水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

フィレンツェとヴェネチアを巡る旅 その1 「旅の始まりは感動の連続」

2007年07月31日 | 旅行

7月の中旬にイタリアに小旅行に行ってきた。行き先は花の都フィレンツェ。美術の都といわれるこの街はルネサンスの生まれ故郷である。そしてもう一つ、水の都ヴェネチア。映画「旅情」のように、水路の張り巡らされたこの街でうっとりとするようなイタリア時間を過ごしたい。

旅行は行けるうちに行っとけという友人のアドバイスで、あまり深く考えずに今回の旅行を決定した。旅行って深く考えちゃうと、今行く必要はないとか何とかゆって出足が鈍ってしまう。行く必要なんて常にないに決まってるのだ。大体において遊びに必要を持ち出すのはいけない。必要なんて貧しい概念だ、フム、と腕を組んで難しい顔で外を見つめているぼくを乗っけて、アリタリア航空の飛行機はローマへ向けて軽やかに飛び立ったのであった。横ではEがガイドブックを2冊くらい広げて、メディチ家の紋章はシンプルでかわいい、ヴェネチアではイカスミパスタ食べる、ユーロスターは速い、などとこれまた難しい顔をして予習に余念が無いのであった。

ローマを中継してフィレンツェのホテルに付いた頃には夜になっていた。けどぼくたちは街の美しさに興奮してしまって眠る気になれず、ホテルから夜の街へと歩き出していった。街の中心に聳え立つドゥオモ(球形の天井を持つ教会)に向かって歩く。さすがフィレンツェの象徴といわれるだけあって、その姿威風堂々である。ぼくたちはドゥオーモの横の広場にあるカフェの屋外テーブルに座り、イタリアワインで最初の夜に乾杯した。



二日目。時差ぼけには一切煩(わずら)わされることなく朝7:30に目が覚める。とにかく不思議なことに7amといえば世界中どこでも朝なのだ。ぼくたちの部屋は明らかに横より縦のほうが長い。3mくらいある重厚なカーテンを左右によせると、カラリと晴れた空が広がり朝の空気が部屋に満ちた。なんて素晴らしい朝なんだろう。うきうきしてくる。

ホテルで朝食をすませ、ドゥオモへ向かう。広場はすでに観光客とハトでいっぱいだった。サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の正面は巨大でどうしてもファインダーに全体が収まらない(写真下)。違う色の大理石を規則的に積み上げて作られているのが美しい。



その横にある、八角形のジョバンニ洗礼堂の扉の前はひときわ人の群れができていた。ドゥオモを向いている東の扉に施された彫刻が目当てだ。これはギベルティによる作品で、後にミケランジェロによって「天国の扉」と呼ばれ絶賛されたもの。遠近法の手法が見事で、金色に光る一枚一枚のパネルは確かに天国の様である。





そしてなんといってもサンタ・マリア・デル・フィオーレの上に堂々と鎮座するドゥオモである(写真下)



このドゥオモであるが、実はてっぺんまで登ることが出来る。ぼくたちはその後さっそくドゥオモに登ることにした。ドゥオモの建築は、そのあまりの大きさから当時完成は不可能だといわれていたそうである。それを天才ブルネレスキが設計し現在の形を作り上げた。ブルネレスキは彫刻家でありながら、過去には数学などの勉強もし、作品に遠近法の手法を取り入れたりもした。いってみればその後に現れるルネサンスの巨匠へとバトンを繋げた人物であったと言えそうだ。ブルネレスキはドゥオモの完成を見る前に他界する。

しかしこれだけのサイズの円形の屋根を作るのはさぞかし難しかったことだろう。屋根を支えるのは周りの壁だけで、それ以外の支えは一切ない。ブルネレスキはドゥオモの球形の壁を二重構造にすることによってこれを克服したという。



全部で463段ある階段を登っていく。これがまぁまぁ大変で、アメリカ人の(少々ふくよかな)女性は途中で真っ赤な顔をしてぜえぜえ言いながら休んでいた。ぼくはようするに内壁と外壁の間を歩いているわけだ。窒息しないように(?)外壁にぽつんぽつんと穴が穿(うが)ってある。ところどころ踊り場があって彫刻なんかが飾ってあったりする。ブルネレスキの作った不思議な形のこの階段をハァハァ言いながら歩いていると、建築というのが学問になる訳が今日分かったきがした。うーん、すごいぞ、ブルネレスキ。



ドゥオモの天井画(フレスコ画というのかな?)を見る。これがまた見事。どこを切り取っても一個の絵画になりそうだ。



そしてドゥオモの屋上(?)へ出る。「新しく訪ねていったところは必ず高いところへ上がってみよ」、である。わあ、綺麗な街だなあ。このちょっとくすんだ屋根の赤色が目に優しい。周りを見渡すとフィレンツェ一帯は山に囲まれた平坦な盆地であることが分かった。こういうところに都市は栄えるのかー。

