やってくれて当たり前、それよりも
なぜもっと安くしてくれないのか?
なんならタダでもいいのではないか?
などという図々しい人も多いのだ。
高いとしか言わない人達だ。
そういう人たちには物の価値が分からない。
だから相手にしても無駄なのだ。
時間の無駄、話の無駄、心を遣う無駄だ。
最近、思うのは、すべては運命で決められているということだ。
なので、ご縁のある人とはつながるが、
繋がらないのは、ご縁の無い人たちだ。
それでいいのだ。
世の中には自分とかかわりのない人たちは、ごまんといる。
そんな人たちと何の意味があって、つながらなければならないのだ。
私は、このところ、動かない時は動かない、
何もない時は、何もない時、と心得てきた。
すべては、ベストなタイミングというものがあり、
皆それぞれに調和して動いているのだ。
私は今までずっと、動かなかった。
さまざな要因で動けなかった。
でも、それでも良かったのだと思う。
これからどうなるかは分からないけれど、
忙しくなるだろうな?とだけは覚悟している。
なんだかそんな気がしているのだ。
いよいよ時が満ちてきたな・・・。
いままでのグータラ生活ともおさらばかも。
ちょっと残念・・・。
私はここへは、自分の身体と心を癒しに帰って来たと思っているのだ。
都会での生活は限界だった。
私は、「死ななきゃならない・・・」とまで追い詰められていた。
身も心も凍っていたのだ。
そんな時、先祖が私を助けてくれた、呼んでくれたと思っている。
ここで少し休憩していけと。
私はご先祖様たちから、ここにいてはいけないと言われている。
私の舞台はここではないと。
先祖たちにとって、私が活躍する事の方が嬉しいのだ。
それはひとえに、先祖たちが叶えたくても叶えられなかった夢を、
私が叶えようとしているからだ。
彼らの才能や能力を私が受け継いでいるからだ。
私は一人であって、一人ではない。
大勢の先祖たちとともにあるのだ。
だから、私が活躍することは、
先祖が望んでいることでもあるのだ。
自分達が実現できなかったことを、私に託してくれているのだ。
それはおそらく、今私がやっているような事だろう。
メッセージ―。
人々にメッセージを届けることが私の仕事。
そうして、先祖たちはその仕事を生業にしていたのだと思う。
たぶん、神と人々をつなぐ、巫女的なお役目を負う家だったのだろう。
私は今世で今度は、書くと言う仕事で、大勢の人にそれを伝えなければならない。
過去、何度も宗教者として生きてきた。
世俗に呑まれることなく、生きてきた。
けれど、今世では、清濁併せ呑み、人の心の痛みも分かる人間として
生きることを選んだ。
そうでなければ、人々の気持ちが分からないから。
聖者だけでは、生きてはいけないから。
俗世間とは乖離してしまうから。
聖者の言葉では誰にも届かないのだ。
今回はもっと大勢の人々に、私の、私たちの声を届けなければならないのから、
そのお役目もあるのだと思う。
私はもう迷わない。
というか、それが普通になっている。
世の中が。世間が。
もうそういった流れにきているのだ。
ひと昔前なら、私がこんなことを書くのも言うのもはばかれるところだ。
けれど、今はそういう目覚めた人たちが多くなっている。
だから、きっと、いい方向へ流れていってくれるだろう。
私が今度書く物はまさしくそうだけれど、
私はこれだけが書きたい訳ではない。
私の書きたいものは、基本、コメディだ。
だから、いつかこれは!という面白い物を書いてみたいとは考えている。
でも、今はこれ。
本当に大変な時代になってきたなぁ。
でも、きっとこのブログを読んでくれた人たちも感じている筈。
そうして、あなたにもいろんなメッセージは下りてきている筈。
私たちは皆、無意識下では繋がっているから。
私はあなた。
あなたは私だ。
でも、とりあえず、お約束で、今回はこの物語を書かなければならない。
そのために、この数年間、しんどい思いをしてきたのだから。
☆それでは今日もよい一日を。