凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

旅の所持品 1

2010年10月23日 | 旅のアングル
 僕は、旅行に出る時の荷造りが速い。一泊二日なら5分とかからない。
 これは、悩まないからだろうと思う。経験の成せる技であって、必要なものと不必要なものが瞬時に分かるからだろう。旅行の形態(公共交通機関なのか自家用車なのか)、また日程の長短、季節などの違いを念頭において、頭の中にリストが既に出来ている。そしてそれらが家の中のどこにしまってあるのか知っている(自分の家だから当然だが)。
 なので、朝5時半の列車で旅立つことになっているのに、前夜深酒をして起きたのは5時。しかも全く旅の準備が出来ていない。でも、短い旅程である場合は、二日酔いであっても3分くらいで荷造りが完成する。顔を洗って身支度をして、余裕で起床15分後には戸締りを確認してガスの元栓を締めて出て行く。
 以上のことは呑み過ぎの結果であるので決して自慢は出来ない。スピードアップしようと思えば出来る、というだけの話である。
 本当は、旅の準備そして荷造りも旅行の一部であるから、じっくり時間をかけた方が楽しい。
 今でも、旅行に出る前の「下調べ」の時間は実に楽しい。僕は史跡を歩くのが好きなので、行く先の歴史関係書籍を丁寧に読んだり、メモを作成したりするのは悦楽といっていいひとときである。だが残念ながら、荷造りにおいてはいくら時間をかけようと思ってもそうはかからない。
 これも時間をかけてあれこれ悩んだほうが本当は楽しいのだけれどもな。旅擦れ、というやつか。以前、海外旅行に初めて出たときには、何を持って行ったらいいのか全然わからず、あれこれ考えてリストを作ったものだ。それもまた思い出になっている。そういう気分を味わえないのはちょっと、惜しい。
 
 旅に何を持って行けばいいか。これは、人それぞれである。「好きにすればいい」というのが結論。
 大昔の話。旅行でユースホステル等に泊まると、人の荷物を勝手に点検し「ああこんな荷物要らない」なぞとほざく不逞の輩がよく居たものだ。全くのところ大きなお世話である。何を持って来ようとその人の自由。口出しなどもってのほかである。旅の中途半端な自称ベテランに多い発言で、自己反省を含めてではあるが、こんな不快なマネは止めるべき。
 荷物が少ないと確かに持ち運びが楽だが、必要なものは人それぞれ違う。
 これも昔の話だが、泊まり合わせた旅人で、何とアイロン台持参の人がいた。さすがにそれは要らないだろうと思ったが、聞いてみると彼女は「アイロンをかけてると何故か落ち着く」と言う。そして自前のものでないとどうしてもダメだと言う。なるほど。これも彼女にとっての旅の必需品なのか。
 コンパクトなものとはいえ、アイロンとアイロン台をアタックザックに詰め込み、汗をかいて列車に乗り込むその人を見て、何故か爽快感を覚えた。旅は自由でないといけない。

 海外旅行であれば、絶対に持っていかなくてはいけないものがあるので、旅の所持品リストというものは必要かもしれない。パスポート、航空券、旅行傷害保険証、各種カード、トラベラーズチェックから梅干に至るまで。ツアーに乗っかった大名旅行とバックパッカーでは異なるだろうが。
 日本を旅すること限定であれば、そんな必需品は数少ない。
 よく「財布さえ持っていけば大丈夫」という台詞がある。それは確かかもしれない。ただ、もちろん重要なのは財布ではなく、その中身である。お金やカードが入っていないと何にもならない(当然だが)。
 絶対に必要なものは、現金orカード。それは確かだが、それ以外にも持たなくてはいけないものは、ある。
 切符だって既に入手してあるのなら持って行かなくては。金で解決できるがそんなのもったいないし、指定券は解決できない。そして、金で解決できないもの。保険証などはそうだろう。昔は健康保険証は世帯でひとつであったためコピーしたりしたものだが、今は個人カードになって助かる。運転免許証もあれば持って出たいもの。さらに、常備薬。病気を抱えている人は、処方された薬でないとダメで、これは他で入手するのは困難である。
 どうしても必要なものは、以上かもしれない。もうひとつ、今の時代は携帯電話も必需品といえば必需品である。昔はこんなの無かったのだけれど。
 それより他は、全てバリエーションとなる。時計だって僕は持たない

