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私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

「デンデラ」

2011年08月20日 | こんな映画を見た

昨日、天願大介監督の「デンデラ」を観にいった。

天願監督は、故今村昌平監督の息子さんで、
なので、この「楢山節考」の続編とも言える「デンデラ」は、
子供が親を超えるテーマもあるなあ~・・・と

個人的にはそういう興味もあって、観にいった。


さあて、息子は親父を超えたかな・・・?


デンデラ



個人的には、面白かった。

70歳になったら、お山へ捨てられる老女たちが、
ひそかに自分たちで村を興し暮らしていたという物語だ。

しかも、彼女たちは、自分たちを捨てた村人たちへの
復讐心も抱いており、いつか、村人たちを襲って、殺そうという
野望も持っているのだ。


ただ、私が不思議に思ったのは、村人、特に男に対して、
異常に怒りがあるのだが、それは、自分の夫や息子も含まれているということだ。

わたしだったら、突然捨てられたからと言って、
自分の家族にまで、復讐するかな・・・?

(だって、仕方なく、いやいやながら、ということもわかっているんだもの。
時の権力者に逆らえないという事情もよく分かるもの・・・)

と思った。


何日か一緒にいた老女たちよりも、長年一緒に暮らした家族のことの方が、
より深い絆で結ばれているような気がするのだが・・・。


村人への復讐心に燃える村創設者のメイと、
いくじなし、と皆から罵られながら、デンデラというこの村で
皆で平和に暮らそうと説くマサリの二人の気持ちはよくわかるのだが、
主人公のカヨには、そのどちらも貫く意気地はない。


しかも、最後は熊との戦いになってしまい、なんとなく、この問題はうやむやに・・・。


熊はどうでもいいから、こちらの方を解決してほしかったなあ・・・。



なんだか熊とのシンパシーの方が、この物語のテーマだったようだ。




話は変わるが、映画の途中で、子供のころに読んだ物語を思い出してしまった。

親を亡くした少女がお祖父さんを訪ねて旅にでるのだが、
途中で、廃屋を見つけ、そこに住み着くのだ。

空き缶を鍋にしたり、いろいろと工夫をして一から自分の生活を
組み立てていくその場面には、子供ながらにわくわくした。

自分の生活をお金を掛けないで、まるっきり自分一人の力で作っていく・・・。

なんて楽しい冒険なんだろうと思った。


メイのやったことはまさしくこれであり、
捨てられたとは言え、自分の力を最大限に使って
生き延びてきたことは、誇りや自負心を大いに養ったことでも
あったのではないか?

だからこそ、100歳になってもまだ、誰よりも生き生きとし、
背中も曲がっていなかったのではないか?

とそんなことを考えた。


夢や生きがいを持つと、なかなか死ねないもんだなあ~とも思う。

それがたとえ復讐という歪んだ思いであっても。

(それは劇中のセリフでもそう言っている)


おそらく、私たちが年をとっても、中身は子供のころとあまり変わりはないのだろう。

肉体は衰えても、精神は衰えないんだろうな~と思った。

そして老いてますます、自由に時間を行き来するのだろうとも思った。
(子供の時や壮年の時の)



きっと監督はこう言いたかったのではないかった。

「お父ちゃん、これが答えだよ」と。

俺なりの生きるということの答えだよ-と。



そういう意味でも、若者の側から見る、
もうひとつの「楢山節考」を、体感してほしいと思いました。





☆それでは今日もよい一日を。




★個人的には、主人故カヨを演じた浅丘ルリ子さんの名前が思い出せなくて・・・
(どうしても加賀まりこと言ってしまって・・・)、
それで帰ってきた時に、夫から、「主人公誰?」 と聞かれ、

え!?え・・・っと、「なんでも鑑定団」の司会者(石坂浩二のこと・・・これも思い出せない)の
人の別れた奥さん・・・と言ってしまい、


「うわ・・・年取ったなあ~自分」と思ったことが、一番悲しかったです・・・。(^^;)


★あと、もうひとつ、おばあちゃん達が、死ぬときに「デンデラ!」と言って亡くなるのが、
なんだが「大日本帝国万歳」と言って死んだ? 死ぬように強制された兵隊さんたちと重なってしまい、
? 不思議でした。

わざとかな? デンデラって村は、そういう強制社会だったのかしら・・・?
ここも疑問の残るところです。





「ブラック・スワン」その他

2011年06月25日 | こんな映画を見た
ここ最近、観た映画をご紹介します。

「ブラック・スワン」
・・・う・・・、身体感覚に訴えてくる痛みに脱帽。
酷く落ち込んでいる時に見たので、その夜うなされました。


「これでいいのだ」
赤塚先生は、よほど裸が好きだったのね。
裸シーン満載でした。


「super8」
jjエイブラハムは、スピルバーグの申し子どころか、
コピーだよ・・・とか思ってしまいました。

正直、列車の爆破シーンなど迫力満載なのに、
ちっとも面白くなかったのは、何故なんだ・・・???

