凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

旅行とコレクション 1

2008年06月24日 | 旅のアングル
 先日、いらないものを整理するを書いたけれども、その中で整理しきれないものがあった。それは、格好よく書けば「思い出」である。
 でもまあそう書くと恥ずかしいので、もう少し形而下的に言えば「記念品」だろう。いろいろな思い出の「品」である。これにはもちろん様々なものがあって、長く生きていれば思い出も蓄積されることは自明であるし、それに伴って品数は増える。
 こんなもの幼稚園時代からあるのでたまる一方であるが、その中でも旅行に関わるモノがやっぱり多い。思い出が濃い分、量も増えるのだろう。
 だが、これは本当に思い出という理由だけから残しておいているのか? と疑問になるものも出てくる。確かに旅先で手に入れたものばかりであるので思い出はもちろんあるけれども、どうも蒐集癖の産物ではないのか、と思えるものも多い。
 旅行に数多く行くと、いろいろな物が記念として残る。当然の事だ。その最たるものは写真だろうとは思うのだが、それ以外にも何か記念として持ち帰ったり、購入してしまったりする。次の旅で、また同様のものを手に入れてしまったりする。 3回目からは意識して探し出し、それが高じて「コレクション」ということになってしまう。
 それが「ついで」のうちはまだいい。徐々にそれが旅の目的ともなってくる場合があってしまったりする。病膏肓とはまさにこのことだろう。
 そんな話をちょっと書いてみたい。

 旅の記念としてまず思いつくのは、いわゆる「地名入りの土産物」だろう。
 ペナント・キーホルダー・ちょうちんなど各地の名所旧跡の名前を冠した記念品は数多くある。最近だと携帯のストラップかな。もはやペナントなんてのは無くなってしまった感もあるが。よく、家の鴨居にズラリと観光地のちょうちんが並んでいるのはしばしば見かける。思い出がこもっているんだろうなと思う。しかし、あれは結構かさばったりするものであり、そこが難点かもしれない。
 僕はこういうものは蒐集する癖を持たなかったのは幸いだった。集めていたらどれほどの量になったかと思うと恐ろしい。蒐集しなかったのには訳があって、僕は自分で旅行が出来る年齢になるまでに既に大量の「旅行記念キーホルダー」を所持していたからなのである。
 父母に兄弟が多いこともあって僕には親戚が多い。おじさんたちは、旅行でなくても出張などもあってあちこちに出歩く。そうすると、この年端もいかないガキの甥などは(僕のことね)、「えーおみやげないの? おみやげおみやげ」と騒ぐのである。面倒臭い子供である。あるとき一人の叔父がキーホルダーを僕に買ってきてくれた。すると僕はものすごく喜んだそうなのである(全然記憶にないけど)。それからは、「アンタにはキーホルダーね」と定番化して、親戚一同どこへ行っても僕にはキーホルダーを買ってきてくれるようになった。今考えてみると、アイツには○○、と決まると考える手間が省けていいのである。土産物を選ぶっていう行為も時間がかかるものだ。
 キーホルダーなんていうものは、一個あればいいものなのである。これを僕は小学生の頃には既に100個近く持っていた。それも重い金属製の「磐梯朝日」だの「三瓶山」などとネーミングされている類である。もううんざりしていた。そもそも、自分が行ったところであれば愛着も沸くのだろうが、当時は「天竜川」などと刻印されていてもどこか知らないし興味もない。当然持て余してしまい、母親を通じて以後のことはやんわりと断ってもらった。まあ自業自得なのだ。ガキの分際で土産などをねだったのが生意気なのである。
 その大量のキーホルダー群は今どこに行ったのか。知らないや。申し訳ないけれども。

