凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

反則技 2 (合体技)

2012年08月16日 | プロレス技あれこれ
 全日の公式ルール第5条において、「タッグマッチにおいて、試合権利のない選手が攻撃を加える行為」を反則とする一文がある。
 タッグマッチという試合形式は、周知の通り複数の選手がチームを組んで対戦する。ただし、リング内で戦えるのは1名づつが決まり。それ以外の選手は自陣コーナーのロープ外側(エプロン)で待機する。選手交代は、自陣コーナーにあるタッチロープを持っている状態でタッチしなくてはいけない(ローカルルールは存在するが基本は以上)。
 選手交代はタッチのみで成立し、待機選手はそれ以外の状況でリングに入ってはいけない。また、交代は速やかに行われなければならない。
 ということで、本来はカットプレー(今ピンフォールされんとする味方、また長期の極め技で苦しめられギブアップ必至の味方選手を助けるためにリングインして相手を蹴散らす行為)も厳禁である。まして、本来エプロンにいなければならない待機選手がリングインして技を繰り出すことはもちろん出来ない(ルール上は)。
 したがって、タッグ戦において二人もしくはそれ以上で行う攻撃は、全て反則技である。無論5カウント以内で仕掛けられる。

 二人がかりの攻撃というのは、もしかしたらタッグマッチという試合形式が始まった100年以上前から存在していた可能性もある。もちろん実態はよく知らない。
 日本に初めてタッグマッチがお目見えしたのはもちろんシャープ兄弟の来日だが、この時既にシャープ兄弟の自陣コーナーに押し込んでの二人がかりの攻撃はみられる。しかしまだ「合体技」とまでは言えない範囲かと。せいぜい両者が交互にストンピングを繰り出す程度である。そして、力道山と木村はもちろん二人がかりの技など出していない。日本人がデカくてずるい外人選手を倒す、という当時の日本プロレスのプランにおいて、力道山と木村が反則技である合体技を繰り出すわけにもいかなかっただろう。
 さて、その程度だったプロレスの二人がかり攻撃が「合体技」もしくは「ツープラトン」と呼ばれるまでの完成度まで到達するのはいつ頃だろうか。
 二人が同時に技を繰り出す場面は、その後しばしば見られるようになった。多くはロープに振って、戻ってきたところをダブルチョップ。またはダブルカウンターキック。ダブルエルボー。ダブルドロップキック。
 ただ、これらはあくまで「二人でやる技」であって名称がついていたわけではない。日本においてはミルマスカラス、ドスカラス兄弟のダブルクロスチョップ(またはダブルドロップキック)が「編隊飛行」と呼ばれたが、これは技名を示していたわけではない。

