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風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

プラド美術館展

2006-05-03 02:02:21 | 
月曜日にだんなと上野の東京都美術館でひらかれている「プラド美術館展」へ行ってきた。エル・グレコ、ティッツィアーノ、ルーベンス、ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤなどの巨匠達の作品が全81作品、見ごたえのある展覧会だった。

さて、当然のことながら、私が惹かれたのは聖画の数々。

その中から特に気になった作品。

「十字架を抱くキリスト」ーエル・グレコ

映画「パッション」を見たときの十字架を背負うキリストは血まみれで息も絶え絶えでとても見ていられないような映像であった。聖書の記述も途中で担ぐことができなくなり、途中でクレネ人シモンに無理やり背負わせている。それほど大きく重い十字架なのだが、この絵では十字架もさほど大きくなくそっと携えているようだ。そしてキリストの顔は天を仰ぎとても穏やかな表情。まるで天の父なる神の御心を願い、その栄光を仰ぎ見ているように見える。

「聖ベルナルドゥスを抱擁するキリスト」ーリバルタ、フランシスコ

私はプロテスタントのクリスチャンなので聖ベルナルドゥスがどんな人なのかは知らない。誰かカソリックのクリスチャンの方いましたら教えてください。

十字架から聖ベルナルドゥスを慈愛に満ちたまなざしで抱擁するキリストと信頼し安心しきってすべてゆだねきっているような聖ベルナルドゥス。バックは暗い色でキリストとベルナルドゥスだけが明るく浮き上がって見える。この絵を見たとき聖ベルナルドゥスに自分を置き換えたくなってしまった。

「聖アンデレ」-リベーラ、ジュゼッペ・デ

光と影のコントラストが美しい。Xの形の十字架を持っていることからキリストの十二弟子の一人、アンデレだということがすぐわかる。この十字架を聖アンデレの十字架という。なぜなら、彼は殉教するときキリストと同じ十字架ではもったいないからとXの形の十字架にしてほしいと願い出たのだそうだ。また魚が、これはアンデレが漁師であったこと、キリストが「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」という聖書の話から象徴的に使われている。事実、聖書ではアンデレがいろいろな人々をキリストの元に連れてきている。

「天使により解放される聖ペテロ」-ペレーダ、アントニオ・デ

ペテロはアンデレの兄弟であり、アンデレとともにキリストについていった人だ。私はこのペテロという人物が好きだ。素直な心を持ち、臆病で衝動的であるが実行力がある。しかし、キリストが捕らえられたとき怖くなって3度もキリストを否定するなど人間的な弱さもある。そのペテロが復活のキリストにあって信じられないぐらいに変えられ、力強く宣教していくのである。

この絵は、宣教したペテロをヘロデが捕らえ、2本の鎖につなげられて牢にいるところに御使いがやってきて救い出す場面を描いたものだ。この絵を見たときなぜペテロ表情がぼんやりとしているのか不思議に思っていたが帰って新約聖書の使徒の働きを読んで納得。こう書いてあった。

「彼には御使いのしている事が現実の事だとわからず、幻を見ているのだと思われた。」

そう思ってもう一度絵を見ると表情がうまく出ているなぁと思った。肌、布、鎖の質感、また色彩が他の聖画に比べると豊かだ。魅せられてしまう作品だった。

「聖パウロの改宗」-ムリーリョ、バルトロメ・エステバン

構図が面白い。すっきりとしている。絵を斜め半分にして、下にパウロとその一行。上に復活のキリストという構図。色調が全体的に柔らかく新約聖書、使徒の働きのドラマチックな一面を的確に捉えていると思う。

この絵は最初はキリスト教徒を迫害していたサウロ(改宗後はパウロ)がダマスコに行く途中天からまばゆいばかりの光に照らされて復活のキリストに語りかけられる場面だ。

「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。」
「主よあなたはどなたですか?」
「私はあなたが迫害しているイエスである。」

