1965年生まれの僕にとっては、六文銭というグループはまるで霞の奥にいる人たちのような感じがする。伝説的と言ってもいいのか。フォークの歴史を語る上では必ず出てくる存在ではあるが、メンバーの出入りが激しく実態を捉えにくい。しかしみんな大物ばかり。ハードロックで例えるとヤードバーズのような(わかりにくいか)。関西のフォークシーンで言うとフォーク・クルセイダーズがそうなのかもしれない。ここはメンバー固定だったからちょっと違うか。フォークルと言うより五つの赤い風船が近いかな。
六文銭は、小室等と小林雄二が中心となって結成されたフォークグループであるが、いつから正式な活動が始まったのかよくわからない。であるが日本のフォークの黎明期に存在したことは間違いない。
そもそもは小室さんと小林さんが高校生のときに遡る。'60年代初頭、日本にフォークソングという音楽が伝播してくる。ピーター・ポール&マリー(PPM)、キングストントリオ、ブラザーズフォア。そんなフォークソングの波の中で活動を始めたのが最初らしい。もっともその頃はまだ「六文銭」ではなく「ジ・アローズ・フォー・ジミー」というグループ名だった。このグループはメンバーチェンジを繰り返し、PPMフォロワーズを経て六文銭の結成へと繋がる。
六文銭結成は手持ちの資料によると1968年。この時のメンバーは小室、小林さんの他に石川鷹彦、入川捷となっている。あれ、岩沢幸矢さんはどうしたのかな。そこらへんがもうよくわからない。
「雨が空から降れば」の小室等さんは今でもフォークシーンの「影の総裁」のような立場だと思うが、小林雄二さんは最近どうしてらっしゃるのか知らない。僕がギターを始めたときの最初の教則本は小林さんのだった記憶がある。雑誌の特集のような感じの本だったが、それで僕はギターのコードを覚えアルペジオやスリーフィンガーを練習した。これも記憶違いだったら申し訳ないのだが、確か独特の譜面で(ユーミン譜だったか。このユーミンとは松任谷由美ではなく娘さんの名前由来という…ああ記憶がグチャグチャ)、それにそって練習したため刷り込まれてしまい後にタブ譜とかが見難くてしかたなかった。
石川鷹彦さんは「ギターの神様」であり今もミュージシャン・編曲家として大活躍であるが、入川捷さんは一線から退かれている。そして岩沢幸矢さんは六文銭デビューの時にはもう脱退されていたのか。てっきり初期メンバーだと思っていた。
岩沢さんは、もちろん弟の二弓さんとブレッド&バターとしてずっと活躍されている。
六文銭は、この後もメンバーチェンジ、そして解散と結成を繰り返す。小室さんを中心とした友人がグループとして活動する場合「六文銭」と名乗ると定義した方がいいのかもしれない。小林さんが抜け、そのあと木田高介さん(ジャックスやナターシャセブンで有名)も一時加入している。石川鷹彦・木田高介揃い踏みの時期もあったのだ。なんだか凄いな。
70年代に入って及川恒平が参加。及川さんが参加した六文銭があの中津川フォークジャンボリーに登場した六文銭であり、上条恒彦と一緒に「出発の歌」を歌って世界歌謡祭でグランプリを獲っている。
乾いた空を見上げているのは誰だ
さあ今 銀河の向こうに飛んでゆけ (出発の歌)
1972年に正式に解散。この5年間の間にどれだけ離合集散、メンバーチェンジをしたのかもうよくわからない。最後のメンバーは小室等、及川恒平、原茂、橋本良一、四角佳子だった。四角佳子(おけいさん)が先ごろ、モーニング娘のなっちとデュオでシングルを出したのには本当に驚いた。これはどういういきさつなんだろうなあ。
ひとりで空を見ていたら やさしい風につつまれた
春の野原の菜の花を あなたにつんであげたいの (春の風が吹いていたら)
解散した六文銭だが、翌'73年には「新六文銭」が結成されている。メンバーが小室等、吉田拓郎、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利というとんでもない人たちで、まあお遊びだったのだろうがちょっとビックリするメンバー。
