凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

情報過多時代

2014年04月30日 | 旅のアングル
 旅行に必要なものとは何か。突き詰めて考えると、それは旅に出たいと思う気持ちである。それさえあれば、他のものはあとからついてくるかもしれない。
 ただこういうのは理屈であって、受動的に旅行に行かざるを得ない人もいる。出張が最たるもので、あとは社員旅行や友人に誘われてどうしても断りきれない人、付き添い、いろいろなパターンがある。そういうものまで考えていては話が全く進まないので、能動的に旅に出る人に限る、という注釈つきになってしまうが、とりあえずはそう考える。
 次に必要なものは、時間と予算である。
 これは相関関係にあることが多い。稼ごうと思えば時間がなくなる。逆もしかり。そしてどっちもゼロでは成り立たない。「無銭旅行」という言葉もあるが、全くの無銭ではメシを喰うこともできない。なので、なんとかやりくりする。昔は、大金持ちのドラ息子に生まれたかったと夢想したものだが、そんなことを考えていてもしょうがない。
 さらに、体力の問題もある。だがこれは旅の形態にもよるので一概に言えない。

 さて、ここまでは大前提の話。気力体力金ヒマがあれば、いくらでも旅は出来る。
 次に必要なものは何か。それは、情報である。
 どこかに行きたいと思えば、どうやってそこに行くのかを知らねば行けない。自分が今住んでいる場所から東なのか西なのか。それは極端としても、どの道を行けば到達できるのか。そのために古来より地図というものが発展してきた。交通網が広がる現代においても、例えば列車は何時に発するのか、宿泊先はどうかetc. 旅行社というものに丸投げするにしても、取捨選択はせねばならない。
 ましてやフラリと一人旅であれば、情報が最も大事である。いかに気まぐれ旅であっても、その時々で情報は絶対に必要なのだ。昼に一本しか来ないバス路線で夕方にバスを待っても旅は進まない。
 僕が若い頃に旅を始めた時代は、その情報を得るために四苦八苦したものだった。自転車で旅をするには、地図だけは必須である。道がわからなければ走れない。それ以外に使用した情報ツールは、列車なら時刻表、宿泊先を予約しようとすれば電話帳、観光するならガイドブック。それ以外は、口コミ。いかに「行き当たりばったり」であっても、それくらいは必要だった。

 その情報を得る手段が、近年ガラリと変わってしまった。
 インターネットというものの登場は、確かに画期的だったと思う。それまで地図を見、時刻表を繰りガイドブックを積み上げて計画を練っていたものが、全てPCから情報を得られるようになった。列車の乗り換え案内も料金も一瞬で出てくる。宿泊の予約など、条件を出せば最良の物件を提示してくれる。クリックで予約だ。観光情報も揃っている。
 さらに移動式端末の登場によりその情報活用が飛躍的に展開できるようになった。カーナビがその嚆矢だと思うが、タブレットPCそしてスマホへと瞬く間に時代が進み、情報提供側もどんどん進化していった。もう地図はいらない。スマホが全て案内してくれる。知らない町でも、食べログ上位の店を検索すればうまい店に簡単に行き着ける。そして宿泊予約もレンタカー予約も、人件費の問題だろうが電話するより圧倒的に廉価で済む。いろんなクーポン券も出てくる。優位性が半端ではない。
 隔世の感、というのは、まさにこのことだろう。

 昔の話をしようと思う。
 昭和の時代には、そんな打出の小槌みたいなツールはもちろん無い。何かを知ろうと思えば、それなりにいろんなことをせねばならなかった。欲しいものはすぐには出てこない。
 旅の情報といえば、主体はガイドブックを見ること。
 しかし、ガイドブックというものはそんなに何でもかんでも載っているわけではない。そりゃそうだろう。
 例えば北海道は日本の国土の1/4を占める。それを、観光地や宿泊や食事処まで一冊に収めようとすると、どうしても最大公約数の情報しか入れられない。僕が最初に旅立ったときに手にしたヤマケイのガイドブックは、わずか150ページしかなかった。しかしそれ以上分厚いものはもって歩けない。
 その30年前のガイドブックを、僕はまだ所持している。久々に開いてみると、中には書き込みがぎっしりとなされている。主として、口コミの情報を書き記したものである。
 ユースホステルや廉価なドミトリー式の宿では、旅人同士の交流が盛んだ。

 「どっから来たの? へー京都か春に旅行したぜ」
 「いつ来たの? もう10日目か結構ベテランだね」
 「何で動いてんの? 周遊券? バイク? えっ自転車かよパワーあんな」
 「いつまでいるのよ? 何、決めてないって? そりゃ旅じゃなくて放浪だな(笑)」