この後サウロはキリストから町に入ってからしなければならない事が告げられると言われる。このときサウロは目が見えなくなっていた。そしてキリストから使わされたアナニヤが手を置いて「兄弟サウロ、あなたがくる途中でお現われになった主イエスが、私を使わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」というと直ちに、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになった。余談だが、「目からうろこが落ちる」ということわざはこの話から来ている。

「サロメ」-ティツィアーノ、ヴェチェッリオ

私の好きな画家ティツィアーノの作品だが、この絵は不気味な作品だ。それもそのはず王女サロメが盆の上に乗せているのは斬首された洗礼者ヨハネの首だからである。

この話は新約聖書のマタイの福音書に書かれている。
ヘロデに捕らえられたヨハネはヘロデの犯した罪ー自分の兄弟の妻ヘロデヤを妻としている事を不法だと言い張ってヘロデヤの恨みを買う。ヘロデヤの恨みはヨハネを殺したいと思うほどになりその機会をうかがっていたがついにそのときがきた。ヘロデ王の誕生日の祝宴のとき、娘サロメが踊りを踊り王は褒美に何でも与えると誓う。そこで母ヘロデヤに「何を願いましょうか?」とたずねるとヘロデヤはこういったのだ。「バプテスマのヨハネの首」。

ヘロデはヨハネの話を当惑しながらも喜んで耳を傾けていたのでこの申し出に非常に心を痛めたが、列席の人々の手前もあってそれを許してしまうのである。

この絵を見て、罪がわからない事の怖さや憎しみにより罪を重ねていく怖さ、善悪の判断をプライドをまもるために状況に任せてしまう愚かさを感じる。

「ノアの箱舟に乗り込む動物たち」ーバッサーノ、ヤコボ

有名な旧約聖書、創世記の中の「ノアの箱舟」の話。地上に人間の悪が栄え、人間を作った事を後悔した神様が大洪水を起こしすべてのものたちを滅ぼそうとしたが、ノアとその家族だけは神様の御心にかなっていたので助けられた。そのとき大きな箱舟を作り、動物をひとつがいずつ乗せるようにと命じられ、載せている場面である。

動物たちが実に写実的。大小さまざまな動物がいるのだが配置もバランスがよく、あまりごちゃごちゃ感がない。動物の流れが自然と箱舟へといざなわれる。

「聖ステファヌスの殉教」-カヴァッリーノ、ベルナルド

ステファヌスはステパノとも呼ばれる。ステパノはキリスト教最初の殉教者である。新約聖書・使徒の働きにはこうある。

「ステパノは恵みと力とに満ち人々の間で、すばらしい不思議な業としるしを行っていた。ー中略ーしかし、彼が知恵と御霊によってかたっていたので、それに対抗する事ができなかった。」

議論をして負けた人々は、ねたみに駆られ、律法学者や民衆、長老をあおり、とうとうステパノを捕らえ、偽りの証人を立てるが、逆にステパノが話すほうがことごとく正論だった。そのため、彼らはらわたが煮えくり返るほど悔しがり、ステパノが

「見なさい。天が開けて、人の子が、神の右に立って折られるのが見えます。」

というのをきくや否やその思いは爆発してステパノを石打ちの刑(死ぬまで大きな石を投げつける当時の刑)にしてしまうのである。

死ぬ前にステパノはひざまずき大声で叫ぶのだ。
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」

絵は、薄暗い背景(群集も含めて)にステパノだけが鮮やかな赤い衣を着て天の栄光を仰ぎ見ている。自分を殺す人々をとりなすステパノの顔は輝いて見える。こんな祈り、私だったらとてもできない。

「サムソンとライオン」-ジョルダーノ、ルカ

サムソンは旧約聖書・士師記に出てくる一人だ。サムソンは神に聖別された人でペリシテ人からイスラエルを救う使命があったが、肉体的誘惑に弱くデリラという女に自分の怪力の秘密が長い髪にあることを話してしまう。髪の毛を切られてサムソンは捕らえられ、目をつぶされ牢に入れられてしまう。しかしそこで神に悔い改めると髪の毛はまた伸び始め、もとの怪力も戻る。祝祭のとき、ペリシテ人がサムソンを嘲笑するために牢から引き出すとその怪力でペリシテ人の家の柱を引き倒して倒壊させ、多くのペリシテ人を滅ぼした。

