凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

旅先でシャッターを

2009年11月01日 | 旅のアングル
 旅に出るときには、やはりカメラが欲しい。
 よく通人は「カメラなど持っていると旅の印象が薄れる。瞳に焼き付けるんだ」などと言うが、そんな達人の真似など出来ないし、またする必要もない。記録としても記念としてもまたアートとしても、カメラは旅に必携だと思われる。
 僕はもちろん通人ではないが、時々カメラを持たずに旅行に出たことがあった。面倒だし荷物になるわい、と思ってのことだが、必ず後悔した。旅行というものは、旅に出ている時間だけが楽しいのではない。まず計画を立ててワクワクし、そして実際に当地へ行って楽しみ、後でその思い出を反芻して懐かしむ。旅行はこうして三段階の楽しみがある。その思い出の反芻という作業もまた旅の一部だ。しかし写真が無いと、その後の悦びも半減してしまう。人間の記憶なんてアテにならないもの、ということもある。やはり何にせよカメラはあったほうがいい。

 昔の話をする。
 僕は家族旅行や修学旅行など以外で、友人同士などで旅行を始めたのは高校生くらいの時だが、その時はまだカメラなど所持してはいなかった。もちろん友人の誰かが持っていてそれに頼っていたのだが、大学生になって初めて一人旅をやるようになって、ハタと困ってしまった。カメラはどうしよう。
 僕の父親は実は写真マニアで、若い頃はあちこちで入選経験を持ち、時として自ら現像もしていた。当然カメラは家にかなり揃っていたのだが、全て上等の機器であり、僕のように自転車で旅行をしようなどという危なっかしい男には絶対に貸してはくれなかった。まだ廉価のレンズ付きフィルム(写ルンです等)など市販されていない時代。困った僕は叔父にその話を言うと、それじゃ、ということでひとつカメラを僕にくれた。何かの景品でもらったのだが使っていないから、とのことだったが、実に有難かった。僕はそのカメラを持って旅に出た。
 これはいわゆる「ポケットカメラ」というやつである。もう既に所持していないし、どのように説明していいのかもわからないが、樹脂製で軽く横長で平たく、カートリッジ式フィルムを使用する。もうこんなもの生産していないだろう。ピントも何もない。フィルムも実に小さく、粒子が粗い。簡単に言えば、おもちゃだった。
 今にして思えば、こんな安直かつ粗悪な(そう言っては申し訳ないが)カメラで北海道に行ったのはもったいなかったとも思う。しかし当時の僕は、雄大な風景を撮りたいとかそんなことは全く考えてはおらず、ただ記録を残しておきたいだけであったからそれでも良かった。そう、カメラの目的は正しく記録であって、自転車で北海道へと向かう、その証拠写真を残したいだけだった。
 僕はそれを持って旅に出た。まず自転車の進路を北にとる。京都市内から大原を抜けて滋賀県へ。国道の脇に立つ県境表示。その標識に自転車をもたれさせてパチリ。さらに琵琶湖西岸を北上し福井県境。そこでもパチリ。まさに記録であり、ここまで走ったぞという証拠写真である。そうして県境や大きな川、駅舎などの前で写真を撮り続け、最終的に北海道最北端の宗谷岬の前でパチリ。この時はさすがに自転車だけでなく自分も入りたくて、「すいませんシャッターお願いできますか?」と人に頼んだ。
 帰ってきて現像すると、手ブレなのかなんだかよく分からないがボケボケの写真が多かった。これは今でも大切な宝物である。だが、やはりもう少しいいカメラが欲しいと思ったのも確かである。

