
「虐待が増えた」と問題提起するなら、育成環境の難易度を下げることになる。
そこで親の人格や責任をいくら説いてもムダなのだ。ゲームがヘタな人に

「君はゲームがヘタだ。能力が低いのか。そのことをどう思ってるんだ。」

とかいってもムダなのと同じだ。逆上してコントローラーをぶつけてくるのがオチだ。
その場合、その人がうまく遊べる難易度を設定してやるのが解決策だろう。


さて、社会環境の難易度が上った原因はいろいろ考えられるが、そこに挙げられる
理由はどれ一つとして容易に解決できないだろう。不況で経済が悪化したとか、
教育モラルが、伝統が、社会構造が、といっても、どれもすぐ解決できるようなもの
ではない。だからそれらは「人間の歩留まり」と考えなければならない。



などという事を考えながらプレイできる、含蓄に富んだゲームが「ぐっすんおよよ」だ。
未プレイのひとも昔やったという人も、探し出してプレイしてみてはいかがか。
必ずやあなたの口から悪態が飛び出すだろう。