その後はもうさすがにないが、10年くらい前に小室さんと及川さん他で「楽団六文銭」を結成している。一番最近は小室、及川、おけいさんで「まるで六文銭のように」というユニットを組んでいる。何年経っても愉しそうだ。
なんだか六文銭ヒストリーみたいになってしまった。これでも端折っているのだが。
僕は六文銭の全ての楽曲を聴いているわけではなく、そんなに語る資格もないのだけれど、全ての楽曲と言ったってどこからどこまでを言うのかという定義だって難しい。
僕が中学、高校の頃は、世の中の音楽シーンは既に「ニューミュージック」といういかようにでも拡大解釈出来るものの出現によって「フォーク」という言葉が古び始めたちょうどその頃だった。
ただ幸いにして昔の歌がなくなってしまうわけではない。僕はどんどん時代を遡って聴いていった。遡るのは、関西に住んでいたのでやはり「関西フォーク」を中心に聴くことが多かったのだが、そうした中でふと「六文銭」のカセットテープを入手する。当時はレンタルCDもダウンロードもない時代で、中坊の分際でそんなにLPも買えずエアチェックと友人との貸し借りに頼っていた時代。そのカセットテープはA面六文銭、B面遠藤賢司というヘンな構成だったが(誰が編集したんだろう)、その六文銭の冒頭の曲が「それから」だった。
それから激しさはおとといに向かって逃げていった
落としたんだろうか 夜に叫びあればもう一度 それから
綺麗な曲だなと思った。これは前述した元メンバーでブレッド&バターの岩沢幸矢さんの曲。泥臭いフォークを中心に聴いていた当時の僕には、流れていくようなこのメロディーに優しさを感じた。
フォークってなんだろうと子供ながらに当時は考えていたような気がする。心に響くメッセージがあるのがフォークなのか? フォークは若者の叫びなのか?
そういう青臭い話を考えるのは、どうしても当時メッセージフォークと呼ばれた曲に拘っていたからかもしれない。でも理屈先行じゃないんだなと思い出したのもその頃。心に沁みるということが重要なんじゃないか。聴いていいなと思う歌だけ聴いていればいいやんか。
それから それからはおとといに向かって集め始めた
間に合うのだろうか 夢に 口の中でもう一度 それから
六文銭は今で言えばつまり「音楽性が高い」という言い方が出来るのだろうけれども、当時は(今でもそうだが)そんな言い方など出来ず「綺麗」「優しい」「すがすがしい」などと言う陳腐な言い回しで表現していた。でもそれでいいと思う。
日本のフォークの黎明期にこんな人たちが居たということは大きなことだと思う。しっかりと主張もあるのだけれども、それを押し付けていない心地よさ。
小室等さんは、時々TVでもお見かけするが、なんと言うか仙人のように見える。長老なんだなあ。でもしばしば尖がった発言をされるのがなんとも心強い。「雨が空から降れば」もいい曲だけれども他にもたくさん名曲をお持ちなので、たまには他の曲も聴かせて欲しい(じゃあライブに行きなさいよ)。
六文銭は、小室等と小林雄二が中心となって結成されたフォークグループであるが、いつから正式な活動が始まったのかよくわからない。であるが日本のフォークの黎明期に存在したことは間違いない。
そもそもは小室さんと小林さんが高校生のときに遡る。'60年代初頭、日本にフォークソングという音楽が伝播してくる。ピーター・ポール&マリー(PPM)、キングストントリオ、ブラザーズフォア。そんなフォークソングの波の中で活動を始めたのが最初らしい。もっともその頃はまだ「六文銭」ではなく「ジ・アローズ・フォー・ジミー」というグループ名だった。このグループはメンバーチェンジを繰り返し、PPMフォロワーズを経て六文銭の結成へと繋がる。
六文銭結成は手持ちの資料によると1968年。この時のメンバーは小室、小林さんの他に石川鷹彦、入川捷となっている。あれ、岩沢幸矢さんはどうしたのかな。そこらへんがもうよくわからない。
