pacyの危ない天使(矢沢永吉ブログ・クレイジーケンバンドブログ・グルメブログ)

2005年4月3日~自由・気ままに好き勝手な事を綴っております(笑)

今年で何年目だぁ???

ジョニー大倉氏 逝去

2014年11月28日 | 矢沢永吉さん
70年代の伝説的ロックバンド「キャロル」の元メンバーで歌手の
ジョニー大倉(じょにー・おおくら、本名大倉洋一=おおくら・よういち)さんが
19日午後5時56分、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去した。62歳。神奈川県出身。
葬儀は親族のみで行う。昨年5月に肺がんの宣告を受けて以来闘病していた。
同じくキャロルで活動した矢沢永吉(65)は「非常に残念」とのコメントを出した。

所属事務所によると、昨年5月に「余命2週間」と宣告されたが、抗がん剤治療を続け、
今年4月にはライブを行うまでに回復。しかし8月に再び悪化した。10月中旬から
併発していた肺炎により、息を引き取った。妻の真理子さん(61)や息子2人、
親族にみとられながら安らかな最期だったという。後日、お別れの会を予定している。

 矢沢は今月26日の広島公演後、次のツアー開催地の大阪に入ったタイミングで悲報に接した。
所属事務所を通じ「非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます」とのコメントを発表した。
関係者によると、ジョニーさんの入院、闘病について「(矢沢は)把握していたと思う」としたが、
入院中見舞いに訪れたり、電話や手紙で交流を持つことはなかったという。

 簡潔なコメントの背景には、キャロル時代から約40年間にわたる恩讐(おんしゅう)がある。
デビューから11カ月を経て人気絶頂期の73年11月、ドラッグに依存していたジョニーさんは
ツアーを放り出し失踪した。発見されたのは約2カ月後、川崎市の病院。矢沢は激怒し、
崩壊したバンドはわずか約2年半で解散を余儀なくされた。

 別々の道を歩んでからも、ジョニーさんは雑誌などを通じ「俺たちはバックバンドじゃない」
などと一方的にキャロル時代の不満をぶちまけ、矢沢は一切相手にしない状態が続いた。

 2人は75年4月の解散後、1度だけ会っているとされる。ここでの感情の行き違いが一因となり、
数十年も没交渉状態に。「ビッグ」を追い求めた矢沢に対し、我が道を突き進んだジョニーさんは
商業的には苦戦。晩年は、それまで付き合いのあった芸能人とも疎遠になっていたという。

 約200人の客を前にした4月のライブでは「僕の知り合いの誰かは5万人を呼べたというが、
僕は500人でも50人でも変わらない。歌の心があるから」と、最後まで矢沢を意識した発言を繰り返した。
一方で「価値観の違いは相いれなかったけど、強い友情で結ばれていた」などと思いを明かしたこともある。



昨日の早朝にでいろんな情報がネット上で
飛び交っていて、矢沢お仲間からのとかですでに判明していたので
この事を記事アップしようと思ったのですが、おそらく長々となるだろうなぁ・・・と
昨日は別記事をアップ


先週の日曜日に旧矢沢お仲間のギター発表会があり、いつも毎年お誘い頂いていたんだけど、
仕事だったりして行けなく。今年はちょうど休みだったので初めてお邪魔し。
その後、キャロルからのファンであるマダムと二人で
「軽く1杯打ち上げ」って事で大衆酒場で
結局約4時間ぐらい居たんだけど

キャロルがに初めて登場した「リブ・ヤング」を
そのマダムはテレビ前で実際に観たそうで

それからというものの、「キャロルのは日常生活にあった」
「どこかへドライブする時もはキャロル」
海水浴の時も隣に置いたラジカセのはキャロル」
「あのねぇ、パーシーさん。キャロルのは私にはジャニーなんだよ」
って延々とキャロル&ジョニー談義で盛り上がったのが先週の日曜日。