ちょっとカタい話になるけど、強度計算というものがいかに文明に寄与しているかを、ぼくは学んだ気がした。ルネサンスはただのギリシア時代の文芸復古にとどまらず、数学が建築に応用されることによって巨大な建築を可能となり、それに見合うような巨大な絵画やダヴィデ像をはじめとした巨大彫刻などが隆盛したのだと思う。もちろん現在でも強度計算というのは非常に重要で、例えば自動車を作るのであれば車体のブレなどを綿密にシミュレートして、ここの金属は分厚く、あそこの金属はこういう形状に、といったように周りの力に対して過不足無い強度を持つように設計してある。こういう努力によってより頑丈でより軽い車が作られる。ぼくの趣味であるシーカヤックだってきっと強度計算を加味することによってより軽くより強いデザインが出来るだろう。話は飛ぶけれど現代の巨大建築、例えば部分部分によって構造の違う六本木ヒルズのような建物はさぞかし強度計算が複雑だろうなぁと思う。どこにどの程度の柱を立てるのかとか、大変難しそうだ。全くCADの発達のお陰である。ルネサンスは現在でも続いているかもしれない。



ドゥオモを降り、ドゥオモのベースであるサンタ・マリア・デル・フィオーレの正面へまわり、その入り口から教会の中に入る(写真上)。さすが3万人が入れるというだけあって、その空間は巨大である。1296年から建造が始まったそうなのだけれど、その頃に既にこの規模の教会を作るということに驚いてしまう。当時の日本の都市にはどの程度の人がいたのであろうか。

なんか二日目の朝にして既にフィレンツェに圧倒されてしまったぼくとEは、ジェラート(イタリアのアイスクリーム)を食べ(ぼくはチョコレート)て一息つき、街を少しふらついた。ジェラートうまーい!



次に向かったのは、ドゥオモから少し北に行ったところにあるサン・ロレンツォ教会(写真下)。サンタ・マリア・デル・フィオーレなどと比べると見落としてしまいそうなほど簡素なのだけれど、これはメディチ家の先代が華美を嫌ったためだそうだ。中庭や図書館などもあり、ダヴィンチ、ミケランジェロなどが創作に勤(いそ)しんだ場所でもある。あのダヴィンチがここにいたのか・・・。ヘリコプターのことでも考えていたのだろうか。





お昼ごはんはアカデミア美術館の近くのカフェで。ウッド・チップのかすかな香ばしさのするピッツァ・マルゲリータとトマトソースのパスタ、アイスコーヒー。どれもおいしい。昼ごはんの後はちょっと中央市場を覗いてみる。





その後サン・ロレンツォ教会の裏にあるメディチ家礼拝堂へ。重厚な棺(ひつぎ)と、ミケランジェロによる有名な4つの彫刻「昼」、「夜」、それと「曙」、「黄昏(たそがれ)」が置かれている。人物像の肉の盛り上がり、羽織った布の質感などが気味が悪いくらいリアリティを持っている。ふと目をそらせば像が動き出しそうで、目をそむけることが出来ない。この緊張感はなんだろう。西洋的な何らかの「力」がここに具現されているのだとぼくは思った。ミケランジェロこそ天才の中の天才である。教会の規模こそ小さいが、壁にめぐらされた彫刻や床石の鮮やかさには目を奪われる。残念ながら写真は禁止。

外に出た。サン・ロレンツォ教会の隅っこにあるアンナ・マリア・ルイーザの像を見つけた(写真下)



この女性はメディチ家最後の直系の子孫である。もはや力を失ったメディチ家の財宝や美術は全てロレーヌ家の手に渡ることになっていたのだが、アンナの要求により、メディチの集めた美術はフィレンツェに永遠に保存されなくてはならないとの取り決めがなされた。フィレンツェがこうして世界遺産に指定されたのもひょっとしたら、というかおそらく彼女のお陰であると思う。



ぼくたちは次に駅の方へ出て、サンタ・マリア・ノベッラ教会に行ってみた(写真上)。これも大きな建物だ。いろいろ有名な彫刻家による作品があるそうだけれど、あまり気にせずに全体を鑑賞した。教会特有の静謐さの中をゆっくりと歩いた。巨大なステンドグラスや彫刻が美しい。柱の一本一本にいたるまで細かい装飾がなされている。この教会によらず、一体これほどの彫刻を施すのにどれくらいの期間がかかるのだろう? 彫刻って一度失敗すると二度と元に戻せないのだから大変である。彫刻を彫る人の頭の中って一体どうなっているのだろう?

ここまで歩いたところでくたくたになった。最初のドゥオモの登り下りがきいたみたいだ。それに昼はずいぶん暑い。ぼくたちはホテルに帰ってしばらく休んだ。途中で買ってきたイタリアのビール、Birra Morettiを飲む。恰幅のよい紳士が赤ら顔でビールを飲んでるロゴがいい。サラサラして飲みやすい。

日が暮れるころになってトラッテリア(レストラン)を探し歩いた。あてずっぽうでTerra Terraというところに入る。これが大正解!最高に美味しいイタリアンフードを食べた。結局この旅行で一番美味しいレストランだった。キアンティを一本飲む。あーもう最高。