ぱどまの会日記

ヨーガとインナーチャイルドの癒し方とアーユルヴェーダ

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司会者つれづれ日記③~セミナー直前号

2008-09-05 | アーユルヴェーダ
皆様、またまたずいぶんとご無沙汰しております。司会の堀田峰雄です。あれよあれよ~という間に時は過ぎ、気付けばセミナーの前々日となってしまいました。
今まで2回に渡り「つれづれ日記」を書いてまいりました。ここでお話しているのは、回りくどい言い回しをしていますが、とどのつまりはアーユルヴェーダの健康観です。そして、そのベースは自然であれという事に尽きます。
前回の「①健全な人」そして今回の「②健全な精神」「③幸福で有意義な生活」は、私達が忘れてしまった自然な状態を指します。この①②③が自然な状態だとは、なかなか私達は信じることができません。しかし、この信じられない事こそが私達の病の根源である「情動面の乱れから生じた精神の乱れ」のひとつ、自己不信の表れなのです。これを「自信が持てない(自分を信じられない)」と言いかえることも出来ます。

これから書き連ねることは、前回と同じ「アーユルヴェーダ育児学-アーユルヴェーダの基礎と小児科学~春秋社刊」からの引用ですが、まず要約を箇条書きしたのちに、その自己不信について考えてみましょう。
●健全な精神●
自分をみつめ、何者かを知る。良心に従う。順応力を持ち、心の安定を維持する。他人を思いやり、愛情、喜びを分かち合う-欲望、情動、行動、発言を完全に自制できる。尊敬と感謝の念を持ち、社会的責任を果たす。

●幸福・有意義な生活●
心身ともに病んでいない。活気に満ち、勇敢で自信にあふれている。好きなことを楽しみ、いつでもどこでも思いのままに行動できる手段と自由を持っている。生活のための仕事をしていても、好きなことをしていても、欲望や本能を自制できる。真実を語り、善行の掟を守る-現世だけでなく、来世においても何が善かを考えることも含む。


冒頭にある「自分をみつめ、何者かを知る」こと―これが全ての根幹です。これは現在の自分を客観的に把握するという意味でしょうが、それは単に自分を批判したり責めるということではありません。「私はこれが出来ない」「こんな事をしてしまう・・・」という自分を受け入れることです。それが成ってこそ、その後に「今の自分よりも良いものになろう」と行動するようになるのです。
おそらく多くの人々が高尚な教えに心惹かれ「より良い自分をめざそう」と考えます。しかし今の自分を認識せず、だめな自分も受け入れないままに良きことをなそうとしても、それは抑圧を生むことが多いのです。痛みを感じさせないようにしてしまうことで、傷を負っても物ともせず、より勇敢に戦える戦士のように、その行為の代償は後で何らかの形で払うことになります。
自分を許すことは、人を許すこと・受け入れることにつながります。そのため「自分を知る」必要があるのです。それがなされた時に「他人を思いやり、愛情を分かち合うこと」も「欲望や本能を自制すること」もまったく問題なく行うことが出来る-いや、「出来る」ではなく「自然の行為」となるのです。
そうなると、自分の周りに存在するすべてに「尊敬と感謝の念をもつ」事になり、自分の「満足」が愛する人やその他の人々の「満足」と一体となれば、「好きなことを楽しみ、いつでもどこでも思いのままに行動できる手段と自由を持つこと」すらも「欲望、情動、行動、発言を完全に自制できる」事と矛盾することはありません。
「現実」とは自分の主観によって解釈されている「現象」です。つらい現実も「自分はなぜそれをつらいと感じるか?」という疑問から新たに検証してみたときに、まったく思いもよらない解釈による「現実」が現れることがあります。

セックスという行為は、隠しようのない自分をさらけ出すことでもあります。つまり、「自分をみつめる」ことでもあるのです。お互いの相手に対して、こうしたい、ああして欲しい、ということが訴えられない、実行できないとなることが「自分を認めない」「自分を否定する」という事になります。それが「自分を知ること」によって「自然な行為」となれば、お互いにとって幸せな方法や考え方をもつことが出来ます。そしてその結果、お互いの満足と信頼が強くなるのです。そうなればこの絆はちょっとしたことで揺らぐことはありません。そのためにも、私達が本来持っている叡智を思い出すことをが必要です。
子供はこのセックスによって「自分を知る」ことはまだ出来ませんが、私達大人も「自分を知らない」のであれば、その面では未熟な子供と同じなのです。
本当の大人になる事、それは「他人を思いやり、愛情を分かち合うこと」を実行していく事でもあります。

「自分を知る」-それは常に学び続けることです。
「ヴァージ・カラーナ・タントラ」-Sexlogyについてバット先生が語ることは、私達の「学び」の第一歩として、最高の機会になることと思います。

子供はいつか大人になります。私達もそうあるべきです。「アーユルヴェーダ育児学-アーユルヴェーダの基礎と小児科学~春秋社刊」の冒頭に、著者のDr. V.B.アタヴァレー引用したシュローカ(詩)を結びのあいさつとしたいと思います。

神よ、この子を育ててください
理想的な人に、いえ、それ以上に
健康と幸福と智恵を調和させて下さい
人類を向上させるために
そして、この大地を
地上の楽園に変えて下さい