凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

駅弁の話

2015年01月31日 | 旅のアングル
 最近、駅弁を食べる機会が何度かあった。この1ヶ月で3回。
 これを多いと見るか少ないと見るかは、マニアのいる世界でもあり何とも言えないが、僕は昨年末まで、たぶん一年以上駅弁を食べていなかった。ずいぶんご無沙汰してしまったものだと思う。
 別に駅弁離れ、というつもりもなくただ機会がなかっただけだと一応は考えてみる。そうだよなあ。別に駅弁が嫌いになったわけでもなし。でも思い返してみると、ここ14~5年は昔と比べてかなり利用回数が減ったように思われる。どうしてかなあ。

 まずは旅に出ることが少なくなったというのが第一義的にあるのはもちろんだと思うけれども、他にもいくつか要因があるように思う。
 ひとつは、僕が新幹線・特急列車に乗る機会を減らしているということ。旅行に行くときの交通機関の選択としてどんどん車のパーセンテージが上がっていることに加え、遊びであまり速い列車に乗らなくなっている。以前は「時間を金で買う」という意識が強かったが、移動も旅行の楽しみであるに間違いは無く、今はよく普通・快速列車に乗る。新幹線というのは、車窓風景が均質的なので飽きる。あれは出張用だ。在来線のほうが楽しい。
 ところが鈍行列車の車内というのは、今は食事をする場所ではなくなっている。
 田舎の路線でも、座席はベンチシートが増えた。あの席では弁当などは実に食べにくい。また快速列車は前向き座席が多いが、近郊線なので混雑する。立っている人からじろじろ見られるのもまた食事に相応しくない。
 また他に、食事の選択肢が増えたということ。
 それでも特急に乗る機会もあるにはあって、特急列車は座席にテーブルもついていて弁当を食べるに不自由はないが、乗車するのはターミナル駅から、ということが多く、食事をテイクアウトするのに駅弁だけではなくデパ地下やエキナカなど目移りして、そっちのほうがコスパが良いことが大半なので困ってしまう。昔は長い汽車旅だと、駅弁か立ち食いそばくらいしか選択肢がなかったものだが。

 さらに、昔と比べて駅弁が手軽に手に入りやす過ぎる、ということがある。
 昔からデパートの催事で「駅弁大会」というものは盛んにあって、現地に行かなくても手に入ったものだったが、それがさらに昨今はスーパーなどでも企画されるようになった。僕が住む徒歩圏内のスーパーでも、年に何度も各地方の名物駅弁を特集して販売している。そうなると、逆に買わなくなるのである。 
 この心理を説明するのは難しい。いつでも手に入ると思うと購買意欲が失せるという心理を。
 例えば別のことで書くと、僕は名古屋に多い「コメダ珈琲店」という喫茶店の「シロノワール」という大きなデニッシュパンにソフトクリームを乗っけてシロップをかけて食うというデザートが好きで、名古屋に昔住んでいたときにハマり、その後名古屋を離れて後も愛知県に行くことがあれば必ず探して食べていた。ところが、そのコメダ珈琲店が全国チェーン展開を始め、とうとう僕の最寄駅のそば、つまり徒歩5分くらいのところにも開店してしまった。そうなると、もう行かなくなるのである。東海地方に行っても「うちの近所で食べられるものを何もここでわざわざ」と思い、また地元の店にも「また今度ね」と思って行かない。結局、地元に店が開店してから一度もシロノワールを食べていない。
 つまるところ今までも「せっかくここまで来たんだから食べよう」という心理が働いていたのだろう。駅弁についても同じ。例えば鳥取に行けば「元祖かに寿しを食べなくちゃ」とかつてはやはり思ったが、今はスーパーの広告に載っていると、鳥取で食べなくてもいいかと思い、また駅弁をスーパーで買わなくてもいいだろう、とも思ってしまう。

 駅弁を食べていない言い訳に字数を使いすぎた。思い出話を書く。
 初めて駅弁を食べたのはいつだったかということを思い返すと、小学校一年のときに家族旅行で南紀に海水浴へ行ったときの帰りだった。今にして思えばおそらく、田辺駅で購入したのだろう。普通の幕の内弁当だったと記憶している。
 これがうまかった。
 家族で列車に長時間乗るときは、たいてい母親は弁当を作る。この旅行も、行きはおかんが作ったおにぎりや卵焼きを車内で食べたのだろう。だが帰りはそういうわけにはいかない。で、駅弁の登場となったのだが、とにかく子供にはモノ珍しい。それに僕は幼少時からネリモノが大好きで、そこに入っていたカマボコなどがもう嬉しくてしかたがなかった。
 しかし、その後は長らく駅弁を食べる機会がなかった。食べたかったのだけれど。

