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私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

「告白」

2010年06月18日 | こんな映画を見た

今、話題の映画、「告白」を観てきました。

かなり期待をして行ったのですが、

私の中では残念な結果となってしまいました。

(この映画は、一緒に観にいった子どもと
散々討論したので、もう書くこともあんまりないんですけど・・・)


まあ、ようするに、私は反対派で、彼は、賛成派ということです。


ただ、いいシーンもあるんです。

始終感情を抑えた松たか子が、感情をほとばしらせる所。

中盤で、雨の中慟哭するところと

ラストの鬼のような形相・・・。


この鬼はこれから一体どうなるのでしょうか?


というのが、私の気になるところです。



それと、申し訳ないけれど、
まるで人間を将棋の駒のように動かすのは、
止めていただきたいなあ~・・・と思いました。


韓国映画の
「オールド・ボーイ」とか「親切なクムジャさん」とかにも
似ているけど、出来としては、あっちの方がよかったのかも・・・。

(けれど、どちらにしても、生理的に受け付けないんですよね、
このテの映画は・・・)


まあ、これは私の感覚としかいいようがないけれど・・・。


個人的には、岡田将生が演じたウェル輝先生が
好きです。

あの人の告白もぜひ入れるべきだったのでは・・・?
(この人の成長譚もぜひ観たいです)

というか、あのクラス、全員の告白が必要ですよね。

あの先生が不登校児のお宅訪問をしているのを見た時、
私も我が家の不登校児のことを思い出して、いや~な気持ちになりましたよ。



その点では一番リアリティのあった登場人物ではなかったでしょうか?


今後の岡田将生に期待です。



「告白」公式サイト




☆それでは今日もよい一日を。


小さなホン屋パモン堂

「プレシャス」と「マイレージ・マイライフ」

2010年05月04日 | こんな映画を見た
「プレシャス」と「マイレージ・マイライフ」を観てきました。


「プレシャス」こんな映画です。

「プレシャス」は黒人の太っちょの女の子の話。
彼女はまだ中学生だと言うのに、二番目の子供を妊娠中で、
学校を退学になってしまいます。

その子供たちの父親は、彼女の本当の父親で、
彼女は性的虐待を受けているのです。

母親は、生活保護を受けていて、人生に絶望したかのよう・・・。

娘のプレシャスをまるで奴隷のようにこき使います。


・・・と書くと、全編くら~い映画のように思えますが、
プレシャスは、つらいことがあった時、想像の世界で
自分を慰めます。

すばらしい歌い手であったり、金髪の白人女性であったり・・・
イケメンにモテモテだったりする自分を想像して慰めるのです。


やがて彼女はフリースクールに通いなおして、
また一から読み書きの練習をするのですが・・・。



というお話。


まるでドキュメンタリーのように、一台のカメラがあっちへ向いたり、こっちへ向いたり、
ぎこちないズームをしたりするので、本当にリアルな話ではないかと
思わず引き込まれてしまいます。


圧巻は、最後の母親が福祉事務所で語る、性的虐待の顛末・・・。

本当に観てて(聞いてて)つらくなるような話ですが、
それも一台のカメラが、あっちへ寄ったり、こっちへ寄ったりして、
緊迫感を感じさせます。

もう、聞きたくない!と思うぐらい、
長いシーンだったのですが、
それでも母親の真実に迫っていて、なんともやるせない場面でした。

ここには、母親からの脱却-というものが、テーマのような気がしましたが、
(悪い親からは逃げろというメッセージ)
ここに出て来る女性は、プレシャスにしろ、プレシャスを助けてくれる
女性教師のブルー・レインにしろ、母親とはうまくいっていないんですよね。

つまり、これは、母親との決別がテーマの映画で、
ラストに、

「○○な女の子たちに捧ぐ」←だったっけな・・・?

(○○を忘れてしまったし、これで正しいかどうかも分かりませんが・・・)

という献辞が出てきて、ああ、そうか・・・これは、
女の子にささげる映画なんだなあ~と思いました。

別にそれが悪いという訳ではありませんが、
私には、子供を二人抱えて、自分の道を歩いて行くという
プレシャスの姿の後ろに、どうしてもこののちも、
切れないであろう、母との関係が透けて見えて、
なんともやりきれない思いがしました。


本当はここで和解があればよかったのになあ~と思いましたが、
それも長い年月がたたなければ双方無理なのでしょう。

しかし、ここで単純にこの母親が悪いと決めつけることは、
誰にもできないでしょう。

それはもちろん、この母親がやったことは、悪いことなのですが、
それでもなお、一抹の同情を禁じえません。

はたして同じ立場だったら、私はちゃんと対応できたのだろうか・・・?と
考えてしまいました。

人の弱さが露呈して、そして、それをきちんと自分で受け止められなければ、
やっぱりこんな風にまちがった道を歩むことになってしまうんだなあ・・・と
思ってしまいました。

今度は、この母親の側から描いた作品を観たいなあ、と思いました。

虐待される側ではなく、虐待する側の話が見てみたいなあ・・・と。
(なぜそうなるかを・・・)