 タッグチームというのは、基本的にはシングルプレイヤーが二人で組む場合が主で、昔はタッグ専門のレスラーというのは少数派だったと思われる。日本に初来日した外人レスラーがシャープ兄弟というほぼタッグ専門チームだったためにこれを意外に思われるむきも少なくないだろうが、当時はタッグ専門でシングル戦をほとんどやらなかったレスラーというのはそれほど多くなかったのではないか。僕はシャープ兄弟くらいしか思い出せないのである。他の代表的なチームだったブルーザー&リソワスキー組など、いずれもシングルプレイヤーとしても傑出している。他は、時代が下ってマクガイヤーブラザーズくらいか。
 タッグチーム名、というものもなかった。「ブッチャー&シーク組」などとたいていは表記され、例外として兄弟チームなどはその姓で「トロス・ブラザーズ」「ファンクス」また「スタイナー・ブラザーズ」などと呼ばれた。兄弟でもないのに「バリアント・ブラザーズ」などと名乗っていたチームもあり、それほどタッグチーム名というのが一般的ではなかった証左だろう。ヤマハブラザーズ(山本小鉄&星野勘太郎)も同様の兄弟ギミックである。「BI砲」というのもあったがあくまで愛称的なものであり、やはり「馬場&猪木組」が通常である。
 血縁由来以外でチーム名というのが前面に出てきたのは、僕の知る限りではファビュラス・フリーバーズくらいからではないかと思う。いや、テキサスアウトローズが先か。しかしこれはダスティ・ローデスとディック・マードックという既にシングルプレイヤーとして傑出していた二人のチームであり「ローデス&マードック組」と表記してもなんら違和感なく、やはりテキサスアウトローズというのはBI砲と同様に愛称的なものだったと思われる。ブロンド・ボンバーズも、レイ・スティーブンスとパット・パターソンというシングルでも一流の選手のチーム。あ、ザ・ブラックジャックスってのも居たな。だんだん難しくなってきたがそのへんで措く。
 フリーバーズは、タッグチームとして頭角を現した。当時はマイケル・ヘイズとテリー・ゴディと言っても誰のことかわからなかった感がある。もちろん後にゴディはシングルプレイヤーとしてぐっと知名度が上がるのだが、そもそもはタッグチームのパワー担当だった。そうして、フリーバーズという名前がシングルよりも先行してゆく。
 80年代はアメリカでそういうタッグチームが花盛りだった感がある。「世界のプロレス」という番組があり、当時高校生だった僕は毎週楽しみにしていた。そこで観たファビュラス・ワンズ、ロックンロール・エクスプレス、ミッドナイト・エクスプレス。彼らはフリーバーズとは異なって同じタイプのレスラーでタッグを組み、各々の個性を前面に出さずチームワークを中心としたファイトで、他のシングルレスラーが暫定的に組んだタッグを翻弄していた。そうしたムーブメントの中で、ロード・ウォリアーズという突出したチームが出現する。
 彼らの出現において「合体技」「ツープラトン攻撃」というものが極みに達した感がある。

 ウォリアーズは例えば、マットに倒れている相手の上に、味方をデッドリードライブの要領で投げてボディプレスとするような技を使う。パワーでとにかく常識外のことをやってのけていた。
 そのウォリアーズがフィニッシュホールドとした技がまた驚異的だった。まずアニマルが相手を肩車で担ぎ上げ、そこへホークがコーナー上から相手をめがけてダイビング・ラリアットを放ち、同時にアニマルが後方へ投げ捨てる。つまりラリアートとバックドロップが一緒になったような複合技である。やられる側はたまったものではなく、まずフォールを奪われる。それまでの合体技からひとつ段階を上がった技と言えよう。
 この技には当初名前はなかった。スカイハイラリアットとか言われていたような気がするが記憶が定かでない。その後、日本に来日してからだと思うが「ダブル・インパクト」という名称で固まったように思う。或いはこの技は、「二人がかりの○○」「ダブル○○」と表現されていたにとどまっていた合体技に、初めて固有の名称がついた嚆矢ではなかろうか(僕の記憶では。もしかしたらもっと前にあったかもしれないが)。
 その後、合体技に固有の名称がつくことが当たり前になっていく。合体技がプロレス技の一形態として成立していく過程である。
 ただし、たいていは分かりにくい名称ばかりだ。全然技の形状がネーミングに生かされていないものばかり。「ブラックサンデー」「リミットレスエクスプロージョン」「N・G・A」などと言われても、その状態が全く浮かんでこない。困ったことではあるのだが。