「雨が空から降れば」の小室等さんは今でもフォークシーンの「影の総裁」のような立場だと思うが、小林雄二さんは最近どうしてらっしゃるのか知らない。僕がギターを始めたときの最初の教則本は小林さんのだった記憶がある。雑誌の特集のような感じの本だったが、それで僕はギターのコードを覚えアルペジオやスリーフィンガーを練習した。これも記憶違いだったら申し訳ないのだが、確か独特の譜面で(ユーミン譜だったか。このユーミンとは松任谷由美ではなく娘さんの名前由来という…ああ記憶がグチャグチャ)、それにそって練習したため刷り込まれてしまい後にタブ譜とかが見難くてしかたなかった。
石川鷹彦さんは「ギターの神様」であり今もミュージシャン・編曲家として大活躍であるが、入川捷さんは一線から退かれている。そして岩沢幸矢さんは六文銭デビューの時にはもう脱退されていたのか。てっきり初期メンバーだと思っていた。
岩沢さんは、もちろん弟の二弓さんとブレッド&バターとしてずっと活躍されている。
六文銭は、この後もメンバーチェンジ、そして解散と結成を繰り返す。小室さんを中心とした友人がグループとして活動する場合「六文銭」と名乗ると定義した方がいいのかもしれない。小林さんが抜け、そのあと木田高介さん(ジャックスやナターシャセブンで有名)も一時加入している。石川鷹彦・木田高介揃い踏みの時期もあったのだ。なんだか凄いな。
70年代に入って及川恒平が参加。及川さんが参加した六文銭があの中津川フォークジャンボリーに登場した六文銭であり、上条恒彦と一緒に「出発の歌」を歌って世界歌謡祭でグランプリを獲っている。
乾いた空を見上げているのは誰だ
さあ今 銀河の向こうに飛んでゆけ (出発の歌)
1972年に正式に解散。この5年間の間にどれだけ離合集散、メンバーチェンジをしたのかもうよくわからない。最後のメンバーは小室等、及川恒平、原茂、橋本良一、四角佳子だった。四角佳子(おけいさん)が先ごろ、モーニング娘のなっちとデュオでシングルを出したのには本当に驚いた。これはどういういきさつなんだろうなあ。
ひとりで空を見ていたら やさしい風につつまれた
春の野原の菜の花を あなたにつんであげたいの (春の風が吹いていたら)
解散した六文銭だが、翌'73年には「新六文銭」が結成されている。メンバーが小室等、吉田拓郎、チト河内、柳田ヒロ、後藤次利というとんでもない人たちで、まあお遊びだったのだろうがちょっとビックリするメンバー。
その後はもうさすがにないが、10年くらい前に小室さんと及川さん他で「楽団六文銭」を結成している。一番最近は小室、及川、おけいさんで「まるで六文銭のように」というユニットを組んでいる。何年経っても愉しそうだ。
なんだか六文銭ヒストリーみたいになってしまった。これでも端折っているのだが。
僕は六文銭の全ての楽曲を聴いているわけではなく、そんなに語る資格もないのだけれど、全ての楽曲と言ったってどこからどこまでを言うのかという定義だって難しい。
僕が中学、高校の頃は、世の中の音楽シーンは既に「ニューミュージック」といういかようにでも拡大解釈出来るものの出現によって「フォーク」という言葉が古び始めたちょうどその頃だった。
ただ幸いにして昔の歌がなくなってしまうわけではない。僕はどんどん時代を遡って聴いていった。遡るのは、関西に住んでいたのでやはり「関西フォーク」を中心に聴くことが多かったのだが、そうした中でふと「六文銭」のカセットテープを入手する。当時はレンタルCDもダウンロードもない時代で、中坊の分際でそんなにLPも買えずエアチェックと友人との貸し借りに頼っていた時代。そのカセットテープはA面六文銭、B面遠藤賢司というヘンな構成だったが(誰が編集したんだろう)、その六文銭の冒頭の曲が「それから」だった。
それから激しさはおとといに向かって逃げていった
落としたんだろうか 夜に叫びあればもう一度 それから
綺麗な曲だなと思った。これは前述した元メンバーでブレッド&バターの岩沢幸矢さんの曲。泥臭いフォークを中心に聴いていた当時の僕には、流れていくようなこのメロディーに優しさを感じた。
フォークってなんだろうと子供ながらに当時は考えていたような気がする。心に響くメッセージがあるのがフォークなのか? フォークは若者の叫びなのか?