 土産物の話に戻れば、ペナントやキーホルダーよりももっとかさばるものが店には並んでいる。それはそれで記念品として否定はしないけれども、どこで買ったのかわからなくなるようなものもよく並んでいる。不思議だと思う。「根性」とか「愛」とか彫りこんである石とか木刀とか。本人に思いがつまっていればそれも結構なんだけどねえ。みうらじゅん氏はこういう意味不明のものをコレクションしていて面白いのだが、そんな奇特な人はそうは居まい。
 どこのうちにもあるのは、アイヌの木彫りの熊である。これも定番なのだけれども。ある人の家で、この熊さんが7、8個並んでいるのを見たことがある。「くれた人のことを考えると処分出来なくてね…」とおっしゃっていたが、話を聞かないとコレクターだと勘違いしてしまうところだった。確かにね。あれは実は結構値が張るものなのだ。僕の家にも一頭居る。処分しにくいけれど、もう誰に貰ったモノだかは忘れてしまった。
 その他にもこけしなどはあちこちにある。工芸品として立派なものもあるけれども、裏に「伊勢志摩旅行記念」とか彫ってあったりして。あれ、あそこってこけしで有名だったか? 所持者に聞いてみると「貰ったものなんです」との由。
 結局、人に差し上げる土産物などというのは、残るものより食べて消えるものの方がいいのではないか。是非買って帰ってきて、と頼まれたもの以外は。木彫りの熊がたくさん並んでも困るだろう。北海道へ行けば熊さんより白い恋人。沖縄に行けば星砂よりちんすこう。住宅事情を考えればそちらの方が後々有難がられると考えられる。
 
 しかしながら、人に貰ったものは有難味も徐々に薄れるものだけれども、自分で手に入れたものには愛着も沸いてくる。コレクションというのは、旅行土産に限って言えば、自分で現地で購入した、或いは採集してきたものにこそ値打ちを感じるし大切に思う。石ころひとつでも、名石というわけではないにせよ、これは苦労して登った富士山頂の石だ、と思えば、思い出の一片として残るものなのだ(富士山で石を勝手に取ってきていいのかという問題はさておき)。甲子園の土と同じ。
 我が家にも沖縄の星の砂が幾つもあった。かわいい小瓶に入れられてかつてはよく販売されていたのである。小柳ルミ子が「星の砂」という歌をうたってヒットして以降かなり流行ったものだ。あちこちで貰ったものだが、先日実家の母に聞いたところ、もう皆どこに行ったか分からない、という。そんなもんだろう。だが僕は、一瓶だけいまだに大切に保存している。それは、自分で採集してきたものである。
 初めて沖縄に行ったのはもうずいぶん前になる。二十歳の頃だ。
 八重山の島々を巡り歩いて、竹富島へ行ったときのこと。ここは星砂の島だと聞いていた。ルミ子ねえさんの歌も流行ってしばらく経った頃。あまりにも美しい竹富のコンドイ浜で泳ぎ、手を砂浜に着いて、掌に付着した砂を眺めてみる。すると、いくつか確かに星の形をした砂があった。これはもともと有孔虫の殻が堆積したものではあるが、そんな即物的なことを思うより青春時代の僕はやはりロマンを感じた。
 掌に付着した幾粒かの星砂を丁寧に包んで持って帰ろうと思ったけれども、隣の西表島にはもっとたくさんの星砂があるよ、と教えてもらい、僕は西表島に渡った。
 そこには、その名もずばり「星砂の浜」という名のビーチがあった。リーフに囲まれたあまりにも美しい海に、僕は砂のことも忘れてゴーグルとシュノーケルでスキンダイビングに熱中してしまったのだけれど、泳ぎ疲れて浜に戻れば、確かにその浜の砂は、竹富島よりも星砂含有量がずっと高かった。これはもしかしたら海中はもっと多いのではないかと思い当たり、僕は潜ってフィルムケースにひとすくいの砂を採った。細かく見るまでもなく、星砂が相当量含まれていることがわかった。
 旅を終えて帰宅し、その砂を真水で洗って乾かし、丁寧に選り分けると、ほぼ半分が星砂だった。少し洒落た小瓶に移し変え、今も大切に所持している。それを見ると、あの時の若かった自分が思い出される。焼け付く太陽。どこまでも見通せるかと思われた透明度の高い海。きらびやかな珊瑚。美しい熱帯魚の群れ。疲れを知らなかった自分。同宿した全国から集まっていた旅人との交歓。そこで友人になった同年齢の女性の、眩し過ぎる水着姿に鼓動の高鳴りを覚えたこと。この星砂を見れば、全てのことが一瞬にしてフラッシュバックし甦る。土産物の星砂と見た目は同じではあるのだが、追憶が詰まったものはまた違うのだ。これは、コレクションとして処分など出来ない。
 今は、あの西表の星砂の浜はもう採集禁止となったらしい。乱獲が原因だそうな。業者がトラックで積んでいくのとは規模が違うけれども、その乱獲の一端を担ったことは申し訳ないと思う。でも、いつまでも大切にするから。もう四半世紀ほど前の話である。