絵の場面は、サムソンの武勇伝のひとつ。素手でライオンを倒し、引き裂くところだ。この絵は一度見たら忘れられない。それほどダイナミックな構図なのだ。絵からまるで飛び出しそうなほど全体を覆う。大きく荒々しく動きがある。すごい!としかいいようがない。

「聖トマスの懐疑」-ストメル、マティアス

なんとなくラ・トゥールの絵を彷彿させる。光と影のコントラストが美しい。

聖トマスはキリストの12使徒のひとり。この場面は新約聖書・ヨハネの福音書に出てくる。他の弟子たちが復活のキリストに出会ったとき、彼はそこにいなかった。弟子たちが口々に復活のキリストに会ったというと、トマスは「私は、その手に釘のあとを見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れて見なければ、決して信じません。」というのである。

その8日後キリストが現れ、トマスにこういわれたのだ。
「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。信じないものにならないで、信じるものになりなさい。」
そこでトマスは「私の主。私の神。」というのだ。
キリストはさらにこういわれた。
「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じるものは幸いです。」

トマスのような人はたくさんいるのではないか。私のその一人だった。自分が納得しなければ信じるものかと思っていたのだから。でも、信仰って実際はそうじゃなかった。

他にもたくさんのすばらしい絵画の数々だった。
美の世界を堪能させていただきました~!!

気がつかなかった・・・・すごく長くなってしまっていた。ここまで読んでくれた方ありがとう!

洗礼(バプテスマ)を受けるまでー続きー

2006-05-01 18:04:41 | キリスト教(証)
続きだよ。

これらの出会いの数々の中で、何とかやっていたわけだが、やはりねたみ、憎しみ、自責の念でで自分が嫌になる事はしばしば、心が汚く感じ、何かむなしさがあった。そしてアメリカに来て4年目、父が胃癌のために亡くなった。私と子供たちはちょうど亡くなる四日前に帰国したのだが、その変わり果てた姿に愕然としてしまった。ことあるごとに「悔しい、こんなはずじゃなかった」という父。何とか心を安らいであげたいと書道の話や、父の好きだった禅の話をしたのだが、本人の立場でない私がいくらがんばってみたところで何もならないのだった。父は不安と絶望の中で死んでいった。

葬儀を終えてまたアメリカへ戻ると今度はそれまで何事もなかった長男がまたパニックを起こした。彼のパニック3年生の時から始まって、極度の不安から体が動かなくなるのだ。まるでパントマイムをするように手を前にかざして動くことができない。抗うつ剤などで一時収まっていただけにショックだった。その状態を見た私は取り乱し「もういいかげんにして・・。」と長男を突き放すようなことを言ってしまったのだ。なんて母親だろうか。いつでもやさしく受け入れたいと思いつつ全く逆のことをしているのである。どんなにこうでありたいと思っても心は弱いものだとつくづくそう思った。

そして長男を落ち着かせるために入れた自然公園のキャンプ、自然の中でのハイキングは唯一彼の楽しみであり、落ち着く場所であったのにそこでもパニックになってしまった。その時の長男の口から出た言葉は「僕だってどうしたらいいかわからないんだ、神様助けて!」だったのだ。その言葉に私は非常にショックを受けた。なぜなら、彼の救いを求める声は私たち両親に向けられてはいない。でも、もし向けられていたとしても何もできない。その時、父の死のときにも感じたどうしようもない無力感、力の限界を感じた。神様だなんて、なぜこの子はこんなことを口走ったのだろう。そう思うほど神様の存在を信じてはいなかった。

でも教会にいってみようか。長男の心がそれで安定するのならそれでいいじゃないか。でもだんなはどう思うだろう。教会なんてと怒るかもしれない・・・。
そんなことを思っていたちょうどその時、だんなが突然言ったのだ。
「教会に行ってみようか・・・。」
不思議だった。だんなも私も同時に教会に行くことを思い立っていたのだ。そして4年前にあの牧師夫人にもらった教会案内を引っ張り出し電話をかけていた。

