父は、年末には退院予定だったのが、
誤嚥性肺炎を起こし、生死の境をさまよった。
その後、持ち直したが、顎にしこりがあり、それを島の大きな病院へ行って検査をしてきてほしいと
言われて、検査に弟が連れて行ったが、それが血液検査などがとれていなかったらしく、先月(1月)にまた、検査に行き、いまだ入院しているとの事だ。
そうこうしているうちに、歩けなくなり、食事も流動食になり、体重も減り、
現在では、体重が、47キロになり、骨と皮ばかりとなっているとの事。
(父はもともと80キロ以上ある、太った人だった)
ちょうど、介護申請時期だったらしく、要支援2から、一気に要介護4になってしまったとのこと。
認知症も入っていると言われたが、それは誰の診断かは分からない。
(だだ単に、弟たちが、勝手にそう言っているだけなのかもしれなかった。
以前からそう言って、父の事を馬鹿にしていたので)
入院が長引いているし、退院できると思っていたのに、退院できなかった、
精神的な落ち込みで、一時的に、そういう失見当が起きているのかもしれないと思っている。
というのも、昨日のお昼に私が電話をした限りでは、
私のことも、息子(孫)のことも、私たちが現在暮らしている、関東の市の名前も
すらすらと言えたのだから、一体どこが認知症なのか?と思ってしまった。
父は、自分の身体を横たえてみて、あまりに痩せているので、涙が出る・・・と言っていた。
息子から、一体なんの症状で入院しているのか?と聞かれ、
(たしか、去年の9月か10月くらいにデイサービスで転倒して、大腿骨を骨折して、
手術、リハビリ、その後、今の病院へ転院しているのだから、今は一体何の病気なのだろうか?)
妹に電話をして確かめたら、やはり「骨折で」ということだった。
骨折で入院していて、リハビリを終えたが、肺炎で退院できなくなり、
現在に至るということだった。
顎のしこりの検査結果を今度の26日に弟がまた大きな病院へ連れて行き、
聞いてくるとのことなので、それ次第で退院の目処が決まるのかもしれない。
妹は、「でも、兄ちゃん夫婦のことだから、検査の結果に関わらず、家には戻さず、施設に入れるかもしれないね」と
言っていたが・・・。
やれやれ、どうしたものか。
妹と話をしていた時、すっかり忘れていたが、確か、12月に退院を医者からも勧められていた時、
弟は家に帰したがったが、弟の嫁さんが、父が退院するのに反対して、「ちゃんと歩けるようにならんば、帰されんよ。私は面倒みきれんよ」と言ったらしい。
それで弟が病院にそう伝えると、リハビリの人が家に来て、家で歩けるようにアドバイスをすることになっていたようだ。
その矢先に、肺炎を起こしてしまったのだ。
そのせいで結局、退院できなかったのだが、
その退院する、いやさせない、ということを夫婦で話しをしている時に、
嫁から「なんで、あんたの父ちゃんなのに、私が面倒みんばならんわけ? お父さんが退院しても、私は面倒を看らんよ。あんたの姉ちゃんか、妹に面倒をみてもらえ」と言ったそうだ。
弟は、昨年の五月に私が田舎へ帰って来たいと言った時に(私は、父の介護を手伝うと伝えていたのだ)、反対して、帰って来させないようにしたのに、「今更、頼めん!」 と言ったようだ。
(そりゃそうだ、どの面下げてそんな事言えるんだよ!)
