凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

俄「雨のマロニエ通り」

2009年10月17日 | 好きな歌・心に残る歌
 秋らしい日々が続いている。近くの高校では学園祭が行われたようだ。通りすがりに見ていると、自分にもあんな時代があったなと懐かしく思う。夢中になっている彼ら彼女らに、今が黄金時代なのだぞと声を大にして伝えてやりたい。悔い無き青春を過ごせよと。
 いきなり年寄り臭い書き出しだが、ある程度年齢を重ねると、可能性というものが徐々に狭められていくことを感じるものなのだ。比べて10代後半なんて年齢の時は、未来は全く見えなかったものの、漠然とでも可能性だけは無限に広がっていくように思えていた。だから、その一瞬一瞬で燃焼できた。
 そんな気持ちだけは、取り戻したいものだと切に思う。

 高校の学園祭など、思い出が甦る人も多いだろう。何と言っても思春期全盛時代である。体育祭や文化祭。仲間意識を育む絶好の機会である。仮装行列や、クラス対抗リレー。いずれもいい思い出になるはずだ。また部活動に賭けていた人も、その発表の場が与えられる。体育系と異なり文化系の人間はインターハイなどもない。外部で成果を示せるチャンスは、合唱部や吹奏楽などごく一部。同好会などの連中はここぞとばかりに自己主張を始める。
 僕が通っていた高校では、この前後にカップルになるやつらが実に多かった。夜祭があったせいだろう。祭りのプログラムもほぼ消化した夕刻、グラウンドの真ん中で盛大に火を焚き、フォークダンスの輪が生まれる。それは、男女の祭典だ。男も女も、好きな人に照れながら告白して輪に加わる。明々と燃える火に照らされた女の子は、それだけでも綺麗に見えるものだ。いつもは内気なヤローどももここでは勇気を振り絞って取り残されないように急ぐ。
 僕はと言えば、ずっとそのファイアーを焚く側の人間だった。何故か義理のようなものもあって、一年の時から学園祭の実行委員となってしまい、二年の時はあろうことか全体の責任者に奉り上げられてしまっていた。何かと忙しい。充実してはいたものの、好きな女の子に告白して甘酸っぱい時間を、なんて思い出はない。もちろんそんな裏方の仕事などをしていなかったら誰かを誘って踊りの輪に入れていたか、は微妙なところではあるのだが。

 高校三年ともなれば、そんな役職を担うこともない。「受験準備」なんていう言葉が耳によく入る頃だ。僕は夏休みの宿題を休みが明けてから必死になるような怠惰な性格であり、まだ秋口にはのほほんとしていたものの、何かと気ぜわしい季節ではあった。
 そしてまた学園祭の季節がやってきた。
 今年は、僕は何もやることがない。ただブラブラと遊んだ。後輩たちが出す模擬店のタコヤキをハフハフと食べ、茶道部の茶室に行って菓子をつまみ無作法に茶を喫し、演劇部の近未来を舞台にした劇を観たり軽音楽部の演奏を聴いていた。つい「今年は幕間が開きすぎるな」などと小姑的発想をしたりして苦笑していた。
 中庭では小さなステージが今年も出来ている。主としてフォーク系のアコースティックな音で勝負する連中が中心になって盛り上がっていた。
 このステージには僕はちょっと思い出がある(→秋の気配)。僕は、その舞台を仕切っていた後輩に「時間が余ったら僕も出してくれよ」などと言っていた。これはもちろん冗談である。プログラム外の出し物など、リハもしていないのにスタッフはやりたくないに決まっている。何をこのおっさんは先輩風を吹かして横暴なことを、と思われてしまうだけだ。
 だが、素人が仕切る舞台にはアクシデントがつき物だ。現に昨年もPAが故障した。その時に僕は友人と場繋ぎでマイクなしの舞台に出たことがある。その時は岡林信康をやった。これは、即興のように見えて実はずっと練習していたのでうまく出来た。
 僕は多分に当時は自意識過剰であり(18歳だもの許して欲しい)、今年もそんなことがあったなら出ちゃおうと思っていたのである。そのため、昨年の友人と受験勉強もせずに3曲ほど練習していた。曲目は、拓郎の「元気です」ふきのとうの「やさしてとして想い出として」そして、”俄”の「雨のマロニエ通り」だった。

 「雨のマロニエ通り」は僕が好きだったのでやろうぜ、と言ったものだが、友人はこの曲を知らなかった。なので「オマエ歌え」と僕に言ってきた。
 僕は歌には本当に自信がない。悪声の部類だろう。友人は上手い。なので抵抗したのだが、じゃ別の曲にしようとすぐに言うので、しょうがないから歌うことにした。何、これはあくまで「仮」に考えているだけで実際に皆の前で歌うとは限らないのだから。まあいいか。

  降り続く雨の足音に 愛のメロディーのせて
  遠くに住んでるあの人に 伝えられるならば

 と言って、僕も「俄(にわか)」というフォークグループをよく知っているわけでもない。というか、全然知らない。何かのアンソロジーに入っていたのをたまたま聴いて、その叙情性溢れる世界を僕が好きになっただけであり、詳しいことは全く知らずに来た。
 有難いことに今はWebでどなたかが情報を発信してくれている。検索してみると、こちらの方のブログによれば、1975年の曲らしい。確かに、大ヒットとまではいかなかった曲なのだろうか。知名度が低いかもしれない。
 歌詞に特にメッセージ性が強いわけでもなく、ただただ優しく流れていってしまう。ではあるが、何故かは説明できないが僕の琴線には触れていた。なので、以前からギターは何とかコピーしていた。これは、ちゃんとコピーして弾けば実に綺麗に聴こえる。
 