牧師婦人は私たちのことを覚えていて、ちょうど日帰り、3日間のバイブルキャンプがあったのでそのチラシと、その月の教会便りを送ってくださった。その教会便りを見てまた驚いてしまった。そこには洗礼の証が乗っており、読んでみるとその方の息子さんがやっぱり同じ発達障碍があり、そして長男と同じようにパニックを時々起こすというのだ。私と同じような思いをしているその人が今は感謝の気持ちでいっぱいだというその証に私は心を強く惹かれた。そんな風に変われるものなら変わりたいと思った。

バイブルキャンプでは何事もなかったように楽しめたようだ。私は長男を遠くから見ていられるようにキッチンの仕事を手伝っていた。ちょうどこのとき同級生の事故死、また隣人宅へ警官が突入し、その遺体を見つけるというショッキングな事件が続けざまにあった。あまりに身近に起こったことだったのでこれが何らかの不安を拡大させる影響が出ないかどうか本当に心配だったのだが、キャンプ中、パニックはおこらず、長男はずっと安定していた。

こうして私たち家族は続けて礼拝にも出るようになっていった。その礼拝のとき牧師先生のメッセージを聞いて涙が止まらなくなったことがある。そのメッセージではコリント人への第一の手紙10章13節を紹介していた。

「あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですか、あなた方をたえることのできないような試練に合わせるようなことはなさいません。むしろ、たえることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

その御言葉を聞いた時、今までの出会いや出来事はやはり偶然ではなかったんだと思った。あの時感じた心の汚さが罪の性質によるものという事もわかった。しかし、そうは思ってみても、もともと疑い深い私である。すぐに元通り。なかなか神様、主イエス・キリストの贖いが信じられなかった。一度は心に主を迎え入れるといっておきながら、「あれは信仰告白ではありません」と信仰告白撤回の電話まで牧師先生に入れてしまったほどだ。
しかし確実に私たち夫婦は変わりつつあった。あれほど争いがたえなかったのに、いつしか毎朝2人で祈るようになっていた。

ある日、またもや打ちのめされるようなことがあった。そして出先からの帰り道、なんとも不思議なことが起こった。
「私はあなたとともにいる。」
私の意識とは裏腹に旧約聖書の出エジプト記3章12節のこの御言葉がずっと心に響いているのである。その瞬間に私は神様がいると確信していた。その何秒前には信じていなかったのに。問題は何も解決していないのに心だけが違う。涙が後から後からあふれ出てきた。悲しいからでなくて、苦しいからでもない、何か不思議に絶対的な安心感が私を包んでいたのだ。

だんなはだんなでやはり神様をしんじていた。2人とも信じているのならとりあえず牧師に知らせようと思ったがどんな風にしたらいいかわからない。時はクリスマスだったので私たちはクリスマスカードに主イエス・キリストへの信仰を記したのだった。信じてからというもの、だんなも私もそうだったのだがまわりの景色がよりいっそう美しく見えるそんな感じだった。とにかく毎日がうれしい。そういう変化はまわりにもわかるようで「なんだかすっきりした顔してるね。」といわれるほどだった。そしてその次の春4月29日に私はだんなと2人でともに洗礼を受けることができたのだった。

「人間の心には神の形をした空間がある。そこに生きた神ご自身を迎え入れなければむなしさが残る。ほかのどんなものによってもその空間を埋めることはできない。」といったのは数学者のパスカルだ。私はその空間に世間一般で言われる良い母親役や、努力、プライド、といったものを埋めようとしていたのかもしれない。

信仰は自分から納得して決めるものでなく、まして人から授けられるものでもない。だから感謝の気持ちでいっぱいだという証を書いたその人の気持ちが今はわかるのだ。それはただ神様の決められた時に、私夫婦は一方的な神様の恵みによってすくわれたから。だから、この日が来るたびに心から感謝するのみなのである。