私が年をとりすぎて、子ども映画に魅力を感じなくなったせいか・・・
それとも、単純に面白くなかったのか・・・?

(でも、子どもだけで全編出ている「グーニーズ」は面白かったぞ!)

いくら子役たちが上手いと言っても、子どもだけで見せるには
無理があるだろうし、あの予定調和にもうんざり・・・でした。

唯一泣けたシーンは、父親たちの和解の場面。

あれは良かったなあ~。


「英国王のスピーチ」
英国王室も日本の天皇家と同じなのね。
とっても窮屈な世界に押し込められ、
気の毒でした。

でも、そんな中でも真の友情をはぐくめるし、
親兄弟間のトラウマもその気になれば
克服できるし・・・と
勇気を与えてくれた映画でした。

このジョージ6世のひ孫がこの間、
結婚したとは・・・時代の流れは早いものですな・・・

などとしみじみしてしまいました。




☆それでは今日もよい1日を





「わたしを離さないで」

2011年04月21日 | こんな映画を見た

カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を観てきました。


「わたしを離さないで」


ちょうど、NHKのETV特集で、「カズオ・イシグロを探して」という番組をしていたので、
興味をもって観に行ってきました。


この間の岡本太郎さんのドラマといい、最近NHKはいい番組を放送しますね。


私が感じることは、こういう“本物”に触れると、

いつも襟を正さなければならないような気になること。



どちらも、芸術家、それも本物の芸術家だと思います。




さて、この映画に対する私の批評など、まるで無意味でしょう。

私に語る資格などあるわけもありません。


もし機会があるなら、ぜひ観ていただきたいと思います。




ただ、ものすごい問題提起だと思います。

このことについての答えなどでるのでしょうか。


もちろん、出てはいるのですが・・・

それを表現することは、現実世界に物申すことになるので、
なかなか表現しにくいということもあります。



私たちは、ただこのことを胸に秘め、
じっと考えるしかないような気がします。

私ももう少し、自分の中で整理してみたいと思います。




☆それでは今日もよい一日を。








天才はほっとこう! 「ソーシャル・ネットワーク」

2011年03月18日 | こんな映画を見た
地震のあった日、「ソーシャル・ネットワーク」を見ていた。

評判の高い映画で、わたしも期待して見に行った。
評判通り、面白い出だし、息もつかせぬ S.N.S を立ちあげるシーンと、
現在の訴訟の場面のカットバック・・・。

主人公マークの天才ぶり。

全てが面白かった。


が、こんなに面白い映画でも、退屈だ・・・と思えるシーンが2回ほどあった。

退屈で退屈でたまらなくて、何か食べでもしなければおさまらない・・・と
いうくらいで、朝、握ってきたおにぎりをこっそり取り出し食べたくらいだった。


まるで芝居の幕間のような感じ・・・。


何故だろう・・・? 

と考えるに、やはりステレオタイプな切り口になった時に、
退屈だ・・・と感じたようだ。


主人公マークは、いわゆる天才なのだ。

天才肌。

こういう人を普通の常識で捉えては駄目なのだ。


「あんた、親友を裏切るなんて、いかんじゃないか!」 プンプン

とか、

「他人の気持ちを考えた事があるのか、この人!」


などのシーンになったとき、めちゃくちゃ退屈になってしまったのだ。



こういう人を普通の常識で捉えて、非難したり、束縛するのは、
はっきり言って人類の進歩をさまたげると思うのだ。


彼等はそのリスクも充分負っており
(フツ―の社会生活が送れない。でもまたそれもよし)、

それでいいのではないかと思った。

それよりも、ハ―バード大学というところが非常に面白かった。

まるでハリポタに出てくる寮対抗みたいな組織があるし、
(クラブと言っていたが・・・)
そこに入ることがまた一つのステータス。

そこに入れないマークが、皆もが参加できるS.N.Sを立ち上げるのは、
理にかなっていると思った。

もちろん、やり方には問題があるとしても・・・。


そして、キッチュな双子の兄弟。
この二人のディテールがまた面白かったですね。


ああ・・・いるいるこういう人、と思ってしまいました。


この人たちの方が、私たち凡人としては、気持ちが分かるかも・・・。

それにしても、彼等に対するハーバードの学長の態度は見事でしたね。
思わず拍手でした。



そして金になるとしたら、すぐに大学を辞めて会社を起こすのも
アメリカらしいな~と思いました。

日本だったら、もったいない! 大学卒業してから・・・なんて
思っちゃいますよね。

ここで学ぶことないやと思えば、ハーバードだろうが、なんだろうが、
さっさと次のステップにいっちゃう、というところが、
面白かったです。

あんまり、グズグズしていないんですね。

さすがだと思いました。



私は、主人公を孤独なオタク青年とは思いませんでした。

孤独、孤独とやたら、強調する向きもありますが、
誰だって孤独ですよ。

別にマークだけじゃない。

皆と仲良く-

できない場合は、ごめんなさい、でいいんじゃないかな~?