  雨に煙るマロニエも 君の思い出とともに
  僕の心の中では 今も生き続ける

 マロニエの木というものさえ、具体的にどんな木か知らなかった。何となしにパリなどの外国にある木だろうと思っていた。花や木々に疎いとこういうところで弊害が出る。果たして僕の住む街にもマロニエはあったのだろうか。そんなことを書いていたらマロニエのこみち…さんにありますよと怒られてしまうが、僕の住んでいた近所にあったかどうかは思い出せない。自分がいかに潤いのない無粋な人間であるかが如実に分かる。そうかトチの木の仲間か。栃餅はよく食べたな。その程度である。

 結局、それらの歌は披露する機会は無かった。ステージではやはりアクシデントはあったようなのだが、もちろん後輩たちは自分たちの力でそれを乗り切っていた。当たり前だわな。古株のおっさんたちにしゃしゃり出て欲しくはそりゃないだろう。

 徐々に祭も終わりに近づき、夕暮れが迫ってきた。学校の前には、マロニエではないもののイチョウ並木はある。秋には見事に黄金色に染まる。このイチョウはある瞬間にはおそらく京都一美しく染まると僕たちは信じていた。この年も、見るも鮮やかに輝いていた。その並木を横目に、グラウンドへと移動した。そろそろ火が焚かれ始める頃だ。
 そして、今年もフォークダンスの輪が広がっていく。僕は、その踊りの輪を仲間と遠巻きに見ていた。周りには、昨年一緒に苦労した元実行委員の面々。今年は何もすることがないな。去年はスピーカーの音が止まって罵声をもらったよな。ファイヤーで燃やす木を調達したのはお前だったっけ。あれ手続きが面倒なんだよな。
 一年前の話なのにもう既に懐かしい。僕らは雑談に興じていた。

 その時、その仲間の一人が僕に唐突に言った。「ね、踊らへん?」と。
 僕はキョトンとした顔をしてしまったのだろう。その人は、いわゆる「学級委員長タイプ」の女性でとてもそんなことを言い出す風には見えなかったのだから。
 もちろん心の準備など出来ていない。僕は内心狼狽していたのだが、周りが冷やかすので、それから逃げる意味もあり彼女と踊りの輪に加わった。
 
 その先のことは、恥ずかしながらあまり記憶に無い。おそらく緊張してしまったのだろう。いつもはおしゃべりな僕が無口になってしまったことはなんとなしに憶えている。何をしゃべっていいのか分からなかったのだろう。今の僕であれば…と悔やむが、時間が遡れる訳がない。
 やがて日もとっぷりと暮れ、夜祭も散会の時間となった。僕たちはそのまま別々に帰宅してしまったようだ。今であれば、せめて喫茶店くらいは誘うのにな。全く若い頃は思慮が足らん。そのずるがしこくないところが青春ではあるのだが。
 歌う機会の無かった「雨のマロニエ通り」とあの時の心臓の鼓動が妙にリンクして僕の片隅に今も残っている。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そして、今夜も旅の空 | トップ | 旅先でシャッターを »

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おじゃま致します♪ (マロニエのこみち・・・。)
2009-10-19 11:06:42
こんにちは♪
いえいえ・・怒ったりしませんよ(優しいですから・笑)
>今が黄金時代なのだぞと声を大にして伝えてやりたい。悔い無き青春を過ごせよと。
本当に、その通りです
私も若人を見ると、同じ思いで眺めています
(歳ですね~^^;)
それにしても、この歌の選曲は超レアですね(笑
私は残念ながら、全く存じませんでした
でも、曲調、特に真ん中辺りの演奏部分は、茶木みやこさんの【あざみの如く棘あれば】なども髣髴とさせ、
そして3人男性グループというのは当時の流行だったのでしょうか
私としては、一番好きだったGAROを思い出してしまいますが、70年代の匂いが濃厚で、マニアックでたまりません
思い切りツボな記事と、リンクをありがとうございました♪
返信する
>マロニエのこみち…。さん (凛太郎)
2009-10-19 21:59:40
どうも唐突に失礼しました。「マロニエの木」ってホントどんな木かよくわかんなくて(汗)。

僕も「雨のマロニエ通り」をリアルタイムで知っているわけではなく、後追いなんですけどね。でも、いい曲ですよね。おっしゃる通り曲調とアレンジに、実に時代の空気が沸々と甦ってくるような。
「あざみの如く棘あれば」か。なるほど。僕は茶木みやこさんは「あざみの~」と「まぼろしの人」しか知らないのですが(金田一ドラマは観ていたので^^;)、雰囲気がありますねー。
編曲でしょうか。この時代の匂いというものは。ガロの曲はどれも非常に完成度が高いと思いますが、その流れる雰囲気には何か共通項があるような気も。あとは「さよならをするために」などのビリー・バンバンとかね。少し歌謡曲っぽい部分もあり、妙に懐かしく思えるサウンドですよね。
返信する
雨のマロニエ通り (玉川 秋雄)
2023-02-06 21:38:06
長野市徳間の玉川秋雄と申します。須坂市出身です。

「グラウンドの真ん中で盛大に火を焚き、フォークダンスの輪が生まれる。」と書かれていますが、
私が通学していた長野県立須坂高等学校も同じでした。学園祭の名称は「りんどう(龍胆)祭」と言います。

宮川良明さん(担当:ギター・ボーカル)、中島ひできさん(担当:ギター ・ボーカル・フルート)は
須坂市出身です。大枝泰彰さん(担当:ギター ・ピアノ)は岡山市出身で医者の息子だそうです。

今日届いたMartin D-41で「雨のマロニエ通り」を久しぶりに演奏してみました。7カポです。

高校時代に一生懸命練習した曲で、非常に懐かしかったです。
返信する

コメントを投稿

好きな歌・心に残る歌」カテゴリの最新記事