 子供の頃、うちの書棚に保育社のカラーブックスシリーズの一冊である「駅弁旅行」という本があった。これはカラーブックスだから一種の駅弁の写真集である。
 これを、僕は何度も何度も、それこそ舐めるように読み、眺めた。そして憧れた。うまそうだな。石井出雄氏の文章も魅力的で、この本はいま僕の手元にはないのだが(既に絶版であるようで、実家にはまだあるのではないかと思うが)、その記述のひとつひとつまで思い出すことが出来る。
 ちょっと検索してみるとどうも昭和42年発行で、改訂版もその後出たようだが、僕が見ていたのは42年度版。なので、今はもう無い弁当も多いだろう。したがって、その本に載っていた駅弁で今も販売しているものは、なんせ50年ほども前からずっとロングセラーになっているものだから、もう駅弁界のレジェンドと言ってもいいだろう。
 厚岸の「かきめし」。森の「いかめし」。長万部の「かにめし」「もりそば弁当」。八戸の「小唄寿司」。大館の「鶏めし」。高崎の「鳥めし弁当」「だるま弁当」。横川の「峠の釜めし」。千葉の「やきはま弁當」。横浜の「シウマイ弁当」。大船の「鰺の押寿司」「サンドイッチ」。静岡の「鯛めし」。富山の「ますのすし」。神戸の「肉めし」。岡山の「祭すし」。三原の「たこめし」。広島の「しゃもじかきめし」。宮島口の「あなごめし」。鳥取の「かに寿し」。松山の「醤油めし」。折尾の「かしわめし」。人吉の「鮎ずし」。適当に挙げているが、これらは当時、本当に憧憬の弁当だった。
 大人になったら食べよう。そう思い続けていた。

 だが、駅弁というものは、高い。現在、駅弁の値段は普通に1000円を超えている。もちろん、昔はそんなにはしなかったが、当時の物価と照らし合わせると高価であったことには違いはない。
 駅弁初の「1000円弁当」として「しゃぶしゃぶ弁当松風」が売り出されたことがニュースになったのを今も記憶しているが、それはまだ僕が小学生ではなかったか。つまり40年くらい前に既に1000円超えの弁当が発売されたということは、通常の駅弁すら5~600円はしていたのだろう。そして、その後も値段は上がってゆく。
 大学生から周遊券を使った汽車旅を始めるが、金銭的には切り詰めた旅行であり、とても手が出るものではなかった。当時の日記を見ても駅弁を買った記録がない。ただ逡巡した記憶は、何度もある。
 今ではあまり見かけなくなったが、当時は駅弁はよくホームで「立ち売り」をしていた。首から弁当が入った大きな箱をストラップで吊るし、大きな声で「べんとぉー べんとぉー」と声を出す。立ち売りのおじさんの声はだいたい練れたいい声で、僕は子供の頃よく聴いた、大徳寺の托鉢のお坊さんの声を思い出した。
 その立ち売りのおじさんが北海道の長万部駅で憧れの「かにめし」を担いで売っているのを見た。列車の停車時間に思わず駆け寄ったのだが、その「700円」の値札にどうしても躊躇する。僕はおじさんの前でしばらく立ち尽くしてしまった。
 「買うの? 買わないの?」おじさんは僕に言った。おそらく営業妨害だったのだろう。ごめんなさい。あわてて僕は立ち去った。
 そんな幾度かの記憶がある。
 
 社会人となって、一応フトコロに小銭は持てるようになった。僕は、旅に出るたびに駅弁を求めた。
 ただ、これは僕にとっては一種の「文学散歩」だったような気がする。子供の頃に憧れたレジェンド弁当を食べてみたい。そんな思いが強かった。したがって、食べたら必ず弁当の掛け紙は持って帰る(峠の釜めしは当然ながら容器も持ち帰る)。
 もちろんロングセラーの弁当というものは、うまいから生き残っているのであり、味は当然折り紙つきである。だが、当時は味よりもやはり「経験したい」という思いが強かったと思う。高崎でとりめしを食べたときには大変旨いと思い、もう一度食べたいとは思ったが、次回に機会があったときはやはり「だるま弁当」を買ってしまった。こっちも食べてみたいじゃない。で、包み紙は持ち帰る。コレクター的要素が強くなってきた。
 なので、複数回食べた弁当はそんなに多くない。例外的に金沢の「お贄寿し」と福井の「越前かにめし」はよく食べたが、これには出張がからんでいる。純粋に旅行先で食べたとは言えない。
 また、例えばその頃小淵沢駅で「元気甲斐」という弁当がTVの企画によって売り出され、大変に評判を呼んでいた。とにかくうまいらしい。だが、僕はそういう新しい弁当には一瞥もくれず「高原野菜とカツの弁当」を買った。こっちのほうが歴史があるから。何というか、面倒くさい男だった。もちろん高原野菜カツ弁当もうまかったし、後になって食べた元気甲斐も上等だったが。