 こんな自己紹介的会話がひとしきり終われば、たいてい話は情報収集と情報開示に移ってゆく。

 「どこ周ってきたんや? ほう摩周から阿寒、オンネトーか。ええなあ」
 「阿寒バスは高くてね。ありゃアカン(笑)」
 「オンネトーってよく知らんのやわ。どないやった」
 「そりゃ綺麗だよ。湖の色が刻々と変わってゆくんだ」

 僕は、阿寒湖の近くにあるオンネトーという小さな湖の存在は、ギリギリ知っていた。ただ、ガイドブックには3行しか情報が無い。どうやって行くのか、道筋(舗装路かどうかなど)や泊まるところ、近くに湧いてる無料の滝壺温泉のことまで聞く。体験談に勝るものはない。

 「帯広から襟裳へ向かって。豊似湖に寄った」
 「え、トヨニコ? それ何やねんな?」(全く聴いた事の無い情報である。)
 「知らない? すっげーきれいな湖だぜ。ハート型してるんだ。女の子と行ければ最高なんだが、俺はヒッチで乗せてもらったおっさんと一緒に行った(笑)。でも有難かったけどな。あそこは交通手段がないから」

 こういう話がわんさか出てくる。

 「雨竜沼湿原行った?」
 「小樽は三角市場より鱗友市場だよ。定食むっちゃボリューム」
 「薫別温泉は最高!」
 「裏摩周から湖畔に降りられるよ」
 
 最後の情報は国立公園特別保護区を侵すことになるのでやってはいけないが、みなガイドブックに無い情報だ。こうして、僕のペラペラのヤマケイ本は書き込みだらけとなってゆく。
 しかし、なんでみんなこんなに詳しいんだろう。だんだん疑問に思えてくる。そのネタがしばらくして割れた。特別なガイドブックが旅人達の間に流布してしたのだ。
 そのガイドブックは、今はもう伝説と化している「とらべるまんの北海道」という冊子。

 ガイドブックにも、いろいろなものがある。戦前の旅行案内などを図書館などで閲覧すると、内容のほとんどが名所旧跡で占められる。昔のものほどそうで、グルメ情報などほぼ無いので、内容に普遍性があり今でも活用が可能であるように思える。
 交通公社のポケットガイドやエースガイド、また実業之日本社のブルーガイドなどは歴史が古いが、今でも現役で出版されている。こういうのが一般的なガイドブックだろう。だが、こういう網羅的な形のガイドブックの他に、あるときから雑誌が旅情報を発信しだす。
 版の大きな雑誌は、写真を多く使用しているので、心が動かされやすい。行きたいところがあってガイドブックを購うのではなく、旅雑誌を読んで行きたくなる場所ができるという逆転現象が起こる。その代表が「アンノン族」と言っていいだろう。「an・an」と「non-no」が特集した場所に、若い女性達が殺到した時代があった。
 飛騨高山、津和野、清里、倉敷…こういうところは、アンノン族がメジャーにしていったと言っていいのだろうか。それまでの旅行といえば温泉地か京都奈良というイメージを破った。僕らよりもずいぶんお姉さん世代。このアンノン族を生んだ情報雑誌系のものは、ガイドブックと融合してのちに「るるぶ情報版」や「まっぷる」といったムック(magazine+book=mook)が生まれる。浸透はしなかったが僕らの間では「るるばー(るるぶを脇に抱えて旅行する人)」という言葉もあった。
 そういうおしゃれなアンノン族に対し、「カニ族」という人たちが居た。登山用のキスリングを背負い、周遊券を持ち夜行列車に乗る旅人たち。主に貧乏系旅行者で(時間たっぷり金ナシ)、行く先は大自然が広がる北海道が多かった。
 「とらべるまんの北海道」というガイドブックは、そのカニ族の延長線上から生じたように思える。
 「もしあなたが若いなら、荷物を背中に担いで旅をしよう」から始まるこの手書きの写真もない同人誌のような青い表紙のガイドブックは、完全に旅人の視点から生まれた、口コミが幾重にも重なって生みだされたガイドだった。完全に一人旅、ホステラー、探究心旺盛だが金はない層に向けられて執筆されていて、まず80年代に僕と同じような旅をしていた人で知らない人はいないだろう。バイブル的だったとも言える。
 例えば知床半島の山中に羅臼湖という湖がある。僕は高校時代に読んだ本多勝一氏の本でこれを知ったが、どんなガイドブックも載せていない。正確には案内地図に「羅臼湖」と書かれているものはあったが、言及はなかった。そもそも、現地にすら入口の案内もなければ標識もない。
 どうやって行けばいいかを示していたのは「とらべるまん」だけだった。知床横断道路、峠から羅臼側に3kmほど入った山側の路肩に草に隠れて階段状になっている場所がある。そこを行け。山に入ればも木道が出てくる。クマが多いから気をつけよ。
 そうして僕は、羅臼湖に行った。