そういう青臭い話を考えるのは、どうしても当時メッセージフォークと呼ばれた曲に拘っていたからかもしれない。でも理屈先行じゃないんだなと思い出したのもその頃。心に沁みるということが重要なんじゃないか。聴いていいなと思う歌だけ聴いていればいいやんか。
それから それからはおとといに向かって集め始めた
間に合うのだろうか 夢に 口の中でもう一度 それから
六文銭は今で言えばつまり「音楽性が高い」という言い方が出来るのだろうけれども、当時は(今でもそうだが)そんな言い方など出来ず「綺麗」「優しい」「すがすがしい」などと言う陳腐な言い回しで表現していた。でもそれでいいと思う。
日本のフォークの黎明期にこんな人たちが居たということは大きなことだと思う。しっかりと主張もあるのだけれども、それを押し付けていない心地よさ。
小室等さんは、時々TVでもお見かけするが、なんと言うか仙人のように見える。長老なんだなあ。でもしばしば尖がった発言をされるのがなんとも心強い。「雨が空から降れば」もいい曲だけれども他にもたくさん名曲をお持ちなので、たまには他の曲も聴かせて欲しい(じゃあライブに行きなさいよ)。
私も、今年はコンサート付けで、実は7月に、おけいさんと猫のコンサートに行ってきました。
なかなか迫力があって良かったです。
そのコンサートやったところのマスターと、吉田拓郎は、三人目だけど、後藤次利も三人目ですよね?って話しをしました。
小室哲哉もそうだなと後で思い出しました。
小室違いな話でしたね(笑)。
小室等の話に戻しますが、先日、大塚博堂のメモリアルライブに行った時、知り合いと
「小室等って、昔から、仙人みたいな感じだけど、大分年かな?」
と聞かれたので
「確か、小椋佳や大塚博堂と同年代ですよ」
と答えたら
「そんなに若いの?」
と言われました(笑)
小室さんは、昔から、仙人然とした雰囲気だったんですね。
新六文銭、後藤次利、チト河内、なかなか個性的なメンバーですね。
確か、色々あって幻になったみたいですね。
つま恋といい、他色々、この頃の人が活躍しているのは、嬉しい事ですね。
猫&おけいさんのライブに行かれたのですか。いいですねー♪ おけいさんの「この大空に捨ててしまおう」が無性に聴きたい最近です。あの人が現役復帰したのは本当に嬉しいことです。吉田拓郎との「春の風が吹いていたら」のデュエットを聴くのはもう叶わないことではありますが(笑)。
かぐや姫に「離婚歴三回」という歌がありますが、三回も結婚するってバイタリティがありますよね(笑)。しかも拓郎も後藤さんも小室哲哉もみんなアイドルを一度は嫁にしている。これって成功者の証しなのかしらん(笑)。
小室等はホント老けてますね。(* ̄m ̄)プッ
若白髪だったことが影響しているのかと思いますが、同世代のミュージシャンと比べて実に仙人然としている。似合いますけれどもね。亡くなった高田渡と並べばそれは風格がありましたね。
つま恋のことは、行けなかったので悔しいから記事にはしません(笑)。
実は私がその本人です。
何も知らない若造である私が又聞きや何やらでこんなものを書いてしまいました。文中ご無礼な部分もあったやに思います。どうぞご容赦頂きたいとお願い申し上げます。ごめんなさいっ。
それにしても、こんなに嬉しいことはないです。ご本人が書き込みをして下さるなんて。HP拝見させていただきました。実に私達に身近なところで入川さんが活躍されてらっしゃるのを知り、またまた嬉しくなりました。コミックスには所持しているものもありました。これからは見る目が変わってきそうです。
繰り返しますが、私にとっては望外のことでした。有難うございました。
ところでそれからの作曲は岩沢幸矢さんとのこと