 コレクションは、つまり蒐集ということで、星砂なんかは単発であるからコレクションとは言わないかもしれない。
 でも、キーホルダーで懲りている僕は、もうかさばるものはあまり集めたくないのである。特に昔は長旅が多かったので、荷物が増えることに閉口してしまうのでなるべく買い物はしなかった(金銭的余裕がなかったということもある)。
 それでもかつては、地方紙なんてのはよく持ち帰っていた。珍しいのでつい、なんてことである。北は宗谷新報から南は八重山毎日新聞、八重山日報まで。でも、こういうのってキリがないし、マイナー紙だけ集めようと思ってもどこまでがマイナーなのかもわからない。福島民友新聞はなかなかこちらでは目に触れないけど河北新報はメジャー紙なのか(どちらも関西人には珍しい)。また、特定の政治団体が発行しているものも多いので、もうややこしくなって止めてしまった。
 でも、わざわざ買うんじゃなくてなんとなしに持ち帰り集まってしまうものってあるようで。
 駅弁の包み紙なんてのはそうだろう。つい持って帰った(畳めばかさばらないため)のが今では結構な量になっている。この世界はコレクターが凄く自慢できる量ではもちろんないが、もはや捨てられない。いずれ駅弁の話はまた書いてみたいと思うのでこれ以上は記さないが。ただ、あくまでも旅行の記念であるので、デパートの駅弁大会などには行かない(行っても蒐集に加えない)。
 その他に集まってしまうものは、入場券の半券や切符の類である。
 観光地の記念館なり施設の入場券は、捨ててしまう人が大半だろうが、案外記念になる。日付も入っていたりして判りやすいし薄いものなので残しやすい。ただ整理はしていない。きちんとアルバムに貼ったりファイリングしたりしている人がよく居るが、偉いなと思う。いずれちゃんと整理しよう(いつもの台詞)。
 鉄道の切符も記念になるものだ。だが、基本的に列車に乗ったら最後は回収されてしまうものなので、様々に工夫して隠匿する(悪用はしていない)。昔使った周遊券などはまだ手元に残っている。下車印をわざわざ押してもらったりして、あちこちの駅名で埋まった切符には思い出が残る。
 しかし、周遊券も廃止され、更に今はほとんどの切符が機械打ち出しとなり、時間が経てばプリントされた記載事項は消えてしまう。これではコレクションにならない。そうして、切符を残しておく趣味は自然消滅してしまった。硬券の時代が懐かしい。

 硬券といえば、入場券やそれに類した切符もよく昔は蒐集していた。鉄道マニアではないので、難読地名や面白いものに限ったことだが。土産にも出来るが(受験生に「学」駅の入場券など)、以前髪の不自由な人に増毛駅の入場券を差し上げて怒られてからは控えるようにしている。
 最もポピュラーなものと言えば、北海道広尾線の「愛国→幸福」の切符だろう。これは現在でも土産物として販売しているらしいのでつまらない話なのだが、当時は、1987年に広尾線が廃線になると聞き、もう買えなくなると思って、この地を丁度訪れた際に5枚購入した。5枚でも、当時は貧乏旅行だったので大した出費だったことを憶えている。
 このうち1枚は自分で保存。あとの4枚は誰かにプレゼントしようと思っていた。しかしその時は、もう手に入らないものだと思っていたので、バラ撒かず大切な人にあげようとそのときは取り措いた。
 以来、この人に、と思い込んだ女性に渡していったのだが、残念ながらさほど効果はなかったようだ。別れる時に返せとも言えず、1枚また1枚と切符は減って残り1枚になってしまった。これは自分用だからもう誰にもあげない。
 と思っていたら、ある女友達と呑んでいる時にうっかりそんな話をしてしまい、欲しいと言われて後にも引けず、呑んだ勢いでプレゼントしてしまった。あーあ。これじゃ僕にはもう幸福は来ないよ。後から惜しい事をしたなぁと後悔したものである。
 結局その女友達と僕は数年後に結婚することになったので、まあ最後の1枚を取られたとしても結果的には良かったことになるのだが、その切符を妻はまだ所持しているのかどうかは、あれからずいぶんと時間が過ぎたのに確認していない。おそらく無くしちゃったんじゃないの? まあいいけど。