 公共交通機関を利用しての旅行の場合。旅の荷物は、少ないほうが有難い。いくら「自由にすればいいさ」とは言っても、重い荷物は疲れる。僕個人としては、出来るだけ減らしたい。
 一泊の簡単な旅であれば、着替え(Tシャツとパンツ)、ハンドタオル一枚、歯ブラシと剃刀、ボールペン、カメラ、携帯電話、財布(切符や各種カード証明書入り)。このくらいか。ホテル泊なら歯ブラシなどいらない。カメラもケータイに付いているので、持たないこともある。筆記具も、ケータイをメモ替わりにする人には必要ないかもしれない。僕はボールペン一本は無いと不安。でもメモ帳などは持たず、適当に箸袋などに書いている。
 着替えは基本的に下着だけである。夏であれば着る物は他にズボンだけ。ズボンなんてGパンその他であるから、2日とも同じものを履いている。さらに足元はたいていサンダルなので、靴を履いて出る場合はここに靴下の替えが加わる。
 こういうのは男の特権かもしれない、とは思う。女性はメイク道具なども加わるのだろう。そういうものは、少なくとも僕にはいらない。あとは、天気予報により傘が必要になる場合があるだろうか。晴れそうなら持っていかない。
 これくらいだと、鞄も大きいのは必要ない。ウエストポーチに入ってしまう。実質、手ぶらみたいなものだ。夏の旅は、こんなものである。荷物がないと本当に楽だ。
 冬であれば多少増えるかと思えばそうでもない。セーターを着ても1日じゃ着替えない。二日間同じファッションでは困ると言う方もいらっしゃるだろうけれども、僕はそうでもない。なので、やはりウエストポーチで事足りる。
 問題は、ちょっと大きめのウエストポーチというものを腰につけて歩いている人なんて今はいないので格好悪い、というところか。また流行しないかな(無理か)。なので現在のところ「旅の恥」ということで掻き捨てている。

 以上は短い旅の話だが、長くなってもあまり変わらない。着替えは、その日数分(あまり長くなると洗濯を挟む)が増えるだけ。したがって1週間の旅でも、デイパックで足りる。男で良かったなと思う(男でも毎日同じコートを着ていることに抵抗のある人はいるでしょうが)。
 列車に乗る時間が長いと、音源と書籍が欲しくなる。昔はよくウォークマンを持っていた。最近は、あまり音楽を聴かなくなったので持たない。しかし現在は機器の進化で飛躍的に携帯性が上がったので、音源などは全く荷物にならなくなった。iPodなんて昔は想像出来なかったよな。
 夜汽車の友は、僕はやはり書籍。DSなんて持ったこともやったこともない。ただ本は重いので、あくまでも退屈しのぎとして、要らない処分本を選別して持ち、読み終わればサヨナラし、無くなれば補充する。駅前ブックオフって大好き。
 今の世の中、電子書籍ってのもあり端末ひとつで全てまかなえてしまうのかもしれない。目が疲れそうだけれどもなあ。