では作詞は私の記憶では比叡おろしと同様に
松岡正剛さんだと思うのですが、この松岡さんと
六文銭の関係が未だにはっきりしません。
松岡正剛さんは千夜千冊で知られる編集工学というか
凡人には理解できない大文化人?ですが、短期間でも
六文銭に参画したのか、単に楽曲だけの提供なのかが
よくわからないというのが実情です。
入川さんもご覧のこのHPならご存知の方がお見えに
なるかもと思い投稿した次第です。
「千夜千冊」拝見することがあります。さすがにいつも読んでいるわけではないのですが、検索して辿りついたり。そんなときは感慨深いですね。
「それから」の詩も、なかなか凡人には理解出来ない部分がありますね。いろいろな解釈が出来る。「比叡おろし」は同じ京都人としてその寒さが理解できるのですが(汗)。
「それから」も「比叡おろし」もバックで演奏してて好きな曲でした。
ただ、だれが作ったのかはっきり覚えていません。岩沢幸矢、さっちんは僕が入ったときはすでに自分のグループでやっていたので一度も音を合わせたことはありません。
松岡正剛のことですが、いつの間にか六文銭のブレーンのように入って来ました。マネージャーのようなこともしていたようです。いつも雲をつかむようなことをしゃベリまくって、僕なんか煙に巻かれていましたが、理屈のための理屈をこねくりまわしているうち自分でも何を言っているのかわからなくなるようなたちの等ちゃんはとても気に入っていました。
その後の彼のあれよあれよと言う間の急展開はおどろくばかりです。
岩沢幸矢さんとは完全に入れ違いなのですね。僕はリアルタイムではない人間なので、よくわからない部分もありまして、本当に申し訳ありませんでした。
松岡正剛さんのこともご教授いただきまして有難うございました。松岡さん、確か大病をされたと伺っていましたがサイトを拝見させていただきますとお元気そうでなによりです。昔から壮大な構想をお持ちだったのですね…。
繰り返しますが、有難うございました。
わざわざお知らせ頂いて恐縮です。
ココログは9月に始めた(と言うか、恒平さんが始めたMiXiにおけいさんが誘われて、そのおけいさんを追いかける形ではじめたものです)MiXiに記載したものを一部修正してアップしているものです。そうMiXiは招待方式の会員制なので一般には公開されないためです。
実は恒平さんのサイトにも松岡さんのことを書いたのですが、今回の入川さんのお話ほど明確なものはありませんでした。お恥ずかしい話ですが、六文銭フリーク(35年前)のくせに地方にいた関係もあり生をで見たことはありませんでした。2006年10月27日にはじめて"まるで六文銭のように"で生六文銭デビューをした次第です。MiXi上ではおけいさんと何度かメッセージを交換して頂いており、一気に気分は35年前に戻ってしまったというところです。入川さんの件もMiXi上では”六文銭にイルカが在籍していたか?"
なんて話題の時に種明かし的にお名前が出ておりました。
(私が遠い昔、ラジオで六文銭がベコーのバラはあこがれを歌った際,小室さんがメンバーのひとりをいるかと言いますって紹介したのを聞いており、その真贋を確かめる際の話です。イルカさんのだんなさんがユイ音楽工房の社長さんでもあるのでいてもおかしくないというミステリーのような話でした) ではまた。よろしければココログの方もご覧ください。万一MiXiに入ってみえれば"たくみ"ですぐ見つかると思います。
及川恒平さんのサイトも訪ねてみました。読み応えがありますね。思いがあちこちに飛んでしまいます。
僕はMixiの会員ではありませんので訪ねていくことは出来ませんが、ココログはまたゆっくりと読ませていただきたいと思います。ありがとうございました。