 コレクションの話、次回に続く。

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4 コメント

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ボーダーライン (アラレ)
2008-06-25 00:11:11
コレクションのボーダーラインは思い入れの強さなのかもしれませんね。

デジカメを購入し、動画のおもちゃ(笑)を購入し、MDを購入し…たくさんの画像や動画ファイルとMDの数々
形にならないデジタルのコレクションもまた…整理に困るものです。最近は開き直って『老後の楽しみ』にすると宣言してますが。

物より思い出…

でもその思い出を思い起こす品は
やはり捨てられないものです。

整理整頓が得意な人から見たら
単にだらしなく見えるんだろうなぁ。
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思ひで (よぴち)
2008-06-25 08:46:42
凛太郎さん
身勝手な私は、人の旅の思い出は全く要らない人です(笑)。でも食べ物には異常な執着があるので、もしお土産を買ってきてくれるなら、食べ物がいいと思ってしまう。でも、それも、出来たら、私がお金を出して買い取りたいと思う。なぜなら、自分が旅に出た時に、他人へのお土産で煩わしい思いをしたくないので。
でも、自分の旅の思い出は、何か残したくなりますね。モノに頼らなくても心の中に残すべきでしょうに、やっぱり自分の記憶力に自信がないせいか、一応、形のあるものを残したくなる。
整理下手な私は、うまく整理できないことが目に見えているので、写真、切符、入場券の類が多いです。やる気があれば、それらをデジタル化してデータとして残すこともある。どこで何を、いくらで食べたかメモってたり(やっぱり食い気かい!)。
みうらじゅんさん、奥さまに嫌がられてるって著書に書かれてましたね。ヘンなもの収集で。他人だから面白く読んだけど、確かに同居してたら迷惑かも(笑)。
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>アラレさん (凛太郎)
2008-06-25 23:49:53
ボーダーラインは思い入れの強さ。確かにそうかもしれませんね。本物のコレクターになると値打ちがそれを上回っちゃうんでしょうけれども、僕などはもちろんそんなレベルじゃないです(笑)。
ここじゃ旅行に限って話を進めますんでね。やはり「思い」が重要になる。お金じゃ買えないもんですね。

今回は詳しくは書きませんでしたけど、結局写真かそれに連なるものが最も残しておきたいのは確か。僕はあまりデジタルのものは無いんですけど(←アナログ人間^^;)、火事の時はやっぱりフィルムをまず持ち出そうとするんでしょうねえ。
さて、自戒も含めて申し上げますが「老後の楽しみ」というのは絶対に無理です。わははは。
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>よぴちさん (凛太郎)
2008-06-25 23:51:08
ホント、人の旅の思い出なんかは要りませんよねぇ(笑)。僕は幼年期にダダをこねてキーホルダーが集まっちゃった前科がありますんで強くは言えないのですけど(汗)。
「でも食べ物には異常な執着がある」これには笑わせていただきました(笑)。やっぱり根本は食い物だぁ~。もしも土産が必要な際はこれに限りますよねー。

世の中には、旅行に行くことの楽しみの大半は人に土産を買うことだ、なんて方も確かにいらっしゃいまして、それはそれで有難いとも言えますが、お返しとか考えると実に面倒臭い。「お願いですからお気遣いなく」といつも申しますけどこれは本音なんです。土産なんて習慣は無くなって欲しいなぁ。あげる側も貰う側も結構プレッシャーでね。ズボラな僕はそんなとこに神経を使いたくない。

しかし土産と蒐集癖はまた別の問題で。
でね、僕はみうらじゅん氏のやっていることってよく理解できたりするんですよ(笑)。思考形態にしばしば協調してしまう。シンパシー感じますね。やくみつる氏もそうですけど。あれは本当に自分だけにしか分からない楽しみですね(汗)。
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