そういう自分を愛する、
そういう人達を理解する、

そういう時代に入ったのかもしれませんよ。



いやはや、面白い映画でした~。




☆それでは今日もよい1日を。








「白いリボン」

2010年12月22日 | こんな映画を見た

週末にミヒャエル・ハネケ監督の「白いリボン」を観てきました。

http://www.shiroi-ribon.com/

私はこの監督の「ピアニスト」を観た時、心の底から、震撼としました。

そして、本当に「面白かった!」と思いました。

しかし、今回は・・・・・・。

 

でも、これカンヌのパルムドール賞なんですよね・・・・・・。

ヨーロッパって奥が深いですね。

う・・・ん、う・・・ん、と唸っています。

 

まず、この映画、最初のモノローグから、

誰が主人公かわかりません。

それは、喋っているのが誰なのか、

説明がないからです。

 

普通、喋っている人は、最初にアップとなったり、

自分はだれそれでと喋ったりするものですが、

この映画に関しては、そんな親切なことはありません。

 

それが、かえって、ああ・・・いかに自分がハリウッド的

親切な映画、分かりやすい映画というものに、

毒されているか・・・ということが分かってしまいます。

(これは、マンガとかにも言えるんじゃないかと思います)

 

なので、私は途中まで、主人公はずっと、

ポスターにもなっている罰として、白いリボンを

つけられている男の子だとばかり思っていました。

 

ちがうんですね・・・。

主人公は彼らの先生なのです。

 

でも、先生なので、正直視線がぐっと中に入っていかなくて、

犯人は誰なのかが、最後まで分かりません。

 

私は、この映画で、久しぶりに(映画館で)寝ました。

メリハリがないし、白黒だし、それに起きる事件と言えば、

正直、それほど重要なこと・・・?というので。

 

つまり、ことさら、事件をショッキングにみせようとか、

効果音を使って盛り上げて・・・ということでもなくて、

ただ淡々とその年、村で起こった不思議な事件の数々を

外からの視点で見つめているだけなのです。

 

(そう言えば、エンディングでも、音楽の一つも掛らなかった・・・)

 

正直観終わっても、何の事だかさっぱり分からない・・・。

一体これがおおごとなのか・・・?と不思議な気さえするのです。

 

ところが、改めて、チラシを観ると、

・・・なるほど!

と分かってきました。

 

映画の冒頭のナレーションから、もうすでに犯人を示唆しているのです。

それなのに、あまりに淡々としすぎて(つまり、ハネケにやられて)、

見過ごしてしまっていたというわけです。

 

事件の方は置いといて、この映画で一番気になるのは、

大人たちの欺瞞と暴力性です。

 

神の名のもとに、子供に体罰を加える神父、

口答えしたといっては殴る父親、母親。

子供の管理がなっていないと罵る男爵、

娘に性的虐待を行う父親・・・

 

などなど、とにかく、ここに出てくる大人たちは、

子供たちに冷たく、温かみがなく、そして子供たちから

奪おう奪おうとします(自由と権利と愛情を)。

 

これが当時のドイツの教育方針だったのか・・・。

私は最初に神父が家族で食事をするシーンで、

とても実子だとは思えず、孤児院でも経営しているのではないかと

思ったくらい、そこはまさによそよそしく、管理的な家庭でした。

 

体罰は当り前、親が子供をしつける、という世界。

子供たちは口答えを許されず、一方的に悪と決められ、

圧力をかけられ、ムチでたたかれます。

(男も女も)

 

それが、どの家庭でも行われているのです。

 

そんな村にドグマが湧かないはずはない・・・。

 

そして、最後に映画は、この子供たちが将来ナチ党員になっていくのだと

示唆します。

 

暴力が生まれるところには、やはり暴力が存在しているものだと思います。

 

だから、本当はこの映画、とっても怖い映画なのです。

 

子供への暴力が、人々との争いへ、そしてやがてそれが、

世界をも揺るがす戦争へとつながっていくのですから・・・。

 

やっぱり、子供には体罰なんて必要ないよなあ・・・と

思って映画館を出ると、ロビーに、戸塚ヨットスクールの塾長、

戸塚宏のドキュメンタリー映画のチラシがあり、びっくり。

 

(まあ、観てみないと分からないですけど・・・)

 

やっぱり体罰なんて必要ないんじゃないのかな?

 

と思ってしまった私でした。

 

 

 

☆それでは今日もよい一日を。