弟が、「だったら、自分が仕事を辞めて、父の面倒を看るから、お前が働け」と言ったそうだ。
すると、嫁が「なんで、あんたの父ちゃん、金があるがなー。それで生活すればいいがな」と言ったらしい。
弟は、「それは父ちゃんの金じゃがね? なんで自分たちの生活費に充てるわけ? そんな事できん!」とつっぱねたそう。
それに頭に来たようで、今度は、父を退院させたら、「離婚する!」と脅したよう。
(私が帰ってきたいと言った時も、〝離婚する!〟と騒いで、弟と父に私を帰郷させないように、反対させた。今度はそれを父の退院時にもしたらしい)
それで、弟が慌てて、なだめたが、離婚届けを持ってきて、「これにサインしろ!」と迫り、弟が、それは困ると、その離婚届を隠したらしい。
彼らは彼らで、父の退院の事で、「離婚する、しない」ともめていたのだ。
もちろん、その頃、私はその話も聞いていたが、あまりに頭に来ていたので、このブログに書いていなかった。毎日、腹の立つことばかり聞かされて、もう嫌になっていたのだ。
けれど、息子からこれは記録になるから、ちゃんと記しておいてと言われたので、
今、このことをきちんと残しておきます。
結果、父が急に肺炎になったので、退院できなかったのですが、
そんな修羅場があったようです。
だとしたら、要介護4にまでなってしまった父をさらに、家へ帰すという
考えは嫁にはさらさらなく、嫁に牛耳られている弟にもないだろう。
情けないことだけど、これが我が家の現状です。
今、コロナの影響で、弟が病院へ行っても会えず、
どういう訳か、弟の電話では、父の声は聞こえても、
弟の声は父には届かず、
「ちっ、役に立たん、男じゃが!」という父の声は聞こえてるそうですが、
弟にはどうすることもできないそう。
(これが、見舞いにも行けたり、電話がつながったりすればまた違うのに。
それがうまくいかないのです。
けれど、なぜか私が電話をするとつながるので、妹もそれをふしぎがっています。
妹は天の操作ではないか?と言っているのですが・・・。)
嫁は病院へは一切行かないので、弟が着替えやらを持って、病院へ通っているよう。
これも、母が末期のがんで、入院していたときの状況とまるで一緒。
嫁は、母の汚れものを〝汚い〟と言って、取りに行かず、弟に行かせ、
洗濯もさせ、弟がまた届けていたそうです。
本当に、どこまでも罰当たりな人間なのか・・・。
嫁はその時、私に、「お母さんの臭い(がんの臭い)が私の周りにも漂っているようで、消えなくて、消えなくて、他の人にも分かるんじゃないかと思って、嫌なんじゃがねー」と笑いながら言っていた。
私はあまりのことに、言葉もなく、唖然としていたけれど・・・。
何か言い返すという事もなく、ただ、ただ、その非情さに驚いていたっけ・・・。
(本当に唖然とすることばかりでした、あの頃・・・)
この女は准看護師で、当時、訪問看護をしていたというのにだ
(現在は無職)。
しかも、結婚するときの条件が、「私は看護師なので、お父さん、お母さんの面倒を看たいと思っています。私の両親は早く亡くなったので、お父さんたちを自分の親のように面倒を看ます!」と宣言して、結婚したのだ。
このことは、結婚式の時に、大勢の人の前で言っていたので、みんなが証人だった。
周りの人たちは、「なんていいお嫁さんが来たのだ」とほめていたのに、
蓋を開けてみると、この始末。
本当にどこまで罰当たりなのか。
この結婚の条件で、「親の面倒を看る」と言う事を、誰が最初に言い出したのかと、
後に、嫁の態度に怒った母が弟に問い詰めると、最初は何も言わなかった弟が、
最後にぼそっと「〇〇〇(嫁の名前)」と言ったので、このことも仕組まれていたのだろう。
「親の面倒を看る」と言えば、喜んで、結婚を承諾してくれると思ったのでしょうね。
本当にずる賢い人間だと思います。
さて、私の方は、父に「来月、お見舞いに行くから、その頃までに退院できているといいね」とは言ってありますが、全容は話してありません。
今、話すと、どこでどう話がもれて、弟の耳に入るかもわからず、
そうなると、横やりが入ってくるのも必至でしょう。
息子は自分がまきこまれてることを嫌がって、私に弁護士に相談しろ、とうるさく迫ってきますが、
私は今、仕事のことで頭がいっぱいで、それどころではないのです。
第一、今弁護士を立てると、相手の態度を余計硬化させることにもなりかねず、
ややこしくなること必須です。
なので、しばらくは静観ですが、こちらはこちらで、作戦も練らねばならず、
とりあえず仕事が終わるまでは動けないのですが、仕事が終われば、いよいよこの問題に着手しようと考えています。
修羅場は必須ですが、仕方ありません。
父を守り、私たちも守り、すべてがうまくいくよう、
今から、祈っております。
☆それでは今日もよい一日を。