 以来、30年経った。
 僕は「とらべるまん」について最初にブログで書いたのは9年前になる。その頃は、検索しても大した紹介もしていない僕のブログが上位にあらわれるほどだったが、以来10年弱経って、もう僕の書いたものなど出てこず、もっと詳しく書かれたものがいくらでも出てくる。10年の間に「とらべるまん」への思いがネットに蓄積されたのだ。よく紹介されたものも多いので、知りたい方はそっちをご覧下さい。
 しかし、もうとっくに世から消えて久しいのに、まだこの本について語りたい人がこれだけいるのかと思う。それだけインパクトのある本だったわけなのだが…。
 つまり、Webは巨大な口コミ集合体であると言える。「とらべるまんの北海道」も、語りたい人がたくさん居て、その語った口コミが集積され、結果どんな本だったかが分かるようになっている。さらに、前述の羅臼湖も、どうやって行くのかを示したページがいくらでも出てくる。かつて「とらべるまん」が唯一示していたものが、「羅臼湖 入口」で検索すれば。

 そういう時代を、寿ぐべきなのだろう。
 旅に出るのに、もう事前準備は全く必要なくなった。時刻表も地図もガイドブックもいらない。端末ひとつあればいい。道に迷えばGPS機能が進むべき方向を指し示してくれる。情報も即座に示せる。店の選択も宿泊も困らない。全て、その場で検索してやればいい。端末ひとつ持てば「風のむくまま気の向くままの行き当たりばったり旅」がついに可能となったのだ。ついでに写真も撮れれば音楽も聴けるし本も読める。スマホ万歳。気まぐれな旅人にこれほど適したツールはない。

 で、僕はいまだにガラケーを持っている。
 セコいのでスマホの維持費がもったいない、ということもあるが、どうしてもまだ積極的に持つ気になれない。持てば、僕のような意志の弱い人間はおそらく端末に支配されてしまいそうで怖い。ただでさえPC中毒の傾向があり、パソ前に座る時間を限って自制しているのに、持ち歩けるようになったらどうなるか。
 旅に出れば、汽車に乗っても車窓を見なくなってしまうかもしれない。そういうのは、嫌だ。
 なので、アナログな旅をしている。
 昔のような長い旅はもうなかなか出来ずショートトリップが多いから、計画くらいは立てられる。列車の時間などはメモしてゆく。行く先の周辺地図だけはプリントアウトして、そこに必要事項を書き込んで持っていく。なんと旧式であろうか。宿泊予約くらいはWebでやるが、あとは鉛筆を持っているのだから。
 ただその書き込む情報は、相当吟味している。昨今はマニアックな歴史散策が旅の目的になる場合が多いので、専門書も読めば大きな図書館で市町村史なども閲覧する。そして地図に見るべき場所を書き込んでゆく。
 不思議なことに、こういう作業をすると現地でそのメモをあまり見返すことがない。たいていは頭に入ってしまっている。
 ここ何年も、そんな感じで旅をしている。
 もちろん、旅に口コミは重要。それは、書いたとおり僕もそうやって動いてきた。北海道を例に出したが、情報はその「とらべるまん」と口コミに頼っていた。
 Webが巨大な口コミ集合体であるのはよくわかっている。
 しかし、その情報が多すぎるんよね。いろんな人が口々にあそこがいいここがいいと言ってくるから、取捨選択が必要になってくる。もう大変なんですよ。しかしその選択をグーグル君に丸投げするのもシャクだしねぇ。
 そりゃ道に迷うこともあるよ。でも、陳腐な物言いを許してもらえれば「それも旅の味」とも言える。事実、そういう経験は記憶に残る。
 旅行は思い出作りである、という定義をするなら、旅先の夜の繁華街でアテがなかった場合、いきおい食べログ見て上位の店に入るよりも、自分の嗅覚で探してみるのもいいように思う。昔はそうやったもんだわ。その結果を逆に食べログに書き込んだほうが、思い出をなぞる事になって記憶がより鮮明になるような気がする。

 この話は、旅行に限って書いているのであり、他の場面では情報過多に困ることなど無いのだが、不思議だな。昔の旅が楽しかったので、どうしてもなぞりたくなってしまうのだろうか。不自由さまでなぞらずとも良いように思うのだが。

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