それは作る側も見る側も大変に辛い作業になるだろうけれど、
それでも意味のあることだとそう感じました。


観て、辛いと感じる方もいるでしょうね。
そういう意味ではあまりお勧めできない映画です。



転じて、「マイレージ・マイライフ」

の方は、もう文句なしに、心に残る映画でした。

なんでもないお話なんですよ。
ジョージ・クルーニー演ずる主人公は、一年のほとんどを出張している、
リストラ請負人。
だから自分の家は、空港だと言うのです。

家を持たずに自由に生きる。
それが楽しくて仕方がない。

そこへ同じように、仕事で忙しいキャリア・ウーマンと出会い、
最初は遊びで、だんだん本気に-というパターンで好きになってしまいます。

そこへ会社へ優秀な新人社員が入ってきます。
彼女は若干23才。全米を飛び回って仕事をするスタイルなんて
もう古いとのたまいます。

そして、テレビ電話を導入して、仕事をすればいいと言うのですが、
クルーニーは猛反対。

リストラを宣告された人たちにそれではあまりにも、心がないというのです。

そこで、彼女、ナタリーはクルーニーについて、実地で勉強をする事に・・・。

その中で様々なことを経験して、成長していくというお話です。

まあ、こう書くと、なんでもない成長物語のように思えるかもしれませんが、
何といってもこのクルーニーの描き方がいい。

家庭や結婚の幸せを拒否しつつも、それもまたいいかも・・・?
なーんて時に悩みつつ、新人のナタリーにも人生の先輩として、
色々と教えてあげる。フォローもする。

ある意味、生き方がさっぱりしていて、とってもナイスガイなのです。

最後、結局仕事を辞めたナタリーにも、最後のフォローを贈るのです。


なんだか一晩たって思い返すと、気持がぽかぽかするようないい映画でした。



あとから思い返してみて、この二つの映画は、
一方は、子供の養育破棄、そして、もう一方は、父親が子供を育てる、
子育ての話だったんだなあ・・・なーんて勝手に思ってしました。


なんでもない映画で、ここまで心温まるなんて・・・
ちょっとナイスな映画でした。

お勧めかも・・・?





☆それでは今日もよい1日をお過ごしください。





「第9地区」

2010年04月18日 | こんな映画を見た
今、話題の「第9地区」を観にいってきました~。

主人公のキッチュな性格が、
段々と追い込まれていくことによって、

“真人間”? になっていく様が
ものすごく見事に描かれていました~。

この映画は人種差別も裏テーマとしてあると
どこかで書いてあったのですが、

いやいや・・・そんなことないと思います。


おそらく、“宇宙人”と最初にコンタクトをとると、
こんなことも考えられるでしょうね、なーんて思いながら、
観ていました。

ただ、一言でこの映画を表すのなら、

“ケモノ ミチ”という表現が
ぴったりな映画でした。

主人公の属する、MNU側も、宇宙人側も、ギャング側も・・・
いや~、すべからく“ケモノ”ですわ・・・。




まともな人、おらんのかい?

とか思っちゃいました。


しかし、危機、また危機で、
まったく飽きさせず、
面白かったです。

もう一回観たいな、と思いました。


公式HPはコチラ
  ↓
「第9地区」




「ハート・ロッカー」 「渇き」

2010年03月11日 | こんな映画を見た
本年度アカデミー賞を受賞した
「ハート・ロッカー」を見てきた。

平日の朝にも関わらず、満席で、
立ち見となってしまった・・・。
(何年ぶりだろう?)

イラクに派遣された爆弾処理班の話なのですが、
この「ハート・ロッカー」ってどういう意味なのかな?

と、観ながら、ずっと考えていました。

 ↓

ハート・ロッカーの意味

一応、「棺桶」とか、「心の痛み」とか・・・そのような意味があるそうですが、
私は、「心に蓋をする」「鍵を掛けて、この現状をみないようにする」
という意味なのではないかと思ってしまいました。

毎日毎日、生死の分かれ目にいて、その緊張が持続してしまう生活・・・。

精神的にも正気と狂気の境目にいるような状態・・・。

そんな状態の心に鍵を掛けて、見ないようにしてしまっているのでは
ないかと思いました。


とにかくうんざりします・・・。
この状況に。

何が正義かなんて分からなくなってしまいます
(そんなこと考えたら、心が死んでしまいます)。


私が一番、印象に残ったのは、
ある仕事が終わったあとに、家族の元へ電話を掛ける
主人公の姿。

でも、妻の声が聞こえてくると答えずに、切ってしまうのです。


後腐れがないように、離婚してきたのに、
それでももう最期だというような体験をすると、
頼りたいのは、妻の声、家族だったということに
私は心を揺さぶられました。


私の隣にいた方は、
主人公たちが、「もう辛くてどうしようもない」と
会話の中で吐露する場面で、独身の兵士が、

「俺は子どもが欲しい。子どもが持ってみたかった。
男の子が欲しい」と言う所で泣いていました。

(なんせ立ち見ですぐ側にいたもので・・・)

