こちらは大雨。
トタン屋根に叩きつけるような雨。
ふと、元夫の事を考えた。
一昨日から、夏の闘病の時に世話になったからと言って、ふるさと納税でお礼をしたいと言ってきたからだ。
息子も一緒にと言われたが、息子は連絡を返さなかったので、私が代わりに息子の分も選んでと言われた。
おそらくイヴの日も、暖房も入れていない部屋で、寒さに震えながら、猫たちと布団の中で丸まっているのだろう。
そんな光景が容易に想像出来た。
私は大荒れの天候で、ナーバスになってたのだと思う。
元夫の事を考えて、涙が出てきた。
それは、元夫の事が可哀想とか言う事ではなかった。
私の事でだった。
そんな風になったとしても、もう彼とは寄りを戻したくはなかった。
元夫からの、自分の意に沿わなければ、すぐに、
出ていけ!
と言われる事が辛かった。
二人で築き上げた家だったのに、
何かあると、出て行け!と私は言われていた。
それは大抵、自分の意見が通らない時、私が彼の指示に従わない時に、すぐ起こった。
最後はお金の事だった。
自分一人が稼いでいる。
自分一人が損をしている。
自分一人が辛い目に遭っている。
そんな風に言われていた。
一銭も稼がない奴、と非難されていた。
寄生虫と。
私は、お金の事で常に責め立てられ、精神的に追い込まれていった。
あの家はお金に困っている訳ではなかったのに、彼の中では、私と息子はお荷物だった。
厄介者だったのだ。
そんな事をつらつら思い出し、涙が出てきた。
どんなに困ったとしても、元夫に頼る事はないだろう。
お金、お金と、狂乱のように言われ、苦しかった。
しかも私は、何年も病気だったのだ。
あの家では私は、自分自身が病で倒れる訳にはいかなかった。
常に病は彼のもので、私はそれを支える役でなければいけなかったのだ。
到底主役にはなれないのだ。
私はいつもサポート役で、自分自身が体調が悪くとも我慢しなければならなかった。
けれど病の進行は確実に私を蝕んで、私は離婚後に床に臥すことに…。
やっと解放されて、病気と向き合う事が出来たのだ。
弱音を吐けない、病気にもなれない、そんな生活を余儀なくされていた。
そんな事がやはり思い出されてきて、もう二度と彼とは暮らす事はないなぁと思った。
良い人ではあったが、依存という事に、神経を尖らせる人だった。
それは、彼の母親が、長男の彼にベッタリ依存してきたからだ。
そのせいで、女性に依存される事に敏感になっていた。
妻の私が何か相談するたびに、俺に頼るな、自分でやれ!オーラを発していた。
俺は俺でやる!
だから俺には頼るな!
と言葉には出さずとも、そう発していた。
実際に、自分の食事だけを作り、自分の物だけは自分で洗濯していた。
私には頼らない、だからお前たちも俺に頼るなよと示していた、行動で。
なので、お金の事にもシビアだったのだろう。
私の事をよく遊んでいると非難した。
私の仕事の事を、そんなものは仕事ではなく、趣味だと言っていた。
確かにそれだけ稼いでいなかった私には、ぐうの音も出なかったが…。
私は家の事をやりながら、本で生活しなければならない、と言う命題まで課せられていたのだ。
本で食えるのは、一握りのベストセラー作家だけだと言うのに。
そんな責められる日々の中で、私は精神を病んでいった。
当たり前だと思う。
そんなにっちもさっちもいかない状況で、正気を保てる筈もない。
そして、もう、お金のことで責められる事は嫌だった。
限界だった。
お金よりも自分の身の方が大切だった。
お金がなくとも、貧乏でも、精神の自由の方が大事だった。
だから、離婚したのだ。
これ以上、責められたくなくて。
無産者だと言われたくなくて。
出て行け!
と言われたくなくて。
実際、一人になって、生活が苦しくて、泣いたことも幾度となくあったけれど、それでも、元夫と寄りを戻すと言う考えはなかった。
彼が可哀想で、戻った方がいいのでは?と罪悪感から考えた事はあるが、お金の為に戻りたいと思った事はなかった。
私は今思えば、ギリギリのところにいたんだなぁ。
自分の病も進行中で、どこかで治療しなければ、おそらく今後の人生も短くなっていただろうし、そうなったら、そうなったで、後悔する事になっていただろうし…。
だから、あの時、決断しなければならなかったのだ。
彼を取るか、自分の人生を取るのかと。
だから今、彼が、クリスマスやお正月を一人寂しく過ごしたとしても、それは彼が選んだ道なのであって、私には何の責任もない。
私は私で、あの家庭において役割をこなしはしたけれど、それ以上の責任は負えなかった。
彼の母親役を買って出て、彼を満足させる事は出来なかったのだ。
何故なら、それをやっているうちに、私は私で、深刻な病に侵されてしまったのだから。
私が、自分の人生に向き合わなかたお陰で、病気になってしまったのだから。
今も治らない歯を抱えて、私は生きている。
二、三日、また痛みが出てしまい、ナーバスになってしまった。
そんな時、薬剤師の息子が痛み止めをくれて、私をサポートしてくれた。
ありがたかった。
私はこれからどうなるか分からない。
けれど、もうお金の事で責め立てられる、あの生活に戻りたいとは思わない。
日々、お金のやりくりに頭を悩ませながら、生活している、今の方がうんとありがたい。
金はなくとも、心は自由だ。
それが一番嬉しいのだ。
いつかは私も復活するだろう。
健康を取り戻し、再び仕事を精力的にこなせる日が来るだろう。
健康でさえあれば、何とかなるから。
健康第一。
健康で何とか残りの人生を乗り切っていきたい。
その為には労を惜しまない、と思っている。
もう、雨も止んだみたい。
辺りが静かだ。
今の私の心持ちのよう。
澄んでいる。
お金、お金と言われ続け、責め立てられていたあの頃の事、ようやく涙が出て、浄化する事が出来たのだと思います。
ありがとう。
感謝します。
☆それではみなさま、今日も良いクリスマスを。
全てのものに感謝します。