まずはジョニー大倉さん、謹んでお悔やみ申し上げます・・・

あなたが作り出した日本語詞と英語詞のチャンポン作法、和洋折衷の作詞技術は
今や日本の音楽シーンにとって当たり前の事であり、そのあなたの功績は多大な事です。

あなたが居なかったら、もしかしたらキャロル、もしくは矢沢永吉も無かったかもしれない。




自分は前にも綴ったように1980年から矢沢永吉に入ったけど、
「キャロル?まぁ永ちゃんが昔やっていたバンドだから一応しよう」
っていうぐらいの興味だったかな

ジョニーがのキャロルナンバーで一番好きだったのは「番格ロックのテーマ」かな。
「すげえタイトルだな」っていうのが初めの印象。ですると甘い歌声


キャロル世代からずっとしている方々には今回のこの事は
ショックだと思う。たしかにキャロルのオリジナルナンバーを永ちゃんが
今の時代にしても「あれはジョニーがするオリジナルの方が
やっぱり味がある」って言う人も居るだろうし、俺もそう思う事もある。


自分のこのブログでも自分はさんざんジョニーを叩いた
それは紛れもない事実だし、否定もしない。
「頼むよぉ・・ジョニーちゃん。いつまでもキャロルキャロルじゃないだろ?」って。

実際にジョニーと共演した事がある、今矢沢コピーバンドのボーカルを
やっている矢沢お仲間の先輩にその時の事を伺った事もあるけど、
「えっそんな状態なんですか、今のジョニーって」って言うぐらい
ハチャメチャだったし・・・・。

だって、何度もあったじゃん。

「ファンキー~」とか「ルイジアンナ」は全部自分が作詞作曲したってで言い放ち、
その後に謝罪文出したりとか、出版したの中でも「永ちゃん、それで
幸せなの?」って今更40年も前の過去の自分の栄光にすがったり。

永ちゃんがそのでジョニーがそう言い放った後にウッチャンにしたら、
ウッチャンも「なにそれ」って会話したって事、あの当時の矢沢クラブの会報でも
たしか1枚綴りの紙面が送られて来たよね。

キャロルの版権を矢沢事務所が管理するようになったのも、版権自体が乱雑に
扱われる事を防ぐ為にそうしたのであって、それを了解したにも関わらず、
後から抗議したり。

それでいて「強い友情で結ばれている」って言われても、???って気分にあるわけで。

前にもここで綴ったけど、解散後メンバー4人で久しぶりに会った時、
「ジョニー、ショーケンには絶対に負けるなよ」って永ちゃんに言われて
嬉しかったって立ち読みした雑誌にあったけど。




自分にとっては「キャロルはあの時のキャロル」であって。

「また永ちゃんと同じステージに。だからキャロル再結成をしたい」っていう
ジョニーの気持ちは分かるけど、俺としてはもっとソロのオリジナルで勝負して欲しかった。


それともう一つ、マスコミやなんやが今回のこのジョニーの訃報に接し、
「永ちゃんも冷たいよな、一度だけでもジョニーの願いを受け入れて、
キャロル再結成してあげれば良かったのになぁ・・・」っていう恰好のネタが
今後出てくるかもしれないけど、それは違うぜ

マスコミがネタにすることは論外として、その気持ちは充分理解できるけど、
それは当人同士にしか分からない事だと思うし、ファンが勝手な願望等で
思い込んではダメだと思うよ・・・・





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2 コメント

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安らかに… (チケット狩り)
2014-11-28 19:35:36
私もジョニー大倉さんのヴォーカル曲では「番格ロックのテーマ」が特に好きです。
でも、あれって本来サブタイトルにすべきなのに、正式な曲名が付かないまま「番格」になってしまった不思議な曲です。
キャロルはTVでしか見たことありませんが、ジョニーさんが一番オシャレな印象が残っています。
また、西部警察にゲスト出演された時、舘ひろしさんとの共演シーンがなくて残念!

最後になりましたが、ジョニー大倉さんのご冥福をお祈りします。
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チケット狩り様 (pacy)
2014-12-01 08:20:18
この記事をアップしてから「番格~」の思わぬ動画を発見し、追加で貼り付けた次第です
これ、永ちゃんの作曲だったんですね、てっきりジョニーの作詞作曲だと思っていました

本来サブタイトル→へぇ~そんなエピソードがあったんですか

まぁ、おそらく後日開催されるであろうお別れ会的なものには永ちゃんは出席は辞退するでしょうねそれは混乱を避ける意味合いで。でもそうするとマスコミやファンは「冷たい」って騒ぎ出すと思いますが
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