映画が終わり、その方を見ると、
身なりのよい中年男性で・・・
色々な思い入れがあったんだろうな・・・と思います。


ただ、問題は、戦場から帰ってきてからです。

主人公が妻に話すのは、戦場の話ばかり。

それも、

「その時、市場にトラックが突っ込んできて、爆破して・・・」

なんて話を延々と聞かされるのです。

私は果たして、こういう夫を支えられるかな?と思いました。

(けれど、これが戦争とは縁の切れないアメリカの現状なんでしょうね)


War is a drug

という冒頭の言葉が心に残りました。

言葉通り、神経が麻痺してしまうような衝撃的な映画でした。

「ハート・ロッカー」



その次に観たのが、同じ映画館でやっていた「渇き」です。

「渇き」

「JSA」や「オールド・ボーイ」を撮ったパク・チャヌク監督の作品です。


この映画は・・・
う~ん・・・

まだ今年が始まったばかりで恐縮ですが、
(私の中では)今年のワースト1
ぐらいには入るのではないでしょうか?

とにかく・・・ヒドイ・・・です。
訳分かりません・・・。

主人公の神父がある感染症の人体実験に応募するのですが、
まずその意味がよく分からない・・・。

自殺願望があるとしか思えない。

しかも、ここに出てくるキリスト教の描き方が、
“病んで”いて・・・これ、本当なの?
(韓国はクリスチャンの国とは言うけれど、
どちらかというと、儒教じゃないの?これ?)
とか思ってしまいました。

とにかくよく分からないづくめで、
物語は進行していきます。

最終的には、「火曜サスペンス」と吸血鬼ものが
合体したようなお話で、
最後まで、こりゃ一体なんなんだー!?
と思ってしまいました。
(何が言いたいのかよく分からない)

この映画を観ているうちに、
ふと、私には“獣道”という言葉が浮んできましたよ~。

まったく、人はどこまで獣になれるのか?って感じです。



「JSA」のような人間ドラマを期待していると、
手酷い目に遭います。

「オールド・ボーイ」も「?」だったのですが、
この「渇き」はもっとヒドイ・・・。

なんでこんなに面白くないのかと
夕べからずっと考えていたのですが、

やっぱりこの監督の提示してくる「ギャグ」感覚が
わたしらおばさんにはさっぱり分からないからなんだろうなーと
思いました。

というのは、観終わったあと、
おばさんたちが話しているのを聞くと、
「なに?あの監督」と憤激している様子が
伺えたからです。

私らが古いのか、この監督のギャグセンスが
特異なのか・・・
それは分かりませんが、

映画を普遍なものにするためには、
もうすこし、分かりやすいセンスでお願いしますよ、監督・・・
とか思ってしまいました。

まあ、文句ばかり書いてしまいましたが、
このセンスが面白いという人だっているかもしれませんからね。
ぜひご意見を伺ってみたいと思います。

(ちょっとお化け屋敷にいるような感じです。
どうだ怖いだろ?エゲツないだろう?
もっと怖がれ、気味悪がれ、ヒヒヒ・・・みたいな)

ま、B級映画、ばんざーい!ってことで・・・。




☆それでは今日もよい一日を。


小さなホン屋パモン堂

「だれのものでもないチェレ」

2010年02月12日 | こんな映画を見た
「だれのものでもないチェレ」という映画をみてきた。

だれのものでもないチェレ

正直言って、この映画に対するコメントなどは
だれも何も言えないのではないかと思う。

それくらい荘厳な気持ちになってしまった。


舞台は1930年代のハンガリー。
孤児たちは、養育費を払われ、
引き取られていくが、
半ば農家の奴隷状態。

7歳のチェレは服も与えられず、
働かされている。

それでもいつか母親が迎えに来てくれるという
希望を捨てない。

その純粋な希望が胸を打つ。

子どもの人権などというものが言われ出したのは、
つい最近のことだ。

それまでは、子どもや老人、そして女性などの
人権はなかったに等しい。

強いものにあわせた世の中で、
みんなそれに合わせていかなければいけなかった。

力が強いものが偉く、
お金をもっている方が強く、
頭のいい方が勝つ
という世の中で、

力の弱い、子ども、女性、老人、病人・・・
お金のない人たち、
教育を受けていない人たちは、

損をするようになっていた。


今、この日本という国に生まれていれば、
そんなことはあまり感じないかもしれないけれど、
これはひと昔前の現実なんだよなあ~・・・と思ってしまった。

でも、もう力のある者に合わせるのではなくて、
力の弱い者、困っている者に合わせる世の中でないと、
生きにくいよなあ~と思った。

それはだれにとってもだと思う。

だれだって、年を取るし、
だれだって、弱くなるのだから・・・。


この映画に対して私は何も言うべきことがないのだけれど、

チラシにこの映画の監督の言葉として、
とてもぴったりな言葉が載っていたので、
それに同感ということで、終わらせていただきたいと思います。


「どんな人間でも人を侮辱してはならない」

ラースロー・ラノーディ監督




☆それでは今日もよい一日でありますように。

さむいですね~。


小さなホン屋パモン堂