 合体技は、いくつかに分類できる。
 最も古典的なのは、同時に二人がかりで同じ技を相手に放つことだろう。二人で相手をコーナーに追い詰め、よってたかってチョップやストンピングを浴びせる。こんなのに技名などない。例外として三人タッグの場合だが、かつて長州力率いる維新軍団が全員で一斉に相手の背中にパンチを連続して叩き込むことがあり、これを「太鼓の乱れ打ち」と称した。これはめずらしく形状を的確に捉えたネーミングだった。
 さらにコーナーではなく、ロープに振って二人揃って攻撃する場合。「ダブルドロップキック」「ダブルエルボー」などがある。
 この「ダブル○○」で最も迫力があったのは、何といってもハンセン&ブロディの「超獣コンビ」だろう。チョップ、カウンターキック、エルボーそしてドロップキックまで二人で繰り出したが、中でも凄かったのは「ダブル・ショルダータックル」だった。この二人はもともとアメフト出身であり、それが容貌もファイトスタイルも異なった超スターレスラーである二人の唯一の共通点だったと言っていい。相手をロープに振って、二人がマット上で並んで片腕を下ろしてセット、そして還ってきた相手に揃って肩口から激突する。その強烈な衝撃で必ず相手は吹っ飛ぶ。個人的には、僕はハンセン&ブロディのダブルショルダータックルを合体技では至上のものと考えている。
 同時に二人がかりで同じ技を繰り出す例としては、同方向からでなく前後から挟撃する、つまり「サンドイッチ式」もある。ラリアートやトラースキックがよく放たれる。しかし「サンドイッチ式延髄斬り」というのはどうなのだろうか。延髄は後ろにしかなくサンドイッチ出来ないのだが。
 
 さらに、二人がかりでひとつの技を仕掛ける場合。
 これは、ダブルブレーンバスターあたりが最初だろうか。重くて持ち上がらない巨漢レスラーを二人で持ち上げる場合によく用いられていた方法だが、一応、威力も増すと考えられる。なお二人がかりのジャーマンスープレックスというのもあって、これはジャーマンの体勢に入った味方を後ろからジャーマンで投げるという「縦関係」である(新崎人生とアレクサンダー大塚が放つ)。角度は強烈になるが味方も当然ダメージを負う。
 この系統の究極形は何といってもツープラトン・パイルドライバーだろう。一人がドリルアホール・パイルドライバーの体勢で相手を持ち上げ、もう一人がコーナー上段でそのひっくり返った相手の両足を裏から掴む。そして、パイルドライバーで相手を脳天から落とすと同時に、足を持ったもう一人が飛び降りて上からマットに突き刺す負荷を加える。二人がかりの脳天杭打ち。「ハイジャック・パイルドライバー」と称される。
 ヤマハブラザーズが始めたという話も聞いたことがありよくわからないが、僕が知る上ではこの技はアドリアンアドニスとボブオートンJr.の「マンハッタン・コンビ」のものである。このやんちゃでトンパチな二人のえげつない合体技として認識している。
 これは、多くのタッグチームが使用する技となる。長州力とアニマル浜口がよくやった。そしてついにはハンセン&ブロディまでもが使い、馬場さんの無欠場記録を途切れさせている。

 また、一人が相方の技をアシストする合体技もある。
 古典的には、羽交い絞めにしてもう一人が攻撃を加えるやり方。これはよく避けられて誤爆、仲間割れの要因となっていくのもまた古典的である。
 味方のスピードや高度を補助する場合も。コーナーの相手に味方を振って串刺し式をアシストしたり、前述のデッドリードライブ式ボディプレスなどもそうだ。テンコジカッターなど、こういうのはきりがないほど存在する。
 結構衝撃的だったのはマンハッタンコンビで、まずオートンがベンジュラムバックブリーカーで相手を固定し、そこへアドニスがコーナー上からニードロップで落下し首を狙うというもの。今ではこれに類似した技はしばしば見られるようになってしまったが、この時はさすがに「殺す気か!」と思ったものだ。
 「俺ごと刈れ」というのはSTOのアシストバージョンだとは思うが、例えばコブラツイストに固めた相手にミドルキックを放つのは、アシストなのか複合技なのかわからなくなってくる。どっちが主体なのか。