 また旅行シーズンがやってきた。僕はカメラを何とか手に入れた。小さいコンパクトカメラではあったが、例のポケットカメラよりはずいぶんマシである。それに、普通のフィルムが装着できる。あのポケットカメラ用のカートリッジ式フィルムはあまりあちこちに売っていなかったので不自由したのだ。
 このカメラで、学生時代は旅に出るたび写真を撮りまくった。
 旅行先で撮る写真というのは、大別して二種類ある。「記念写真」と「風景写真」である。どっちも同じじゃね、という意見も聞こえてこようが、僕内では一応区別していた。簡単に言えば、記念写真は自分が写りこんでいる写真、対して風景写真は自分はおろか、基本的に人が写っていない写真である。
 風景写真とはまた大層な言い方になってしまったが、そんな絶景ばかり撮影していたわけでもない。前述したように標識や記念碑も多い。また、なんの変哲も無い写真も多く撮った。
 自転車で動いていた頃は、よくチャリンコを被写体にした。疲れたらペダルを止め、まず一休みの口実にパチリ。そうして空を見上げ水を飲み、遥か旅路でいろんなことを想う。例えばサイドバーに添付している小さな画像は、そんな頃の何気ない写真のひとつである。

 記念写真について少し書いてみる。
 基本的に、僕は旅行先に三脚など持って行かない。荷物は極力減らしたいから。したがって、自分が写りこんだ写真というのは、基本的には人にシャッターを押してもらったものということになる。
 北海道から沖縄まで、ずいぶんとあちこちに足を運んだ。当然、名勝や旧跡にも行く。そのたびに「すいません写真お願いできますか…」と頼む。そして見ず知らずの方にカメラを渡してポーズをとる。Vサインなんかしたりして。
 そうして撮られた写真を後から見ると、どうも満足のいく写真はなかなか無かった。指が写ったり手ブレだったりするのはまあしょうがないとしても、たいていの方は「僕」を撮ろうとして下さるからだ。結果、熊本城の前で撮れば城が写っていない。坂本龍馬像の前で撮れば龍馬はんの下半身しか写っていない。これは実に残念なことである。
 アングルを指定したりもしてみたが、そんな初めて会った人にいろいろ注文も付けにくい。徐々に僕は、人にカメラを託すのを諦めるようになった。別に僕が写って無くてもいいじゃないか。自分で撮ろう。
 そんなわけで、絶景や記念碑とともに写る自分、というアングルは僕のアルバムの中から消えていった。しかし、記念写真が無くなってしまったわけでもない。それは何かと言えば、集合写真である。

 僕は、基本的には一人旅派である。ことに学生時代を含む独身の頃、つまり旅行をしまくっていた時代はまず一人だった。では何故集合写真が撮られるのか。それは、旅先で友達を作るからである。
 このブログではよく書いていることだが、若い頃の旅行での宿泊先は、野宿や車中泊を除いては多くをユースホステルやその他旅人宿に頼っていた。こういう宿では、必然的に旅行者同士の交流が盛んになる。同じ旅人だもの、すぐに仲間になってしまう。一夜明けて、それぞれの行き先へ散っていくときに「じゃみんなで記念に写真でも撮ろう」ということになる。
 また、それぞれの行き先へ散らない場合も多い。前日夜に話が盛り上がり「じゃみんなで行こうよ」てなことになる。そんなこんなで、つかの間の団体旅行化。それは登山のパーティになったり、おいしいラーメン食べようツアーであったり。必然的に、皆で写真を撮り合う。旅は道連れの楽しいひとときである。
 こうして撮りあった写真。それぞれが自分のカメラを皆に回して撮るので、同じようなアングルの写真を全員が撮っていることになる。にもかかわらず、「帰って現像したら送るから」と約束を交わす。本来その必要はないはずなのだけれど。
 これは一種の約束事であり「言い訳」である。写真を送るためには住所その他を聞いておかなければならない。そして、帰ったら写真を焼き増しし、手紙を添えて郵送する。その手紙を出す口実が写真なのだ。旅を終えた後の交流。いや、まだその旅はそんな交流の中で継続していると言ってもいい。余韻が長い旅は思い出もまた濃いものだ。
 もちろん写真を送った送られただけで終わってしまう場合もある。けれども、これが長い文通のきっかけになったりもする。そうした中から、一生付き合える友人も生まれる。冒頭に旅行の三段階の楽しみ、思い出もまた旅のひとつであると書いたが、そんな付き合いが一生続いたならば、その旅もまたずっと終わらないのと同じであるかもしれない。
 しかし、こういう交流は楽しいけれども、なかなかに大変な場合もある。
 ある夏の北海道。僕は旅で出会った人たちと遊んでばかりいた。宿に連泊し、皆といろんなところで遊ぶ。もちろん楽しすぎるくらい楽しく、そうした中で写真を山ほど撮った。もちろん「帰ったら送るから」と約束をして。
 その旅は約1ヶ月間続いた。家へ帰れば、もう旅の始めの頃に出会った人たちからは既にあの時の写真が送られてきていた。あらら待たせてしまっているな。早く僕も返事を、そして写真を送らなくては。
 だがその作業は、僕を途方に暮れさせることになる。山と溜まったフィルム。これを現像し焼き増して送る。その予算が、旅を終えたばかりで尽きていたのだ。計算すれば、この作業には万という単位の金額が必要となる。僕はまず即金性のあるバイトを探すことから始めなければならなかったのだ。いやはや。
 僕が、その夏の旅で出会った人たちに全て返事を出し終えたのは、もう秋も深まった頃になってしまっていた。手元には、沢山の人から送られてきた手紙と写真たち。同じアングルのものが何枚もある。これは当然なのだが、その一枚一枚の少しづつの違いにもまた思い出がこもる。
 そんな時代もあった。