 昔の旅行には、ここに「ガイドブック」というものが必ず入っていた。何の情報もなく風の吹くまま旅をする山頭火のような究極のやり方もあるだろうけれども、多くは目的があって旅行するわけであり、現地情報は欲しい。また道にも迷いたくない。なので、「観光ガイド」「旅行地図」「時刻表」などがたいていは荷物に入っていたはず。
 しかし、今はモバイル端末があるからそういうものはいらなくなってきてしまった。時代は変わったか。グルメ情報も列車時刻も簡単に出てくる。道に迷ったとしても、自分が今居る位置を地図上で指し示してくれる。
 旅行ってもっと不自由なものだったのだけれどもね。昔は。
 僕は今でもネットは書籍と併用して下調べ段階しか利用しない。旅行に出ればネットとは隔絶してしまう。ホテルに無料端末があっても、使わないなあ。本当は携帯電話だって持ちたくないくらい。ウザい連絡とかが入ってきたら興醒めである。旅行って日常からの乖離ってのも楽しみのひとつだったはずだから。
 と、格好つけてみる。本当は携帯などの端末をどう有効活用すればいいのかわからないだけである。

 じゃあガイドブック等を持ち歩いているのか、と言われれば、それは持っていない。重いから。
 あくまでも僕の場合だが、さすがに時刻表は持参しない。
 昔、初めて周遊券を持って旅行したときには、ワクワクしつつ大部の時刻表を新調して荷物に入れた。もちろんそれは役に立ったが、重いのでもう持たなくなった。次回は、旅する当該地域を切り取って持参。北海道に行くときは「道内時刻表」を函館で買うが(これは薄いので。廃線の嵐の北海道でまだ道内時刻表はあるのかなー)、それ以外は切り取りやコピーで済ませるようになった。
 今は、堕落したものである。乗るべき列車の時間は事前計画の段階でチラシ裏にメモしておく。途中予定が変わったら駅で時刻表を見る。その程度でなんとかなっている。今は別に周遊券持って1ヶ月も旅行するわけじゃなしね。
 ガイドブックも、最近は細かな旅行が多いので一般的なものではあまり役に立たなくなった。マニアックな史跡等は市販ガイドブックではなかなか対応していない。ただ、地図は欲しい。なので自宅で地図をプリントアウトして必要事項を書き込んだものを持参する。見終われば処分していく。観光地であれば、観光案内所に現地地図があるので、それを貰って動く。今までに不自由したことは、ほぼない。
 こういうアナクロなやり方だと、小型のコンパスがあると便利。財布に入るくらいのものを持っているのでそれをよく使う。知らない街は時として方向がわからなくなるもの。

 ちょっと話はずれるが、今ガイドブックの市場ってどうなっているのかなと思う。これだけウェブに情報が溢れると、もはやガイドブックなど必要がなくなってしまうのではないか。
 昔、アンノン族という人たちがいたと聞く。女性誌an・anとnon-noを片手に、そこに特集された地域をめぐる人たち。そのアンノン族が旅を変えた、とも。それまで旅行と言えば日光や京都奈良、また熱海や伊豆や南紀白浜だったものが、飛騨高山や倉敷、津和野へと移っていったという。雑誌にはそれだけの力があったのか。これら雑誌は調べると'70年くらいの創刊だから、当時20歳くらいの人は今…なるほどあの世代はアンノン族だったのか。
 僕らの世代にはそれほど影響力のあるメディアはなく、選択の時代に入っていたと思う。ムックが登場し定着。ガイドブックでいえば「るるぶ」が各地を網羅していた。
 アンノン族とは比較にならないほどマイナーな流行だが、るるぶを抱えてあちこち歩いている人を「るるばー」と呼んでいた記憶がある。揶揄もそこには入っていたかもしれないな。自戒をこめて書いておく。傾向として「るるぶ」はグルメ情報が充実、ライバルの「まっぷる」は地図や駐車場が詳しい。
 ガイドブック類も買わなくなって久しいが、更新速度があり口コミ情報であるウェブに対抗していくのは難しいだろうと思う。
 
 こんな感じで僕は気軽に出歩いているのだが、交通手段が自家用車になると、かなり様相が変わってくる。積める物は何でも積んでいけばいいのだから。そんな話を、次回。

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