 と言うように、もうひとつは複合技であるのだが、この代表格は前述のダブル・インパクトだろう。厳密に考えればこの技はラリアートの威力が減じてしまうようにも思えるが、それでも落下角度が厳しいために説得力はある。
 サンドイッチ技でも、一人がラリアート、一人がエルボーであればそれは複合技となる。しかし複雑になると何だかわからなくなる。刈龍怒というのはもちろん小川直也のSTOと橋本真也の水面蹴りの複合技だが、本当に必要があるのかどうもよくわからない。

 なお、合体技というのはあくまで反則技である。したがって5カウント以内でないと技として成立しないのは当然のこと。したがって、打撃技と投げ技しか成り立たない。二人で相手の両腕を腕ひしぎ逆十字固めに捉えたりするのは、反則技ではなく「反則」である。
 また、いくら技として成立していても「反則技」である。なので、これをフィニッシュにするのはいかがなものかと僕はいつも思っている。厳密に言えば、補助付きパワーボムなどのそのままフォール技でなければ、合体技を繰り出したあとに「体固め」という技でカウントを奪っているわけであり問題はないのかもしれないが、どうも釈然としない。昔は、合体技のあとはレフェリーはカウントをとらなかったはずなんだけどなあ? いつから合体技がフィニッシュになったのだろう。やっぱりウォリアーズからかもしれないけれども。

 なお、合体技もルールによっては、仮に5カウント以内であっても完全に反則となる場合もある。稀有な例だが、昔猪木と国際軍団(ラッシャー木村・アニマル浜口、寺西勇)による1vs3のハンディキャップマッチが行われたことがある。その際は、待機選手がリングインすることが厳密に取り締まられた。
 ハンディキャップマッチというのは、たいていは例えばアンドレのような異常な体躯のレスラーに二人がかりで対戦するような「肉体の差を埋める」ために組まれる試合。なので、当然合体技は出されてもいい。むしろそれがあってこそで、二人がかりでもアンドレを持ち上げることが出来ずダブルドロップキックも効かない、なーんて場面を観るものである。しかしこの場合は体格差がなく、ツープラトンをやられれば一気に試合が決してしまうために、そのような形態となったのだ。
 この最初の試合(2度あった)の主役は、レフェリーの山本小鉄だったと言っていい。待機選手がカットインに入ろうとするのを、小鉄さんは身体を張って止め続けた。絶対に手出しはさせぬという強い意志が伝わり、場内から大「小鉄コール」が沸き起こった。
 これは、小鉄さんが強かったから出来たことである。思えば、昔はレフェリーはみなレスラーあがりだった。日本で見れば沖識名に始まり、ジョー樋口、ユセフトルコ、ミスター高橋、タイガー服部らは全て元レスラーだった。小鉄さんのような一流レスラーではなかったが、それなりに皆バックボーンを持ち毅然とした態度がとれた。ミスター高橋もロープブレイクを無視した外人レスラーにミドルキックかましたりしていたからね。和田京平さんくらいからかなあ。レスラー経験の無い人がレフェリーになっていったのは。レッドシューズ海野とかは弱そうだ。一概に言ってはいけないが、もうこういう試合を裁けるレフェリーはいないかもしれない。マイティ井上は引退したし。保永昇男はどうしたかなあ。

 話が合体技からそれた。次回に続く。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 反則技 1 | トップ | 反則技 3 (急所攻撃) »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしく、御懇切極まりない内容です (リゴレットさん)
2018-03-28 06:25:05
はじめまして。創成期の新日には、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドスが、専門のタッグ屋さんでしたね。この既存チームでアメリカ・マット界でも名を売ったのか、新間寿さんあたりが考案した即席コンビだったのか、存じ上げませんが…(笑)。
1977年夏に新日のアジア・チャンピオン・シリーズに見参した、アジアン・テローズと言う噴き出すようなギミックでの、ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスの胡麻の蝿コンビ。これは、優秀なタッグ専門のチームでしたね。
また、御機会ありましたら、コメントを(笑)。
返信する

コメントを投稿

プロレス技あれこれ」カテゴリの最新記事