 今はもう、旅先ですぐ友達を作るような若さもない。ただ、旅に出ては黙々と一人で写真を撮っている。妻が同行していれば妻を被写体にもすることはあるが、主として人を撮らなくなった。本当にもう自分の写真などいらない。せっかくの風景の調和を乱すだけのように思える。おっさんになっちゃったもんなあ。
 所持するカメラも変遷した。社会人になってしばらくして一眼レフをついに手に入れ、かなり凝っていた時代もある。いいカメラを持つと自分でも信じられないくらいの神業写真を撮ることが出来たりするので、あるときは相当に嵌っていた。太陽待ち、人払い待ちなど当たり前。長い長い時間をかけてシャッターチャンスを狙う。そして、引き伸ばしたくなるようないい写真も数多く撮った(実際何枚も引き伸ばしてしまった)。
 でも、それが故障したときに、僕は修理にも出さずに放置してしまった。もういいか、こういうのは。一眼レフはデカく、付属備品を加えるとカバンの半分を占めてしまう。それに、あんまり写真の才能もないし。やっぱり小さいのを持とう。そうして、また小型カメラに逆戻りした。僕にとって写真はアートではなく思い出。
 そんな感じで、写真との付き合いが今も続いている。

 時代は変わった。世の中はデジカメが完全に主流。老若男女みなカメラ付きケータイでスナップを撮る。もうじゃんじゃん撮る。つまんなかったら消去すればいいんだもん。
 そして今は空前の、人が写真を撮る時代。ケータイに付属しているから、いつでもどこでもシャッターを切る。デジカメもまた小型のものが多い。昔は、カメラなんか旅行か、せいぜい行事の時にしか持たなかったもんだ。だが今は違う。そもそも、もう写真とは言わない。「画像」だ。
 そうして画像を撮る。もはや旅先に限らずいつでもどこでも。撮ったら「郵送してあげる」ではなく「転送してあげる」だろう。その場で赤外線転送。もしくは「アドレス教えて」で済む。ブログにアップしておくから勝手に持ってって、とまで言う人も。住所を教えあい、手紙を書き、現像焼き増しと郵送代を稼ぐためにバイトまでした時代を思えば彼岸のことのようだ。若い人にはこんな話は理解してもらえないかもしれない。だが、あれも時代の味であり旅の過程のひとつだった。
 今は、僕もデジカメとフィルムカメラを併用している。デジカメは確かに便利だ。一発勝負の緊張感もなく、失敗したら即撮り直しが利く。だがまだフィルムカメラを手放せない。なんでかなと思う。ひとつ言えるのは、これもまた「旅の気分」の小道具だということか。 

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