 そのうちに、結婚する。妻が僕の駅弁の掛け紙のコレクションを見て「これ何? 」と言った。
 僕がかくかくしかじかと説明すると、僕の趣味にはほぼ興味を示さない妻が、これには乗ってきた。僕の歴史の話などはいつも耳を塞ぐ妻だが、食べ物となると違うらしい。また、妻にも多少の蒐集癖はあり(飽きやすいのだが)、駅のスタンプなども集めている。
 そのため、二人で旅行に出ればそこに「駅弁」を組み込むことが多くなった。
 しかし、これは僕にとっては堕落の一歩だったと思っている。

 僕は、とにかく子供の頃に憧れた、レジェンド級の駅弁を食べたいと思って動いている文学散歩的食べ歩きである。なので、明治時代から続く静岡の鯛めしや大船の鰺の押寿司などは何よりも優先すべき弁当であり、伝統と歴史を重んじている。
 ところが妻はそうではない。何よりも「おいしいかどうか」を重視する(当然だが)。なので、雑誌の特集やTVなどはよくチェックし、評判の駅弁を食べたいと言う。
 僕は新しく発売された「黒田如水弁当(仮)」や「山里のこだわり弁当(仮)」などといったものには全然興味がない。うまいにこしたことはないが、うまい、うまくないは別問題としているので、チョイスに齟齬が生じる。
 そりゃ女房が推薦する弁当はうまいですよ。池田の「十勝牛のワイン漬ステーキ辨當」なんてのはびっくりするくらいうまかったなあ。僕は昭和40年代以前からある弁当を主にターゲットにしているので、こういうのは誘われなければ食べなかったと思う。おそらく僕の食べた中では5本の指に入ると思われ、その点においては妻に感謝なのだが、もうひとつ問題がある。
 このステーキ弁当は、実は車で買いに行っているのである。北海道は池田駅に止まる列車も少なく、完全予約制となっていて途中下車でフラリと買えない(今はどうなのかな…20年くらい前の話)。なので、電話して車でお店に行って、どこかの景色のいい場所で食べた。
 駅弁は、列車で食べてこそ。車窓を見つつ味わうものであると頑固に信じる実に面倒くさい男である。なので、うまかったのは抜群にうまかったが「駅弁を食べた」という気が全くしない。普通にレストランのテイクアウトである。
 妻にとっては、食べてうまくて掛け紙を持ち帰ることが出来ればそれでよいので、その後も車で購入に走ることが多くなった。ことに北海道などは列車の便が悪いので、どうしてもそうなることが多い。
 なんだかなあと思うのである。
 そうしているうちに妻はついに禁断の場所である「デパートの催事」に手を出した。そうなると食べる場所は、我が家の茶の間である。旅情など一切介在しない。
 
 「だってこうでもしないと進まないじゃない」
 「あんた駅弁が全国に何種類あると思てんのや。2000種類できかへんぞ。3000くらいあるかもしれん」
 「えーそんなにあるの」
 「だいたい全部食べようなんてはなから無理な話なんや。新しいもんはどんどん出てくるし。コレクションはいいがコンプリートは一生かかっても無理や」

 妻は、その後憑き物が落ちたように駅弁に興味を失った。飽きたのかもしれない。そういう僕も、レジェンド弁当をある程度食べ終え、徐々にペースが落ちた。そのうちに前述の理由などが重なり、もう駅弁に目の色を変えることはなくなってしまった。
 しかし駅弁というものはなかなか味わい深いものであって、こうしてたまに食べると、旅情とともにいろんなことをまた思い出すのである。

 この話は、最初は「駅弁で呑む」という記事のマクラにするつもりで書き始めたのだが、思わず長くなってしまったのでここまでにする。呑む話はまた次の機会に。
 
 

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2 コメント

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長いブログ(笑) (貫U+1F431)
2015-08-21 23:31:35
拝見しましたU+263A凛ちゃんのこだわりが分かりますU+1F3B5凄いねU+2934
返信する
>貫さん (凛太郎)
2015-12-03 04:49:04
いやべつにこだわりなんてないっす(笑)。
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