水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その1 ~ 旅のいきさつ ~

2010年03月14日 | ニュージーランド南島



2009年のクリスマスのころから、年を越した2010年の1月のはじめまで、ニュージーランドの南島を旅行した。

「冬休みにニュージーランドに行かない? 氷河とか見に行こうよ!」

と陽気にEがぼくを誘った。ニュージーランド。きっと自然が美しいだろう。「ああ、いいだろうねえ」と、自然の好きなぼくは答えけど、ぼくの気持ちはまだ輪郭のはっきりしない綿アメの様にフワフワしていた。この会話をきっかけにぼくらは旅行の準備を始めることになるのだけれど、だいたい二人で行動を起こすときはいつもこんな具合だ。Eは見た目よりずっと積極的で、ぼくはいつも腰が重い。

「2人でクルマを交代して運転してさ。アメリカでやったロードトリップみたいじゃない?」

ロードトリップ。ぼくとEは、その昔ぼくらがアメリカで住んでいた頃、一緒に東海岸から西海岸までトラックを運転したことがあるのだ。3000マイルを1週間ほどかけて走り抜けた。果てを知らぬ中西部のコーンフィールドを走り、北米大陸の屋根である壮大なロッキー山脈の坂を喘ぐようにして登り、生まれたばかりの星のような荒涼とした礫砂漠を通り抜け、シエラネバダの緑に包まれ、そこからはじき出されるようにしてカリフォルニアの太平洋を目にしたときには涙が出るほど感動した。目を閉じれば、ぼくはいつでもあの黄色のトラックを思い浮かべることが出来る(おまけにトラックの後ろにはシビックを牽引していた)。あの壮大な引越しの様子を。

この旅を通してぼくが感じたのは、「アメリカは広い」という言葉だけでは説明しきれない何かだった。
言うなれば、それまでぼくが知っていたアメリカは、本当のアメリカのほんの一部、あるいはほんの「表層」であり、その全貌には到達しえないという圧倒的な感覚であった。それはまるで円周率の数字の羅列のようなもので、いくらその数字を追おうとも、それを遥かに勝る量の(厳密には永遠に続く)数列がその後に続くと知った時の敗北感に似ている。「π」や「アメリカ」といった言葉は、その敗北感を封じ込めるためのおまじないのようなものである。

「ロードトリップ」という言葉がEから発されたその瞬間にぼくの心は3000マイルを疾走し、そしてぼくの心は決まった。空は晴れ渡り、綿アメはキュッと小さくなってアメ玉となり、ヒツジがのんびりと草を食(は)みはじめ、原住民のマオリの人たちがハカの踊りをはじめた。

「うん、いいね!行こう!」とぼくは答えたのだった。

気分が昂ぶったはいいものの、いわゆる先立つものが不安といえば不安である。早速調べてみた旅券の値段は、一瞬身体が凍るほど高い。これじゃあ、ぼったくりバーの方がまだ良心的というものだ(行ったことないけど)。しかし熟考(じゅっこう)すること3分、ぼくはひとつの境地に達した。この計画はEとぼくにとってきっと大切なものになる。だから、休みは飛行機が高いからどうのこうの、などというのは卑小な言い訳であって、この機会をフイにしてはならない。こんな妙な正義感に似た感覚が芽生えて半ば強引にこの旅行を決断したのだった。

ヒツジがのんびり食んでいるのはひょっとしたらぼくのお金かもしれなかったけれど、そういう難しいことはもう少し大人になってから考えればいーのである。

旅に出ない理由を探してはいけない。すべての問題を後回しにすれば、行動することはさほど難しいことではないのである。

2009年12月24日、ぼくとEはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ空港に到着した

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